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ただの無駄遣いだからこそ。
「これは自分へのご褒美だから!」
「誕生日だからこれが欲しい!」
「頑張ったから、たまには贅沢してもバチ当たらんよね!」
って、よく聞くよな。
みんな買い物に理由をつけたがる。
でもさ、それを心から欲しいと思うのに、買う理由なんて要るのか?
いかにその買い物に正当性があるかを主張するのは、ただの無駄遣いの言い訳なんじゃないか?
僕はそう思う。
今日のnoteは、すこしドキッとする書き出しから始めたんだけど。
そもそも僕は思うんだ。
無駄遣いってのは、時に 「理由がないところに価値がある」 ものなんじゃないだろうか?
「いや、これは意味のない無駄遣いですけど何か?」 って堂々と言えた方が、むしろ健全だと思ってるんだ。
だってさ、「無駄遣いでしか回復しない感情 」ってあることない?
「無駄遣いでしか満たされない欲求 」ってのもめっちゃある気がするんだよな。
だってあんなに苦労して成功したのは、ある意味、無駄遣いをする為だったんじゃないだろうか。とかさ。
「そんなものに金を使うな」っていつも当たり前に言う人は、人生に愛嬌が足りない。
無駄遣いには、少し人生を幸せにする力がある。だから、正当化する必要なんて無い。
あと、この無駄遣いの正当化行為には、大きな問題点がある。
それは、
「ご褒美」とか「誕生日」とか、
無駄遣いに正当性を持たせた瞬間に、
その無駄遣いの「反省」を、しなくてもよくなることだ。
買い物を失敗し反省するからこそ、
お金の使い方が上手くなる。
そうやって反省して僕らは成長するんだよな。
毎回買い物に正当性を持たせるから、
反省がいつまで経っても心に貯まらない。
いい加減自分はダメな奴だと気付けない。
だから永遠に、支出に歯止めがきかなくなるんだよな。
「あれ? 前回は『頑張ったから』で買ったし、今回は記念日か。」とか、
「いや、この前は誕生日だったけど、今度はクリスマスか。」とか。
こうやって、なし崩しに「正しい無駄遣い」だけが増えていく。
あなたが無駄遣いをやめたいなら、
正しく無いものは正しく無いと認めて、反省すること。
正当化をやめることなんだろうな。
「俺は今、罪悪感を感じている」
「これは完全なる無駄だ」
「やらかした」
こうやって、真正面から受け止めたほうが、人は成長する。
自己正当化するから、何度も同じ罠にハマるんだろう。
ある程度、無駄遣いすればいい。
「カッコいいバッグ持ってるね。」
「去年頑張ったご褒美なんです。」
なんて言わないで。
「カッコいいバッグ持ってるね。」
「ありがとう!ただの無駄遣いです!」
って言って欲しい。
そうやって開き直った方がいい。
そして、それを貯めていけば、
自分はダメな人間ですって遂にわかる。
そして変わる時が来たらいいんじゃないかな。
トレードも同じなんだろうな。
同じような自己正当化バイアスによって伸び悩むのかもしれない。
たとえば、負け続けてるのに
「いや、ドローダウンくらってるわ」 って表現してないだろうか。
そもそも 「ドローダウン」 ってのは、期待値のあるトレードの中で発生する確率的な下ムラのこと。(あえて強く定義してる)
つまり、そもそも 期待値のないトレードにドローダウンなんて概念は存在しない。
(本当のドローダウンの人はいるから、その人には言ってないから。)
それをちゃんと理解して、
ちゃんと言葉を選んで使いたい。
「これはミストレードだ」「俺の判断はクソだった」「これはドローダウンではない」
そういう姿勢こそ、伸びるはずだ。
「これは無駄遣いです」って堂々と言えるやつが、いつか無駄遣いをやめられるように、
「これは完全なミストレードです」とか
「いま、勝つ方法がわかりません。」って認められるやつが、伸びる。
無駄遣いも、トレードも、変に正当化しないことが一番の対策って話だ。
次の無駄遣いのときにでも、
どこか罪悪感が消えないなら、今日の話を思い出してみてくれ。
「これは無駄遣いです。ただこれで僕は少し幸せになれました。無駄遣いでしか貯まらない幸福度があります。でも、いい加減反省しています。僕は結局誘惑に弱い人間なんだろうとは感じてきています。次からは、無駄遣いしないようにしていきたいです。」
そんな哲学。
潔く生きよう。
*写真は荒野にアート。
どこか忘れたけど、素晴らしい美術館だった。
野外型の美術館が好きなんですわ。