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悔し涙を流して、過呼吸になりながら、納豆を買いに行った夜。
「理不尽なこと」というのは、誰の身にも降りかかる。
真面目に生きていても、不真面目に生きていても、辛いことにぶつかる割合は同じなんじゃないか?と思ってしまうほどに。
そして先日、真面目に生きてきた私の上にも、人生で何度目かの辛い理不尽なことが舞い降りた。
くわしくは伏せるが、会社では涙を見せないようにするのに必死だった。
帰りの電車でも必死に涙をこらえていた。
でもこの孤独感は、きっと私だけのものじゃないと思う。
電車で泣きそうになった経験は、ほとんどの人が一度はあるんじゃないだろうか?
しばらくそうして揺られていると、逃げ口を失った涙が鼻からスーッと垂れてきた。
目から出させてあげられなくて、ごめんね涙。
マスクの下はベチョベチョで悲惨だったけど、幸い周りからはバレずに済んだ(と思う)。
なんとか最寄りの駅に降り立った時、急に動悸が始まった。
バクバクバクバク、と心臓が早鐘を打つ。
中途半端に解かれた緊張がバグを起こしたみたいだった。
小学生の時に、廊下で思いっきり転んで胸を打ち、息ができなくなったことがあったが、あの時の感覚に似ていて。
あ、私このまま死ぬんじゃないか?と思った。
早く家に帰りたい。
早く家に帰ってギャン泣きしたい。
お気に入りの動画を見たい。
喉の奥をキンキンと痛めながらそう思って歩いていると、ふと頭の中に、突拍子もなくこんな考えが浮かび上がった。
「あー、そういや今日、帰ったら納豆ないな」
数日前から、冷蔵庫の納豆が切れていた。
そのことを急に思い出したのだ。
いやでも、こんなタイミングで。
私は焦った。
このメンタルで、スーパーに行くのはしんどい。
1秒でも早く家に帰って、気兼ねなく嗚咽をもらしたい…
いやでも、待てよ。
やっぱり今行かないと。
一度家に帰ったら、もう出られなくなる。
納豆が食べたい時に冷蔵庫になかったら、余計みじめで悲しい気持ちが増すんじゃないか。
うん。
未来の自分を救うために、納豆を買いに行こう。
そう決めた私はいつもの信号を無視して、スーパーへと歩いた。
無事に納豆と、ついでに卵も買って帰った。
スーパーの中はいつもと全く変わらなかった。
これまでも何度か経験したけれど、自分だけが変わっても街が変わらないのを知った時、きゅっと胸が痛くなるような切なさと嬉しさがある。
家に帰って、しばらく泣いた。
それはもう思い切り。
当然食欲はなかったけれど、2時間くらい経つと少しお腹が空いてきて、人体の摂理には逆らえないと実感して、少し笑えた。
予定通りに卵納豆を食べて、ほっと一息ついた。
ここから学んだ教訓。
辛いときは、ほんの少しでもいいから一歩踏み出して、未来の自分を「いつもと変わらない生活の安心感」で救うための布石を打っておいた方がいい。
なんか壮大な話をしている風だが、納豆をスーパーに買いに行っただけである。
でも私は、それで少しだけ救われた。
打ちのめされた時は、自分が自分としてこれからも生きていけるという実感が、何よりも希望になる。
これからの人生、あと何度打ちのめされるだろう。
その時に自分を救ってくれるものが何か想像してみるのも、意外と楽しいかもしれない。
辛い夜を乗り越えて。納豆はあと2パック、冷蔵庫にある。
それを思うと、まだ何とか、やっていけるような気がした。
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