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誰かを守るということは誰かを守らないということ。
残念ながらこの世界は、誰もが助かるようにはできてない。
資本主義も、戦争も、歴史も、すべてが「競争」と「格差」を前提に動いてる。
誰かが得をすれば、誰かが損をする。
なのに、世の中の大半はいまだにそれを認めたがらない様に見えないか?
「何も犠牲の無い平和な世界」なんてものを変にイメージして、そう唱えることこそ正義だと、盲目的にどこかで学んだ様に思う。
実際に誰かが爆勝ちすると、それを世論が犠牲者側から批判する事も多いだろう。
いや、そもそも世界の上位数%の暮らしを維持する為に、何人の命が犠牲になってると思ってるんだと。
僕たち日本は、地球的に言えば明らかに、犠牲の上に立ってる国だろって話なんだよな。
最近友達が、キングダムを読んだって言ってたから、今日はこんな話を書こうと思ったんだ。キングダムは読んでる人も多いと思う。
僕は桓騎(カンキ)がめっちゃ好きなんだよな。
桓騎(カンキ)しか勝たん。
ついでに言うと、
進撃の巨人のエレン・イェーガーも大好きだ。2人はほぼ同じ人間だよなって思ってる。
(読んだことない人はどちらも一度読んでみてほしい。僕はキングダムは漫画派。進撃はアニメ派です。是非。)
僕はこの2人とそのままの考え方だと思ってる。僕もあの状況なら同じことをすると思ってる。
彼らは、仲間を守るために、敵を殺しまくった。罪の無い民間人も殺しまくった。
それはそれは残虐過ぎて、読者みんなドン引きだったんだと思う。
でも僕は、自分がエレンなら間違いなく地ならし発動だな、と思ってたし、桓騎(カンキ)がやってる事も、理由はそれだろうなと思ってた。「いや、世間が直視しなきゃいけないのは、本当にこれだよ。」って、感動してた。
「綺麗ごとを言っているうちは、大切なものは守れない」
この哲学ってのは、
「極端にこそ意味が宿る」から、2つの作品は表現としてとても素晴らしいなと思った。
エレンなんて、仲間のために、世界人類の8割を滅ぼしたからな。すごい話だ。
それが、道徳的に正しいのか?
って議論じゃないんだよな。
生き物ってのは本来、究極そういうことでしかないのかもしれないな。
しかし、漫画の話では無くて、
この世界も、マネーゲームであり、戦場なんだろうよ。
資本主義は、「競争」と「格差」の上に成り立ってる。
「みんなが幸せになる社会をつくろう」
「みんなが平等に豊かになれるはずだ」
そういう理想を掲げる人は多いけど、
現実はそうなっていないし、そうならないようにできているんだろう。
お金は有限だし、幸福ってのも、有限であることが多い。
地球は確かに燃えて、世界を回してるんだよ。だからあまりに今の世界は有限なんだよな。
誰かが多く持てば、誰かが少なくなる。
企業が利益を独占すれば、労働者は搾取される。
それが、この世界の仕組みなら、
「みんなで分け合おう」なんて話は、夢物語になってしまう。
結局、僕たちにできることは、
桓騎やエレンがやったように、
「手の届く範囲の人間を最優先で守ること」なんだよな。
みんながそれをやればいい。それぞれの場所で。
それはきっと、政治的に言えばナショナリズムの考え方に近い。
「自分たちの国、自分たちの仲間を第一に考える」っていう考えは、グローバリズムとは相反する。
「世界は一つ」「みんなで助け合おう」なんていう幻想とは違う。
僕はトランプにも、
桓騎やエレンと同じ匂いを感じる。
あんなにカッコよく無いけどな。
でも、彼は「アメリカ第一主義」を貫いてる。
それはつまり、「仲間を守るために、他を切り捨てる覚悟」なんだろう。
敵を作り、嫌われるよそりゃあ。
残念ながら、日本はトランプにとって、
「利用する対象」であり、「排除すべき敵」なのかもしれない。
でも、彼が間違っているとはそういう意味では僕は思わない。
彼はただ、徹底して「自分側を守る」ことを選んでるだけなんだよな。
今日のnoteは、政治的にどうのこうのって議論を僕はしたいわけでは無く、
(別に僕はトランプ派でも無い。)
この視点でこそ、
政治の仕組み、世の中の仕組み、
その中で僕らのやるべきことが、シンプルにわかる。
ってことが言いたいだけなんだよな。
僕は政治的な発言をここでするつもりは無いから、今日のnoteは政治的にはスレスレだと思ったんだけど、本質の原点回帰的に、この考え方が、日本人が平和ボケゆえに抜けてる部分だと思うから、書きたいと思ったんだよな。
世界に、誰もが助かる方法はないとして、
誰にも嫌われずに、誰かを守ることはできないとして、
手の届く仲間を守りたいなら、誰かを敵に回す覚悟を持たなければならない時は来てしまってるように見える。
誰かを守るということは、
誰かを守らないということ。
みんながローカルでそれをやるってのが、
フラクタル(全体と一部が同じ相似な図形)にこの国を包み、この国を守る力になるんだとしか思えない。
僕らが日本人としてプライドを持ち、堂々とこの世界を生きていく為には、
あまりに欠落したこの辺りの感覚が、大切な気がしてるんだよな。
*写真はどこかのアート。
ローカルの力が、フラクタルにこの国の力になるって感じの写真があった。