見方が変われば、色合いも変わりカラフルに
森絵都さんの「カラフル」を読みました。
この小説は死んだはずのぼくが天使業界の計らいにより再挑戦の機会を得て、真くんの体を借りて修行をしていくことになったことから話が始まります。少年が再挑戦することになった真くんが置かれている環境は必ずしも芳しいものでなく、人間の嫌な部分もたくさん見えてきます。時にはその嫌なことが立て続けに起こることもあります。その中から少しずつ、変化を起こしていくというストーリーです。
嫌なことばかり起きて、先が見えない中では、そこから逃げ出したくなることもあります。
しかし、その環境は自分で変えたくても変えられないこともあり、どう受け止めるか、どう受け入れるか求められることがあります。
自分を振り返っても、嫌な場面で逃げ出したことばかりでなく、逃げ出すことができず、耐え忍んだこともあった気がしています。
その一方で、振り返ってみると、逃げ出したからといって、その後劇的にハッピーになったわけでもなく、我慢しているうちに環境がガラッと変わりハッピーになったわけでもない気がしています。
例えば、私は転職をしており、同僚も転職組が圧倒的に多い職場なのですが、ときどき同僚と「転職して、周りの環境を変えようと思っても、多かれ少なかれ前職と同じようなことが起こるよね」という話をすることがあります。
例えば、人間関係でうまくいかないのは相手が100悪くて、自分の悪い部分が0というのはほとんどなく、1から99の間だったりするのですが、大概は自分にも何かしら問題があるので、そこが是正されないと、結局、次の職場に行っても同じようなことが起こってしまうということです。
森見登美彦さんの「四畳半神話体系」に出てくる主人公がどのサークルに入っても運命は大して変わらないというものにも通ずる感じがしています。
要はその場その場で選択行っていて、もし違う選択をしていたらという仮定はないわけですが、仮に、もう1つの選択肢をチョイスしたとしてもそんなに変わらないのではと感じています。(単に、自分の過去を美化しているおっさんの勘違いかもしれません。。)
もちろん、そんなに運命が変わらないからといって、無理に我慢ばかりしてストレスを溜めてしまうのはよくないことですし、それによってメンタルがやられてしまっては元も子もありません。
しかし、過ぎ去る嵐もあることも事実です。
気がつくと、少しずつ自分が変わり、自分の周りが変わることもある気がしています。この物語の少年の周りにも気の置けない間柄のお友達ができ、家族との関係も少しずつ是正され、前に進みはじめていきます。
周りの人の良いところを見たり、自分の至らないところを素直に反省したりすることで、環境が変わることはあり、そこから目を背け、逃げ出してばかりだと何も変わらないのだと思います。
自分が聖人君子ではないように、周りの人も聖人君子であるはずがありません。だから、時には、自分に対してあたりが強かったり、不利益を被るような行動が出てくることもあると思います。ただ、それらのことに対して必要以上に怒ったり、悲しまないほうが良いのかもしれません。
一度や二度の良くないことは軽く受け流せるような、寛容さを持つことができれば、もっともっと生きやすくなると思います。
困難な状況を受け止め、その中から活路が見えてくる視点は、先日読んだ帚木さんのネガティヴケイパビリティに通ずる話だと感じました。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?