【エッセイ】カップ麺と自由
カップ麺は、如何に精巧に製造されていても、例えば有名店の監修であったにせよ、本物の店とは似て非なる麺であり、店では決して供されることのないという事実。そこに存在するのは、「店で供されることのない麺」と「店で供される麺」との間に横たわる埋めがたい断絶。この単純な事実を、私たちはまず謙虚に受け止める態度が必要だと思います。
その上で、その断絶を、私たちは本物の麺と比べてどうかなどといった論評や批評の類の野蛮な行為に陥ることなく、むしろ、軽快さと、幾分の驚きと感性で愉しむことに集