実験note: 自分の思考や文章の傾向を客観的に俯瞰出来る実験
ここから下の文章は自分が気づいたことを書きながら今日何について書こうかな?って考えながら書いた文章です。
面白いからどこに着地するのか何も考えずに筆を進めて(Macのキーボードを叩いて)みた。
さて・・・如何に?(笑)
実験は振り返って見たところから始まった
365日チャレンジでnoteの更新を毎日始めて本日11日めなのですが、投稿を振り返ってみたらどうやら自分がやってみて出来たよ〜♪って思うことが多い印象。
出来たよ〜!って言いたいのと、これやってみたら良かったよ。是非!っていうおせっかい魂の両方が出ているのかしら?
三つ子の魂百まで
本当に三つ子の魂百までってよく言ったなぁと思うのですが、自分のすることや言う事って小さい頃にしていたことがそのまんま。
公園とかで子供を見ていると『俺すごいだろう!』とか『私天才!』とか『すごい?』『見てみて?』『出来たよ〜』って言ってますよね(笑)
みんな元は見て欲しい欲求があるんだなぁって子供を見ていると思います。(自分には子供はいないので公園とか甥っ子とかだけどw)
おせっかい魂
兄弟がいるお兄ちゃんやお姉ちゃんはしたのこの面倒をお母さんやお父さんのマネ口調で見てますよね。
自分も小さいのに妹が落としたものを『もう、しょうがないな〜』とか言いながら拾ったり『おい。危ないからやめろ!』とかね…
こうしておせっかいが生まれるのかしら?って思いながらニヤニヤしちゃいます。
この2つの側面自分にありますよね。
おせっかいは自分にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいないともしかしたらそんなでもないかもしれないけど、女の子はお母さんのマネしてお母さんを助けてあげようとするかも。
母のお手伝い?
余談ですが私年子の長女で下に妹とその下に弟がいます。
多分幼稚園かそれ以下の頃、母と妹弟とお風呂に入っていた時に、母が顔を石鹸で洗っていました。
流した後も髪の周りとか耳のところに泡がついていたので『まだここについてるよ』って教えて上げました。
『教えてくれてありがとう』って言われたのが嬉しくて次のときもその次の時も母が顔を洗っているのを見て石鹸が残っていないか確認していました。
八つ当たり
ある日いつものように『ここについてるよ』って教えてあげたら『知ってますよ!』ってイラだった返事が返ってきました。
そこで私は『大人になったら自分の顔が見えるようになるんだ。すごい!早く大人になりたいな』って思ってそれから母に泡がついていても言わないことにしました。
気づき
大人になってから洗顔中に自分の顔が見えないことに気づき、あれは母がイラッとした八つ当たりだったんだなって気づきました。
母は当時30代で子供3人いて弟が酷い小児喘息で父が起業したばかりだったのでかなりのストレスだったのではないか?と思います。
…が何も知らない子供は当時の両親の態度や言葉行動で傷つき、どんどん自分責めをしているんですけどね…
当時の子育てってするのが当たり前であまり助けを求めるようなものではなかったので大変だったと思います。
子育てに関して社会が出来ること
こういった事がないように国の理解や旦那さんや会社・周りの人の理解が罪のない子供を傷つけない策を取ってくれるといいなって思います。
そして自己肯定感の低い40代以上の大人はそういう時代だったから今売れている本が自己肯定感をあげる本とかがいっぱいですよね…
少しでも自分にあった方法で下がったものを上げたり、イメージを書き換えたり出来たらいいなって思っています。
実験後の自己分析
すごいなぁ…書き始めからどう着地するのかな?って思いながら、文章を書いてみたのですがこういう着地になりました(笑)
社会問題や心のこと、気づき、使命感みたいなものが文章を書く時に出がちですね。
あと文章長いw
こんな実験してみませんか?
自分がどういった文章を書くのか?
どういった傾向があるのか?
普段どういうことを考えているのか?
どういう思考回路で物事を考え進めるのか?
そういったことを客観的に見るのに面白い実験ではないか?と思います。
お試しあれ(笑)