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愛と余裕と表現力

こんにちは。

noteに限らずなにか文章を書いていると、頭に浮かんでいる考えをうまく言葉で表現できなくて、あーーもっと語彙力が欲しいーー!!と叫びたくなることが多々あります。

一応私が目指している文章は、「読んでいて楽しい気持ちになれるような、知性とユーモアとリズム感がある文章」なんですが……程遠いですね。

母国語ながら、日本語ってほんとに難しいなぁと常々思います。

語彙マスターになるために一度国語辞典を読破しようと試みたことがあるのですが、「け」くらいで挫折しました(早すぎ)。

数日前に読んだはずのページを見返したら全然覚えていなくて、それで完全にやる気をなくしてしまったんですよね…

やっぱり、文章を書いている最中にふと降りてくる言葉って、自分の内部にしっかりと染み込んでいるものなんだと思います。

辞書的な意味を無理やり覚えたような言葉はすぐに抜けていくけど、そういう言葉は忘れない。

この先使う場面が全くなさそうな文学的な文章の方が、端から実用を意識して身に付けた表現よりもずっと印象に残っていたりする。

私の経験ですが、そういうのは「別に覚えようとしてないけど、好きで読んでいたらいつの間にか自然と頭に入ってた」っていうパターンが多いような気がします。

『これはのみのぴこ』っていう絵本があるんですが、ご存じですか?

https://www.amazon.co.jp/dp/4914985012/ref=cm_sw_r_cp_awdb_imm_c_3WGYFbNX0K7TX

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この本では、「これはのみのぴこ」という一文から始まって、ページをめくるごとにどんどん文が付け加えられていきます。

そのリズミカルな文の連なりが大好きで、とてもお気に入りの本でした。

それを最近久々に読んだんですが、一度目を通した後に全部暗唱することができて自分でびっくりしてしまいました。

必死で覚えたことはちょっと時間が経てば跡形もなく忘れていくのにこういうのは忘れないのかと、嬉しいような虚しいような複雑な気持ちに…(-ω-;)

やっぱり子供の頃は、脳と心に余裕があったのかな。
出会う言葉全てが新鮮だったし、後先の利益のために行動したりしなかったもんな。

今でも私は文章を書いたり読んだりするのが好きだけど、子供の頃と比べると、知識が増えた分余計なものも脳と心に入ってしまったかもしれません。

昔は何のためということもなく純粋に好きな言葉との出会いを喜んでた。ただそれだけでした。

いい文章を書こうと焦るあまり純粋な心を見失いそうになる時がたまにあるけど、そんな時はじっくりと素直な自分と向き合って、私が文章を書こうと思った理由は一体何だったのかを思い出してみようと思います。

/愛じゃよ、愛じゃ\

自分の表現力に納得できなくても、私の考えは私の言葉で書き表すしかないから。

愛と余裕をもって、これからもnoteを続けていければいいなと思っています。

読んでくださりありがとうございました(*´-`)

ではまた次回。

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