『人前であがるのはしょうがない ~あがり症を克服した僕が伝えたい魔法のコトバ~』第1章まで無料全文公開!
2019年11月5日に発売された書籍『人前であがるのはしょうがない ~あがり症を克服した僕が伝えたい魔法のコトバ~』(著:佐藤 健陽)の第1章までを無料公開いたします!
内容紹介
あがり症に20年も悩まされてきた私からあなたにお伝えしたいこと
あがり症とは、人前で何かするときに極度の緊張を伴う症状のことを言います。
誰しも人前でスピーチするときや、大人数での発言などは緊張しますよね。
しかし、あがり症の人は人前で何かするのが異様なほど恐ろしく、人によっては自分がおかしくなってしまうのではないかと思うほどの恐怖を感じます。
かくいう私自身も、20年にわたってあがり症に悩まされてきました。
私がその状況から抜け出そうと決心した出来事があります。
ある日、秋田にある実家に帰郷したときのことです。
こたつの中で母と向き合っているとき、何の前触れもなく突然、全身に緊張が走ったのです。
私は愕然としました。
「もう一生、誰の前でも心から安心し、リラックスすることはできないのではないか……」
そんな恐怖と不安が重くのしかかりました。
追い詰められた私がようやくたどり着いたのが、この本でご紹介する「森田療法」と「アドラー心理学」です。
この本で書いているのは、あがり症を治すためだけのハウツーではありません。
本当の意味で「あがり症を克服」し、自分らしく幸せに生きるための「生き方の指針」です。
私自身の体験に加え、私のところに相談に来られた7名の方の事例を交えながら、そのエッセンスをご紹介します。
本書を読んでくださったあなたがあがり症の苦しみから解放され、今よりも楽に生きられるようになることを心より祈っています。
【目次】
はじめに
第1章 そもそもあがり症とは?
あがり症は治るものではなく、忘れるもの
こんな人はあがり症になりやすい
あがり症の人が苦手としやすい場面
第2章 あがり症を克服した7人の事例と解説
事例1 あがり症克服のカギは「逆説」である
事例2 行動を意識したらいつの間にか克服していた
事例3 “意味”を見出せば恐怖を越えられる
事例4 生きる目的をもつ人はあがらない
事例5 “やるべき”から“やりたい”へ
事例6 執着を手放せば改善する
事例7 “感謝探し“を続けたらいつの間にかあがり症ではなくなっていた
第3章 あがり症を治すとはどういうことなのか?
「ま、いっか」が克服のカギ
自分の価値は自分で決める
あがり症を「言い訳」にしているうちは治らない
もし周囲にあがり症の人がいたら?
おわりに ~あがり症とは生き方の病~
※本書は各電子書籍ストアにて好評発売中です。
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はじめに
人前でスピーチをするときや、大人数での会議での発言などは、誰でも緊張しますよね。でも、あがることが度重なると、「もしかしたら自分はあがり症なのではないか」と不安に思っている人もいるのではないでしょうか。
最初に言っておきますが、あがり症は正式な病気ではありません。あがり症はいわゆる俗称で、個人が感じるあがることへの苦しさの度合いによって「自分はあがり症だ」と感じる、とても曖昧なものです。
しかし、あがり症だと思う目安の一つとして、次のような特徴的な傾向があります。例えば、不安要素を少しでも取り除くために、本番の何日も前から周到な準備をし、本番当日は心臓がバクバク。顔は硬直して、自分が何を言っているのかさえわかりません。終了直後からは一人反省会です。人から「良かったよ」と言われても、そんな言葉は全く信じられません。
「あのとき、ああ言えば良かった」
「途中であの人クスッと笑ったような気がするけど、何かおかしいこと言っちゃったかな?」
そんな後悔や不安にさいなまれるのです。
人生の中では度々人前で発言する機会がありますが、そのたびにあまりにも辛く苦しい状態になる、あがらないようにするにはどうしたらいいかといつも考えている、そんな人はあがり症だと言えるでしょう。
私はあがり症専門のカウンセラーをしている佐藤健陽(たけはる)と申します。アドラーカウンセラー、社会福祉士、精神保健福祉士などの資格を取得し、東京で個人のカウンセリングや心理学のセミナー、講演などをしています。また、東京社会福祉士会の高齢者夜間安心電話相談員や、自殺予防ソーシャルワーク委員会委員もしております。
実は私も、長いことあがり症に苦しんでいました。はっきりと自分があがり症だと認識したきっかけは、高校の国語の時間でした。
もともと勉強もスポーツもできる、いわゆる優等生だった私は、何でも完璧にこなすのは当たり前のことだと思っていました。周りの友達や大人達も、そんな私をよくほめてくれました。私は高校を出た後も、これからも完璧にこなし、周囲の期待に応えて、ほめられて順風満帆な人生を歩んでいくのだと、漠然と考えていたものです。
しかし、何も問題がなかったわけではありません。明るい日常生活にも、ほの暗い影を落とすことがありました。それが、あがり症の兆候のようなものです。他の生徒が先生に質問されてドギマギしているのを見て、まるで自分がその生徒になったような、妙な感覚を覚えたことが幾度かありました。ドギマギしているのはその生徒なのに、見ている自分の鼓動が早くなり、お腹が痛くなるような体の違和感を感じたのです。
そんなことが何回かあった後の、ある日。私にとって忘れられない出来事が起こりました。その日は朝から具合が悪いのを押して登校していました。「そのうち治るだろう」とタカを括っていたのです。しかし、具合は良くなるどころか悪くなる一方でした。お昼を過ぎた頃には、次の授業が終われば1日乗り切れるという思いが頭にありましたが、同時に、授業で「指されるかもしれない」という暗い気持ちもありました。
5時間目は国語でしたが、国語の授業ではだいたい出席番号順に名前を当てられ、自席で立って本を読まされます。その日は出席番号で考えれば、自分が当てられる確率はとても高いということは予測していました。すでに私の体はだるくて何をするのも億劫で、座っているのがやっとの状態でした。心の中では「自習になってほしい、今日はもう座ったままやり過ごしたい。どうか先生が来ませんように」と、祈るような気持ちで一杯でした。
しかし、無情にも、チャイムと同時に先生が教室に入ってきて、いつも通り国語の授業は始まりました。
「佐藤くん」
先生から自分の名前を呼ばれた瞬間、心臓がドキンと鳴りました。頭も体も一瞬鉛のように固まったように感じ、頭の芯が重くしびれたようになりました。遥か遠くから聞こえるような、自分の名前を呼ぶ何度目かの先生の声に、かろうじてノロノロと立ち上がりました。けれど、今度は本を読むことができません。いつもはスラスラ読めるのに、このときはつっかえつっかえ単語を口から発することが精一杯で、たった1行もまともには読めませんでした。それどころか、手が震えて持っていた教科書を落としてしまい、前の席の子が拾ってくれるという始末です。なんという失態! なんという恥ずかしさ! クラスで一番できると自負する自分が、ありえない姿を皆の前で晒してしまったのです。
先生は私の異変に気づいたのか、後を続けて読んでくれました。しかし、私は顔から火が出るかのように耳まで真っ赤になって、ただただ机を見つめました。強烈に湧き上がる恥ずかしさと屈辱感。
同時に、クラスメートの声にならないざわめきも感じ取りました。クラス中の誰もが、今までとは異なる、興味と心配の入り混じったような複雑な感情を、自分に抱いているように感じました。私は、今まで自分が積み上げてきたものが、一気に崩れ去ったように思えました。
これが、その後20年にもわたり、私を苦しめ続けたあがり症を発症したときの記憶です。この日を境に、私の生活は一変しました。誰かと話すのが怖くて、自席でうつむいて小さくなる日々。成績も落ちて、はつらつとしていた少し前までの自分の姿は、もう見る影もありませんでした。
あがってしまったというたった1回の経験は、やがて対人恐怖症となりました。なんとか進めた大学でも、人が怖くて授業やゼミに出ることができません。就活もしないまま留年を続け、入り浸っていた雀荘にアルバイトとして入ってそのままズルズルと勤めました。転落人生の始まりです。
雀荘は今でいういわゆる“ブラック企業”で、“説教”と称して夜通し人格を否定するような内容の罵詈雑言を浴びせられるなど、まるで地獄のような生活でした。あまりにも辛い労働条件に耐えきれず、ひそかに脱走したりする従業員がいる中、私は何年もその地獄から逃げ出せないでいました。雀荘を辞めたとしてもあがり症の自分を雇い入れてくれる職場などなく、かといって大学にも戻れない、自分にはどこに行っても居場所などないと諦めていたからです。今思えば、人生から逃避する「言い訳」として、あがり症にすがっていたのかもしれません。
しかし、ついに自分から、この状況から抜け出そうと決心する出来事がありました。それは、秋田にある実家に帰郷したときのことです。こたつの中で母と向き合っているとき、何の前触れもなく突然、全身に緊張が走ったのです。私は愕然としました。世の中で一番安心できる存在のはずの母の前で、症状が出てしまったからです。
このことは、私をひどく打ちのめしました。
「もう一生、誰の前でも心から安心し、リラックスすることはできないのではないか……」
そんな恐怖と不安が重くのしかかったのです。ここまで追い詰められれば、もう自分ではどうすることもできない、あとはやはり病院に行くしかあがり症を治す手段はないと考えるに至りました。でも、私はすぐに行動に移すことができませんでした。病院に行けば、症状は改善するのかもしれません。それは、希望でもあります。でも、同時に行きたくないという気持ちもありました。なぜなら、実はそれまでにも追い詰められて、何度か病院に行ったことがあるからです。
しかし、薬を出されるだけだったり、中にはカルテにパニック障害など、素人目にも「そりゃないだろ」と思うようなことを記入している医者もいたりして、不信感が募るような結果ばかりでした。
さらに抵抗もありました。あがり症を良くするために訪れるのは、精神科や心療内科などです。今でこそ、正しい知識を得て自らあがり症の専門家として活動している私ですが、当時は多くの人と同じように、心の病を誰かに相談するということは、とても勇気のいることでした。相談したその瞬間から「心の病気である」と自他共に認めることになり、人として普通ではないのだと「負の烙印」を押されるような気がしていたのです(実際はそんなことはないのですが、当時はそう思い込んでいました)。
それで、心の底では「病院に行かねば」と思いつつも、「まだ自力でどうにかなるんじゃないか」と何度も行きつ戻りつの葛藤を繰り返し、時間だけがダラダラと過ぎていきました。
しかし、ある日とうとう決意して、私は心療内科を受診しました。そこで出会ったのが、私の人生を大きく変える森田療法です。心療内科の診察では、「あがり症は治らない」とはっきり言われました。ただし、先生は続けて、「治らないが、忘れることはできる」と言ったのです。
「森田療法なら、あるいはどうにかなるかもしれない。試してみる価値はある」
それから、私は独学で森田療法を学びはじめました。森田療法は知れば知るほど自分の中に染み込むように入ってきて、私は貪るように森田療法の本を読みました。
また、あがり症を治すために、話し方教室に通ったり、あがり症に関する様々な本を読んだりするなど、積極的に色々なものを試しました。それでも、あがり症が治ったと言えるようになるまでには、さらに5年ほどかかりました。年齢でいえば、42歳くらいです。本当に、長い年月を苦悩に費やしました。
いえ、厳密に言うと、完全に治ったのではなく、あがり症だということを忘れられるほど症状が小さくなったのです。今では頻繁にセミナーなどを開催し、大勢の人の前で話をします。しかし、以前あがり症でとても苦しんだと言うと、誰もが驚きます。それほどまでに、目に見えて改善したのです。
今こうしてあがり症の専門家として苦しんでいる人を助けるお手伝いをできているのは、こうした自分の長く辛いあがり症の経験があったからです。
この本は、あがり症を治すためだけのハウツー本ではありません。あがり症は個人の生き方に大きく関わっており、出ている症状に対処するだけでは根本的な解決にならないからです。今まで様々なクライアントさんと出会って、生き方や考え方を変えると、あがり症の症状が軽減したり、あがらなくなったりすることを確信しました。
そこで、私のところに相談に来られた方々の事例を交えながら、生き方の指針となるような考え方のエッセンスをお伝えします。今まで様々な「あがり症を治す方法」を試しても改善しなかった方は、ぜひ読んでみてください。今までとは違うあがり症の見方やとらえ方に気づき、生き方を変えていけば、あがり症の苦しみから解放され、きっと楽に生きられるようになります。
第1章 そもそもあがり症とは?
┗あがり症は治るものではなく、忘れるもの
本題に入る前に、まずは、私が考えるあがり症の定義をお伝えします。それは、「あがり症は治るものではなく、忘れるもの、軽減するものだ」ということです。
そうです、あがり症は治りません。がっかりしましたか? でも、それが真実です。しかし、だからといって悲観することはありません。あがり症は、自分があがり症であることを忘れてしまうほどに、軽減できるものだからです。
「はじめに」でちょっと触れたように、そもそも、あがり症は正式な診断名ではなく、俗称です。自分があがり症だと言えばあがり症だし、いや、自分はあがり症ではなく単なる恥ずかしがり屋なんだといえば、そうなのかもしれません。あがり症とは、極めて曖昧なものなのです。
しかし、あがり症の人が精神科や心療内科に行くと、「社交不安症」や「社交不安障害」と言われることがあります。あがり症は、精神医学では「社交不安症(SAD)」(精神科診断基準DSM-5)に分類され、日本ではかつて「対人恐怖症」と呼ばれていました。「対人恐怖症」は、あがり症だけでなく、赤面恐怖や腹鳴恐怖、書痙(人前で字を書くとき震える)、吃音、会食恐怖など他の症状を含む総称です。どれも行き過ぎた恥ずかしがり屋というとわかりやすいでしょうか。この分類に含まれるものは総じて、人前で何かするのが、異様なほど恐ろしいと感じる症状です。それも、人によっては自分がおかしくなってしまうのではないかと思うほどの恐怖です。その瞬間だけでなく、その場に置かれると想像しただけでも激しく恐怖を感じます。
ちなみに、「対人恐怖症」があがり症と違うところは、あがり症にプラスして「他者に対して不快感を与えているのではないか」と思っている他害性が含まれるところです。例えば「自己臭恐怖」は、自分の体から嫌な臭いが発せられていて、人を不快にさせていないかと不安になります。「醜形恐怖」のなかには自分の容姿に極端に自信がないだけでなく、自分の容姿が人に不快感を与えていないかと恐れるケースもあります。しかし、今回この本で取り上げるあがり症は、他者から注目を浴びることに不安や恐怖を感じるという症状です。
人前で緊張してしどろもどろになる、発言がおぼつかなくなるということは、誰でも一度や二度は経験がありますよね。むしろ、大勢を目の前にして緊張しないという人は珍しいのではないでしょうか。しかし、大抵の人は緊張する場面が終わってしまえば、気持ちが楽になるでしょう。でも、あがり症は、人前などの緊張する場面はもちろん、その前後の長い時間も、あがることに意識がとらわれる症状を指します。
例えば、月に一度の定例会議があり、次の回では発表の順番が自分に回ってくるとします。大抵の人は、数日前あたりに資料を用意して話す内容をざっくりと決め、当日は資料を見ながら発表すると思います。
しかし、あがり症の人は、発表が決まった時点で苦悩が始まります。「あがってスラスラ読めなかったらどうしよう」「失敗したら皆はどう思うだろう」と、不安と恐怖におののくのです。そして、あがらないようにするためには万全の準備をしなければならないと考え、1ヶ月も前から台本を作り、毎日一生懸命練習して、一字一句間違えないように言えるまでに仕上げます。台本通りに話すということは、逆に言えば台本通りに言えないと即失敗につながるので、本当は台本を作った時点で、自分でハードルを上げているのですが……。さて、当日なんとか乗り切ったとしても、終わった後は「何かミスはなかっただろうか」と考えはじめます。あるいは微かなミスや緊張や震えを何度も思い返して、今度は発表のことが頭から離れません。
どうでしょう。ここまでではなくても、似たような経験はありませんか? では、あがり症になりやすい人の特徴を、もう少し整理して説明しましょう。
┗こんな人はあがり症になりやすい
あがり症になりやすい傾向の人というのは、確かにいます。日本森田療法学会では「森田神経質者の性格特徴」というものを発表しているのですが、それによるとあがり症になりやすい人には大きく2つのタイプがあります。「内向性タイプ」と「強迫性・強力性タイプ」です。
「内向性タイプ」はさらに、「内向性」「心配性」「対人的傷つきやすさ、過敏性」「心気症」「受動的」の5つに分類されます。
・内向性
文字通り思考や行動が内側に向くタイプの人です。なかには自分なんかが人の前に出るなんてもってのほかと考えていて、何をするにも怯え、失敗すれば「やっぱり失敗した」と思うような、劣等感の塊のような人もいます。
・心配性
通常なら取るに足らないと思うような、ほんの些細なことでも見過ごせず、心配しても仕方のないことにあれこれと気をもんでしまうという性格傾向です。例えば夫が海外に出張した際には、飛行機が落ちないだろうか、水が合わなくて病気になりはしないか、宿泊先で何かトラブルに巻き込まれないだろうかなどと気になって仕方がなくなるというようなことです。
・対人的傷つきやすさ、過敏性
他人のほんの些細な言動にも傷ついてしまうという性格傾向です。他人の言った何気ない一言を気にし、本当は深い意味などなくても「もしかしたらこんな意味があったのでは」とあれこれ裏を読んで、落ち込んでしまいます。また、日頃から他人の言動が人一倍気になります。
・心気症
自分の身体や感覚に過敏になり、重篤な病気ではないかと不安になる性格傾向です。よくあるたとえ話は、なんだか胃が痛い気がするというだけで「自分はガンなんじゃないか」と恐れたりするといったようなことです。ひどい人になると、医師が「胃潰瘍ですね」と言っても、自分にだけは隠して、家族に本当の病名を言っているかもしれないなどと勘ぐったりします。
・受動的
自分から積極的に何かをするのが苦手な人です。また、人に話しかけたり、新しいことをしたりすることも苦手です。なかなか自分から電話をかけられない、話しかけられるまで待つなども、このタイプの特徴です。
2つ目の「強迫性・強力性タイプ」も、5つに分類されています。「完全欲」「優越欲求」「自尊欲求」「健康欲求」「支配欲求」で、こちらは欲求が強いタイプになります。
・完全欲
俗にいう完璧主義です。何でも完璧にしなければ気が済まず、適当に気を抜くことができません。しかし、すべてを完璧にできる人などいるはずがありません。このような性格傾向の人は、完璧にしようとすればするほど疲れてしまい、できない自分を責めて自分自身を追い込んでしまいます。
・優越欲求
負けず嫌いで、人に対しても自分に対しても、優れていたいという欲です。自分に対してというのは、今の自分ではダメだと常に自己否定しているようなあり方でもあります。
・自尊欲求
プライドが高く、人からちやほやされたいという欲です。自分は価値ある存在だと認められたい、称賛され尊敬されたいという気持ちが強い人です。自尊欲求の強い人は、自尊心が高いからこそ、人前であがって失敗をしたくありません。
・健康欲求
常に健康でありたいという欲です。いつも完璧に健康な状態でありたいので、少しの体調の変化も気になり、心身が不調になることを嫌います。そのため、あがることで不安になることも極度に嫌います。
・支配欲求
自分だけでなく周囲も自分の思い通りにしたいという欲です。周囲も思い通りにしたいというのは、人から否定されず、良く思われたいという意識が過剰な状態という意味です。もちろん、自分の思い描く〝成功する姿〟に反して、あがって失敗することも許せません。
※森田神経質診断基準案「日本森田療法学会」より
┗あがり症の人が苦手としやすい場面
あがり症は、先述したように正式な診断名ではなく俗称です。そのため、その特徴も正式に定められているわけではないので、あくまで私の主観でお伝えします。
あがり症の人の特徴は実に様々なのですが、「あがり症の人が苦手なこと」を挙げるとわかりやすいと思います。苦手な場面で緊張し、あがり症の症状が出るからです。先述したあがり症の説明では、発表やスピーチをするのが苦手な人を例に挙げましたが、ほかにも様々な、苦手な場面があります。
【あがり症の人が苦手なこと】
・人前で電話をかける
・公共の場所で食事をする
・パーティに行く
・権威ある人と話す
・あまりよく知らない人達と話し合う
・仲間の前で報告をする
・会議で意見を言う
・初対面の人と会う
・人々の注目を浴びる
・人に見られながら字を書く
・公衆トイレで用を足す
・誰かを誘おうとする
・試験を受ける
これらは、あがり症ではない人でも「ちょっと苦手」という人がいると思います。また、人と接することを苦にしない人からすると、「そんなことでも?」と思うようなものもありますよね。でも、あがり症の人にはときに生死がかかるような重大な事柄になる場合もあります。例えば、会食恐怖の人は、人と食事をする際に、箸やフォークを持つ手が震えるのではないか、音がカチャカチャ大きすぎやしないか、食べ物を咀嚼する音や飲み込むときの音が、人に聞こえやしないかと気が気ではなく、美味しいはずの食事の味もわかりません。書痙の人は、自分の手元に人の視線が集まっていると思うと、緊張して手が震えたり、頭の中が真っ白になって何を書いているのかわからなくなったりします。
問題なのは、苦手な場面で感じる苦痛の度合いです。あがり症の人にとってこれらの苦手な場面に遭遇することは、断崖絶壁に追い詰められて、もう前にも後ろにも逃げ場がないような絶望感や、底知れない恐怖を体験することと同じです。どれも日常生活でよく見られる場面ですが、それゆえに、日々苦痛に直面する場面が多くあるので、その生きづらさは計り知れません。
なかには、看護師なのに注射するときにあがって手が震えてしまう人や、仕事ができると評価されているのに人前で発表する場面が増えることを避けるために、昇進を断る人さえいます。
あがり症の人は、当然これらの苦痛から逃れたい、あがり症を治したいと思って様々な方法を試します。私も通ったことがある話し方教室や講座、トレーニング等々。しかし、それらはどれも対症療法であって、根本的な意味であがり症が治ることはまず難しいでしょう。仮に、あがり症の症状は消えても、今度は書痙やパニック障害など、対人恐怖症や心身症といった他の神経症に移行したり、特定の誰かとの対人関係の悩みなど、過度に気にする対象が異なって生じる傾向が強いです。では、あがり症に苦しむ人は、いったいどうしたらいいのでしょうか。一生あがり症の苦悩から逃れることはできないのでしょうか。
それを知るカギが、次章で挙げる7つの事例の中にあります。ただし、克服するポイントは人それぞれなので、この事例のいずれかのパターンが、必ずご自分に当てはまるかというとそうは言い切れないということを、前もってお伝えしておきます。
しかし、この7人の方が克服した経緯は、多くの人が当てはまるのでたくさんの人に知ってほしいと思い、ご紹介することにしました。
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無料版はここまで。以降の本編では7人の事例とその解説を通して、自分らしくいられるエッセンスをご紹介しています。
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著者プロフィール
佐藤 健陽 (さとう・たけはる)
佐藤たけはるカウンセリングオフィス代表。アドラーカウンセラー、社会福祉士、精神保健福祉士などの資格を持つ。
福島大学卒業。高校の頃にあがり症を発症し約20年悩み克服に至る。
現在はあがり症のカウンセリングやセミナーを開催中。アドラー心理学ライフスタイル診断をライフワークとする。
著書「あがり症は治さなくていい」(旬報社)。
Twitter:@ccecfa9ba481425
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