見出し画像

なぜ、何ものも生まれず、死ぬこともないのか?:ベトナム仏教僧の比喩から学ぶ

1. はじめに


高校生のとき、本屋でベトナム出身の仏教僧ティク・ナット・ハンの『死もなく、恐れもなく』という本を見つけ、立ち読みしました。それまで仏教に全く触れたことがなかった私にとって、「生まれることも死ぬこともない」という彼の考え方は、良い意味で衝撃的なものでした。当然ですが、自分のものの見方とは全く異なっていたのです。その後、彼の本を購入し、YouTubeで彼の英語の講演を視聴する中で、難解な仏教の教えをシンプルな比喩でわかりやすく解説する彼の姿に感銘を受けました。この経験をきっかけに、私は仏教に興味を持ち、大学で仏教学を学ぶことになりました。本稿では、彼の考え方が現代人にどのような影響を与えるかについて探ります。

2. 仏教思想の伝道者、ティク・ナット・ハン


現代社会では「生」と「死」を対立する絶対的な概念として捉えがちです。生は価値あるものとして賞賛され、死は避けるべき終焉として恐れられます。しかし、仏教思想には「非二元性」や「無生無滅」といった視点があり、これらの固定的な見方を根本から問い直します。この思想を現代社会にわかりやすく伝えたのが、ティク・ナット・ハンです。彼は比喩を駆使し、般若心経に説かれる「不生不滅」の教えを日常生活に即した形で解説し、多くの人々に平和と理解の道を示しました。

彼の教えは、仏教の伝統的な教えを現代社会に適応させ、個々人の内面的な平安と社会の平和の実現を目指しています。著書や講演では、難解な仏教の思想をシンプルで親しみやすい言葉で解説し、私たちが抱える苦しみや悩みに対して洞察に満ちた解答を提供しています。特に彼の比喩は、難解な教義をわかりやすく伝えるもので、多くの人々に生と死についての新たな視点を与えてきました。それでは、彼の教えを通じて、生と死の二元性を超える理解を探ります。

3. 非二元性の視点:波と水の比喩


ティク・ナット・ハンは、生と死の非二元性を「波と水」の比喩で説明します。私たちは波を見て、それが水とは別のものだと考えがちですが、波は本質的に水と一体であり、切り離すことはできません。波が立ち、消えるとき、それが消滅したように見えますが、その実態である水は変わらずそこにあります。この比喩を通じて、生と死が一つの生命の異なる側面に過ぎないことを示します。

彼は、生が死に至る過程、あるいは死が生を生み出すプロセスを、一体の流れとして捉えています。例えば、花が枯れ、土に還ることで新たな生命を育むように、私たちの存在もまた、この連続的な変化の一部に過ぎません。この理解により、私たちは「生」に執着し、「死」を恐れることなく、両方を等しく受け入れることができるのです。これは、仏教が説く「無我」の教えとも通じ、自己という固定した実体の存在を否定するものです。

4. 無生無滅の教え:雲と雨の比喩


「無生無滅」とは、般若心経に説かれる「不生不滅」と同じく、すべての存在が絶対的に生まれたり消え去ったりすることはなく、ただ形を変えて存在し続けるという教えです。ティク・ナット・ハンはこれを「雲と雨」の比喩で説明します。雲が消えても、それは雨となり、川となり、海となります。雲が姿を消したように見えても、それは別の形で存在し続けているのです。この比喩を通じて、私たちの生命もまた、形や状態を変えながら存在し続けることを示しています。

私たちは「生まれる」や「死ぬ」といった個別の状態に囚われることなく、すべての存在が変化し続けることを受け入れることができます。ティク・ナット・ハンは、私たちが死を恐れるのは「個別の私」が完全に消滅することを恐れているからだと指摘します。しかし、個々の存在もまた、他者や環境との関係の中で常に変化しており、絶対的な消滅は存在しません。この理解は、死への恐れを和らげ、今この瞬間に集中して生きることを促します。

5. 生と死の連続性:茶葉とお湯の比喩


ティク・ナット・ハンは、生と死の連続性について「茶葉とお湯」の比喩を用います。茶葉がお湯と出会うことでお茶になりますが、その過程で茶葉が消滅するわけではなく、ただその性質を変え、新しい形に生まれ変わったに過ぎません。これは、私たちの生命も同様に、変化し続ける連続的な存在であることを示しています。死は終わりではなく、ただ別の形で生き続けることを意味します。

私たちが「自分」という限定された存在に執着する限り、生と死の二元論から自由になることはできませんが、この比喩を理解することで、死に対する恐れは軽減され、より広い視点から生命の真実を理解できるようになります。

6. 結論:形のない真実への目覚め


ティク・ナット・ハンの教えは、私たちが生と死の二元論を超え、生命の本質を理解することを促します。彼が用いる波や雲、茶葉といった比喩は、般若心経における「不生不滅」の教えを日常の中でわかりやすく示すものです。私たちが「生」や「死」に絶対的な価値を与えることから解放され、生命そのものの本質に目を向けることができるようになることで、より深い理解と平安を得ることができるでしょう。この理解は、私たちの日常生活における生や死への不安を和らげ、心の平安をもたらします。ティク・ナット・ハンの教えを通じて、私たちは形のない真実へと目覚め、生命の連続性をより深く実感することができるのです。

いいなと思ったら応援しよう!