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実は本当に殺人現場状態だったヒクソン・グレイシーVS船木誠勝
2000年、日本東京ドーム。
400戦無敗を名乗る20世紀最高の格闘家ヒクソン・グレイシーは、日本の格闘家を次々と破り、そのファイトマネーは億を超えた。
日本格闘技界は地に落ちる。
ここにアントニオ猪木の設立した新日本プロレスを出て、総合格闘技団体パンクラスのエースだった船木誠勝は、会社に直訴してヒクソン・グレイシーのファイトマネー調達に成功する。
敗北すれば会社の倒産もあり得る大一番である。
会場には、日本の格闘技を信じて集まった、プロレス、空手、柔道、相撲、日本拳法、レスリング、ボクシング、キックボクシングの第一人者たちが業界の枠、しがらみを超えて、船木誠勝の応援に駆けつけた。
日本格闘技界の最後の総力戦である。
ルールは1R15分無制限勝負。
レフェリーストップなし。
船木誠勝は入場に、刀をぶら下げて登場。
ヒクソンを刀でバサっと殺したかったぐらい怖かったと後に語る。
船木は
ギブアップはしない。
死んでもいい。
負けたら引退する。
という覚悟で試合に挑む。
20世紀最強のヒクソンを相手に、先に船木は打撃に有利に立つ。
しかし最後は寝技で締め上げられ、タップしないまま目を開けたまま気絶する。
死ぬって。
殺人現場かよ…。
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これを期に船木誠勝は引退する(7年後に復帰
ところがここで後日談がある。
ヒクソンは序盤の打撃で片目を眼窩底骨折していたのだ。
試合中は片目が見えなかったらしい。
ヒクソンは後の著書で、船木誠勝が生涯で1番手強い相手だったと語っている。
そしてヒクソン自身も、この試合に懲りたのか?
二度と試合をすることはなかった。
引退である。
どっちも死にかけた試合が20世紀にはお茶の間に流れていたらしい。
誰か止めなさい。
タオル投げなさい。
殺人事件を恐れて、レフェリーは、レフェリーストップなしを破って止めました。
だから船木誠勝はまだ生きてます。
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