第26回 第二逸話『ネストル』 その4
「ありがとう先生」
「早く運動場へ行けよ」
サージャントは元気一杯運動場へ駆け、みんなとホッケーに興じる。
「元気元気、子供は元気が一番!」
…とは言ってないスティーブン。
運動場にディージー校長がいる。
「校長室に先行ってて」
校長室にて、ディージーから今月分の給料をもらうスティーブン。 3ポンド12シリング(高いのか安いのかわからんが、一応マーテロ塔の家賃は月1ポンドだそう)。
”マリガンに9ポンド、カランに、マッキャンに、ラッセルに、カズンに、レイノルズ…”
これらは全てスティーブンが今借金してる人たち。総額25ポンド。ちなみにこの人たちは皆実在した、作者ジョイスの友人知人らしく、特にラッセルというのは、※ジョージ・ラッセルという有名な詩人で評論家です。この後9逸話に登場して、スティーブンの自説を聞くシーンがあります。『ユリシーズ』はジェムズ・ジョイスが創作した話のはずなのに、実在した人物が登場し、架空の人物と会話している。不思議な小説です。
ここで本作『ユリシーズ』の、ある種のネタバレ(作品内のネタバレではありません)をします。
とっくにお気づきかも知れませんが、この『ユリシーズ』は、作者ジェイムズ・ジョイスの半自伝小説です。ジョイスの前作『若い芸術家の肖像』から連なる、ジョイスの分身である主人公スティーブン・ディダラスが、その後、「1904年6月16日(これは事実と違うらしいが)に、ある男性に出会った」…と言う話です。そのたった1日の話、それが『ユリシーズ』です。
物語の後半で、スティーブン・ディダラスはレオポルド・ブルームなる中年男性と邂逅しますが、実際のジョイスも22歳の時にある男性に出逢います。彼の名前は、アルフレッド・ハンター。ただのダブリン在住の一般市民です。ある夜のこと、ジョイスはダブリン街のとある酒場でチンピラに絡まれ、ボコボコにされました。そんな彼を助けてくれたのがこのハンターというユダヤ人の男です。
周りの皆は見て見ぬ振りなところ、心優しいハンターは、血だらけのジョイスを自宅まで担いで行ってくれました。この時の感謝と感動を、ジョイスは一生忘れませんでした。
「これを作品にしよう!」
当初は『ダブリンの英雄』というタイトルの短編小説とし、同時期に執筆中だった『ダブリン市民』の一編にする予定でした。でもうまく行かず頓挫しました。
で、しばらくして…
「英雄…英雄といえば…、オデュッセウスだ! よし、ホメロスの『オデュッセイア』を枠組みとして、新たな話で作り直そう」
「そういや『オデュッセイア』といえば、父オデュッセウスと息子テレマコスの冒険譚の二重構造で成り立っているじゃないか…」
「ちょうどスティーブン・ディダラス、てか俺の話も途中。パリ留学で止まってる。それはすぐに蜻蛉返り…。それからダブリンでぶらぶらしてたら、街でチンピラにボコボコにされ、死ぬかと思ったら、見知らぬおじさんハンターに介護されたんだっけ。…よしっ! スティーブン(俺)はテレマコスとし、ハンターさんは俺のオデュッセウス。俺とハンターさんとの出会いをテレマコスとオデッセウスとの再会に重ねよう! ヨォ~し、こりゃ面白くなりそうだぞ!」
これが『ユリシーズ』創作の出発点です(…後半当筆者の勝手な推測)。
あ『ネストル』話はまた次回…。
※1902年夏、まだ文壇にもほぼ無名のジェイムズ・ジョイス20歳は、いきなりジョージ・ラッセル37歳の自宅を訪れる。しばらく会話した後、ラッセルはこの、「どこの誰かもわからぬ若者」の新しい世代の才能を見抜く。彼は友人のイェイツにジョイスの存在を知らせる。後日イェイツもジョイスに会い、やはりジョイスの才能を見抜く。そして友人のエズラ・パウンドにジョイスを紹介。それからドーラ・マーズデンやらハリウッド・ウェーバーやら、マーガレット・アンダーソン〜シルヴィア・ビーチなどの交流を経て、『ユリシーズ』出版に。
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