【読書感想文】忍恋(「葉隠入門」三島由紀夫)
江戸時代、鍋島藩の武士であった山本常朝により記された「葉隠」は、武士の心構えを説いた書です。
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」
という「葉隠」の一文は、とても有名で、過激な思想の書かと思ったのですが、その他にも、平常の仕事や生活の指南書的なことも多く書かれていて、現在でいう仕事のスキルやマインド本のような、サラリーマンなどにも通じる内容も含まれていると感じます。
この「葉隠」の魅力を、三島由紀夫が余すところなく解説しているのが、「葉隠入門」です。三島は、座右の書として、この「葉隠」を折に触れ読んだといいます。
恋愛についても、「葉隠」には、書かれていますが、日本の古典文学の唯一の理論的な恋愛論を展開した本と言えるだろうと、三島は述べています。
「恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋のたけが、低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ」
『打ちあけた恋はすでに恋の丈が低く、もし本当の恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もっともたけの高い恋である(中略)恋のためには、死ななければならず、死が恋の緊張と純粋度を高めるという考えが「葉隠」の説いている理想的な恋愛である。』と、三島は解説しています。
三島由紀夫は、本当に恋にも純粋な人なんだなと感じました。ただ、さすがに命をかけるまでの恋というのは、私には無理ですし、経験もありません。
打ち明けない恋=片思いと考えると、片思いが至高の恋であるというのは、なるほどと理解しやすいように思います。
打ち明けず、ずっと心に秘めたままの恋心は、とても苦しいと思いますが、それだけに相手が純粋に美化され、時とともに、恋の概念そのものに抽象化されていくかもしれません。
初恋などは、片思いということも少なくないかもしれませんが、淡い恋心は、いつまでも切なく綺麗にこころに残るものかとも思います。
恋とは、相手の時間を頂く行為でもあると考えると、自分と付き合うことが、本当に相手にとって最高の幸せとなるのか、相手の機会費用を逸失させてしまっているのではないか、ここは、他人に譲って、相手の幸せを見守るのが、本当の恋ではないかなどと、奥手の私ならば、ゴニョゴニョと考えてしまいそうです。それが至高の恋ともいえるかもしれないし、タラレバの恋で本当のところはわからないし、意気地なしと思われるかもしれません。
ともかく、片思いが至高の恋という考えは、片思いの人を救う言葉にはなりそうですね。
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