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【エッセイ】怖いもの

小さい頃は怖いものが無数にあった。

メリーゴーランドの中心に立っていた人面の木。
寅さん記念館の照明がいきなり消える仕掛け。

めちゃくちゃ泣いた。

最悪の気分になって、大きい声で泣くことで目の前の最悪から目を逸らしながら、二度と心の底から安心して過ごせないような気がした。

今考えると、幼少期においてはまだ世の中で起きる事象を十分なパターン数経験していない。
何が身に起こっても大丈夫なことなのか、何が危険なことなのか、経験から判断できないのはこの世における最大のディスアドバンテージである。

さて、無数の恐怖の中でも最も恐ろしく、胸が苦しくなる時間があった。
東京ディズニーランドのアトラクション「プーさんのハニーハント」だ。

「プーさんのハニーハント」とは、プーさんの冒険をあたかも絵本の中に入り込んだように、飛んだり跳ねたりするカートに乗りながら楽しむアトラクションである。
世界の人気者プーさんがかわいらしく、ハチミツがほのかに香るなど、心にくい仕掛けが多くの来場者を集める。

その一幕に、純真なプーさんが悪の仲間に唆されて、酒池肉林のお菓子パーティーに耽るパートがある。
このパートは「気をつけろ...気をつけろ...」の声から始まる。
続いて、サイケな色のライティングが、バカでかい人形の仕掛けを彩る。
自分を乗せたカートがぐるぐる縦横無尽に走り回り、人形に近づいたり離れたりする。

やめてくれ〜。

視覚的な恐怖もさることながら、知覚するすべての情報が嫌なメッセージを伝えてくる。

人間の欲望は無限である。
好きなだけ、食べたいだけ食べられる状況で、望むだけ与えられるものを、欲望のおもむくまま食べる。歯止めは効かない。

そしてこのまま、何が何だか分からないまま自滅していく。
さもなければ、与えられなくなっても欲しがって、みじめに破滅する。

人間の堕落や欠乏への恐れが、「気をつけろ...気をつけろ...」のセリフの助けを借りて、教訓めいて私に迫ってくる。

やがて私は懺悔を始める。
(何も望みすぎません。羽目を外しません。失ったり足りなくなるよりマシだから。何でもいいので許してください。)

間もなく明転し、風船にぶら下がるプーさんのふわふわな見た目に、
(今回も生きて帰って来れました。よかった。)
と胸を撫で下ろす。

人間の原罪を悟るような聡明な子どもでは決してなかったが、非日常が日常を一層濃く炙り出す仕掛けの効果を、真正面から食らってしまっていた。


※今回「プーさんのハニーハント」のストーリーを調べたところ、本来は上に書いたような筋書きではなかった。


 話は変わって、今日指輪を買った。

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輪の一方に猿がおり、もう一方にバナナがある。
なんてかわいらしくて変わった指輪だろう。
これを逃したら二度と出会えないんじゃないだろうか。

購入する口実はすぐ見つかった。
よく見ると、猿が右手を指先だけでバナナに伸ばしている。
しかし、指先は決してバナナに付かない。

悲しい😭
悲しくて辛い指輪だ。

二つのモチーフは、永遠に満たされない自分の欲を表している気がする。
この辛さは、小さいときに「プーさんのハニーハント」で知った辛さだ。

懐かしい。

知識も経験も増え、さほど禁欲的ではなくなった自分が忘れていたセンシティブさを、これからも時々思い出せるかもしれない。

(おわり)

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