知られざるベンチャーキャピタリストの生き様/要約『僕は君の「熱」に投資しよう』
ネット広告で偶然目にして、12月にじっくり時間をかけて読み切った一冊。熱量たっぷりのこの本書を、超絶細かく要約して紹介します!
ベンチャーキャピタルという、一見キラキラした世界の裏側には、実は情熱と覚悟が渦巻く泥臭い現場がある。
人生を懸けた挑戦に挑む起業家と、彼らの夢を信じ支えるベンチャーキャピタリスト――その熱いドラマに心が震える。
若者には、無限のチャンスが広がっている!挑戦しなきゃ損!
そんなギラギラとしたエネルギーに満ちた、読んでいて胸が熱くなる一冊でした。大学時代にこの本に出会っていたら、僕の人生もまた違ったかもしれない。いや、今の私にも大きな刺激を与えてくれたのは確かです。
この本は、若い人にこそ読んでほしい!
ということで、老若男女問わず、心が若々しい友人や同僚、クライアントにも絶賛紹介させていただきました!
挑戦を恐れず、熱を燃やすヒントが詰まった、素晴らしい一冊です!
プロローグ 君は必ず成功する
これから僕が君に話すのは、この資本主義の世界における究極の成功についてだ。語られることを知る前と知った後では、世界のことがまるっきり、違ったように見えてくるかもしれない。
この机の前に座る登場人物は2人いる。投資家と起業家だ。投資家の仕事は、世界の金を動かし、それを才能ある起業家に投資すること。そして起業家は、この世界そのものを動かす。この資本主義の世界を今の姿にしているのは、いつもこの2人の人間なんだ。投資家と起業家の対話を聞いていれば、この世界は誰が変えているのか、どのようにして変わるのか、そして成功とは何かが理解できるようになる。
起業家は新しい車を作る。投資家はその車に入れるためのガソリンを調達するのが仕事だ。そして起業家と投資家は、同じ車に乗って、新しい世界を見に行く旅に出る。世界の旅の先にできたもの。
投資家の僕の仕事は、世界がどんな危機的な状況になろうと、「君は必ず成功する」と起業家に言い続けること。
投資家の仕事は、いわば世界の未来を作ること。命をかけて努力をしている起業家たちに、真に正しい支援をし続けること。成長した彼らが、正しい賞賛を受けられるようにすること。そして一緒に、世界をよりよく変えていくこと。
僕の机で若き起業家たちに話してきたことを、今から7日間かけて君に話そう。
DAY1 熱があるなら、ぶつけようぜ
僕の会社は、行き場を失った栄養の足りていない若者が、死んでもプロダクトを作りたいと熱だけを持ってやってくる。ここはただのオフィスなんかではなく、人生を自分の熱だけにかけているやつ、熱に振り回されて、暴走している奴らだけが集まるアジトだ。
才能が人を起業家にするのではなく、行き場のない妄想や熱が人を起業家にする。起業は熱でできている。
君が人生で何かをしでかす人間になりたいと思うなら、まずは自分の熱源に気づくことだ。このアジトにいるのは起業家たちだが、みんなその熱源を見つけた結果、起業を選んでいる。そうしたやり場のない熱を事業にぶつけて、言ってみれば全員で人生の暴走をしている。
僕は宇宙の始まりみたいに熱くて、危うい人間に会いたくて、この仕事をしている。
私は少年の頃、勝ちたいことだけが、人生の目標になっていた。同時に、このアンリ少年が幸せだった事は、根性がなかったことも幸いし、自分の勝てるゲームを探し続けるというマインドを持ち、そのための挑戦を若い頃から続けることができたことだった。それが結果として投資家の素地になった。
青春時代のやり場のない熱のまま暴走する気持ちが痛いほどわかるからこそ、僕には熱を持っているやつと、熱を持っていない奴がすぐにわかる。
起業とは、夢を見続ける生き方である。熱を持った若者にとって起業は圧倒的にコスパが良い。起業は熱だけでできるし、活躍するプロ野球選手並みの金銭的成功すら狙うことができる。実はローリスクハイリターンなゲームだ。
さらに、ほどほどの成功で人並みに食っていくことができる。起業とは事業を起こすことに他ならない。世の中には、誰も気づかないほどにニッチな事業で巨万の富を得ている起業家もいれば、ほどほどの収益だが、自分の趣味と仕事を両立できるような事業を行い、人生を楽しんでいる起業家もいる。
起業は職業ではなく、終わらない夢を見せてくれる生き方である。夢は見ることより、見続けられることの方がはるかに重要だ。起業は果てしない夢などではなく、君にどうしようもない熱があるなら、人生において一度は選んでおいて損は無い、ただの選択肢の1つだ。
起業、さらには事業を作る上で重要な事は、価値のズレに気づくことである。起業の基本的な原理は、古本の販売などに代表されるせどりである。つまり、掘り出し物を安く見つけて、高く売り利益を得ること。
せどりをするためには、まず世の中で価値がずれているものに気づかなくてはならない。例えば近所の古本屋で見つけた100円の古本が、Amazonでは1,000円で売られていたりする。これが価値のズレだ。
エアビーの始まりも、誰でもできるせどりだった。地元で大きなイベントがあり、周囲の宿泊施設が満杯になっていた時、インターネットで呼びかけて、宿泊料が意外な収入になった。
事業とは誰でも考えつくことを、100倍の規模でやること。小さな思いつきをとんでもない規模に拡大させる。
失敗しがちな起業家がよくやるのが、クオリティーを担保するために小さく始めること。この段階で、この起業家は100%失敗する。起業で成功するためには、まず規模にアプローチしなければならない。規模を変えてこそわかることがある。
10年後の格差は、今の君の熱が決める。どんな偉大な起業家も、創業当初のビジネスはひどいもんだ。起業というのは、自分の手で、大きな規模の事業を実際に作ったかどうかだけで決まる。能力の差以上に、選択の差によって、10年間の差が生まれる。たった10年で、ほぼ能力が同じだった人間が、会社を作って雇う側と、雇われる側になる。
DAY2 生きる場所を、選び間違えるな
成功の9割は場所で決まる。日本人は努力が好きだが、投資家の視点から見ると「どこで頑張るか」という前提が重要である。どんなに全速力で駆け上がっても、そこが下りエスカレーターだったら、階段を普通に上がっている人にも負けてしまうかもしれない。その努力は効率が悪い。
結果を出すには、正しい努力を行う前に、正しい場所にいることの方が重要である。
必要な事は、自分にとって正しい場所を見つけること。見極めること。そして自分をその場所に位置づけることさえできれば、成功は保証されたも同然だと信じること。
clueの阿部亮介は、確実だが中途半端な成長しか期待できない場所ではなく、不確実だが、非常に成長できる場所にいたほうが成功するタイプだ。結果としてでかいことに挑戦できる状況に身を置くことで、彼は自らの才能に気づき、どんどん自分を伸ばすことができている。
僕が凡人でありながら人並み以上の成功をものにしてきたのは、勝手に成長させてくれる場所に自分を位置づける戦術に長けていたからだ。その戦術は、常にクラスや学校のトップ集団に自分の身を置いて、その中で平均点を取るという単純なものである。これはドラゴンボールにおけるクリリン効果である。
だから僕は、投資する起業家のいる場所をいつもシビアに見ている。
移動がめんどくさくなり、全員集合だという僕の独占的な判断で、フリークアウト、campfireなどを集めた六本木のボロビルが、結果的にスタートアップの爆心地になった。このオフィスをスタートアップの爆心地にしていったのは、理屈でも戦略でもない、ただの空気だった。
僕の投資スタイルは、この六本木オフィスを再現することが全てと言っても良い。大切なのは、惰性で起業家になれる場所に身を置いておくこと。
起業家という生き物はみな、極端な仕事をしている。例えてみれば、1人の人間が100年かかってやることを、3年でやろうとするような仕事だ。さらにその3年間で、一生分の金を稼ごうとする。金銭的にも身体的にも限界な起業家と米を買いに行くことが僕の仕事である。
米を買いに行く。つまり、自分では食えない飯を他人に買い与えてもらうわけだから、それは人間として少し屈辱的な状況だ。そこに平然と出てくることができるのは、つまらない見栄やプライドを捨てて、事業に没頭できている証拠でもあり、起業家としてはむしろ良い状態だ。
失敗する起業家の代表格は、何でも自分で抱え込もうとするタイプだ。心配や不安を全部自分の中に抱えてしまう。そうすると必ず失敗する。事業なら何度つぶしても大丈夫だが、身体は1度潰れると取り返しがつかない。そのことを知ってもらいたくて、今日も僕は米を買いに行く。
DAY3 成長しなければ、死ぬ
成長という原動力がなければ、出資者も投資家も起業家も社会も誰も幸せにならない。価値を生み出し、事業を大きく成長させるというのは、ベンチャーキャピタルの循環に関わるものとして、最低限の責任である。
起業家は、事業の成長に対して意味のある努力をするために、意味のない努力をしない決断をしなければならない。起業家の成長は事業の成長だけである。
スタートアップは最初、自分と共同創業者だけの言ってみれば、ちゃぶ台を囲めるような人数で始まる。その時の対話は個人間のみに行われる。
しかし事業が伸びれば当然、それだけの人数では、やりくりできなくなるので、営業担当やエンジニアを雇うことになる。社員数が30人位になると、経営者が、それぞれ個別に対話ができる限界に達する。すると経営者には「組織と対話する」という能力が求められるようになる。数人規模であった創業当初の個人間の対話とは違う言葉で話さなければならなくなる。例えば朝礼での挨拶や全体での会議の発言だ。
それらの言葉が社員30人全員に、自分に直接会話してくれているような響きを持っていなければ統率が取れなくなり、事業は停滞するか、シュリンクしていく。
さらに事業が成長し、100人位の組織になると、自分の代わりに組織を管理できる役員やマネージャーを採用することも必要となる。この人生も非常にシビアだ。さらに成長していくためには、自分より優秀な人を採用していかなければならない。
そして、いよいよ会社が100人以上に成長してくると、今度は社長である自分がいなくなっても回る仕組みというものを作っていかなければならない。スーパー個人技ではなく、法人としての組織の力が問われる段階であり、上場などに向けて自分が頑張らなくても淡々と伸びていく組織を作るのだ。
会社というのは生き物で、子育てと同じで、事業が成長するために必要な、特定の時期に起きる出来事、やらなければならないことがおおよそ決まっている。それらのイベントをまるでチェックボックスにチェックマークをつけるように1つずつこなしていくことで、起業家は経営者としてのスキルとマインドを成長させていく。ところが、事業が成長しなければ、これらのイベントは発生しようがない。
これは、ドラクエでずっと始まりの街の周辺でスライムだけを倒している感じだ。レベルは5で止まり、魔法も使えなければ、中ボスにも仲間にも巡り会えない。事業の成長が止まれば、起業家の経営者としての成長はそのフェーズに留まらざるを得ない。
これが事業の成長と起業家の成長が連動する理由である。順序として、まず事業の成長が実現されてこそ、人間的な成長がある。
さらに言えば、事業さえ伸ばせれば、どんな人格だって成長できる。なぜなら、合理的に考えて、事業を伸ばし続けるためには、人格者であったほうがはるかにお得だからだ。つまり、どんな人間だろうと、事業が伸びていれば、それに適合した人格になっていく。成長する事業が優れた人格をつくる。
投資家というのは、事業に投資しているように見えて、実は起業家の成長機会に投資をしている。
結果を受け入れず、人間的な成長とか、美学やビジョンなど、あやふやなものを相手にしている起業家はいつまでも成長しない。事業の成長のみが起業家の成長だと割り切り、成長機会を求め続けていくのが起業家としての正しい選択である。
天才的な起業家でも、打率は3割。判断を誤る起業家ほど、今ある事業で成功することしか考えられていない。イチローだって冴えない試合はあると割り切る。
スタートアップ界隈では、世界を変えるほどの大きな目標を持っていた起業家が、気づけばずっとスモールビジネスをしているということがある。大企業から受託を受けると瞬く間に仕事がたくさん来て忙しくなる。メイン事業は伸びていないものの、会社の経営自体はうまくいっているという奇妙な状態になる。投資家としては、どこにでもいるウェブサイト制作屋さんに投資するだけ時間の無駄だ。スタートアップの起業家の使命は、事業を圧倒的に成長させること。スモールビジネスのように、最初から天井の決まった成長を目指すものではない。起業家の死は、資金が尽きることではなく、挑戦を辞めることだ。
UUUMの鎌田社長の凄みは、誠実さとそれを支える尋常ではない仕事力である。彼はどんな人と接する時も徹底的に腰が低く、決して締め切りや約束を破らない。自分が一度決めた事は、必ず実行する。誰にも「この人の頼みや断れないな」と思わせるところがある。
上場というのは、投資家にとっては、少し複雑な感情が交錯する時間だ。上場は、起業家にとっては新しいビジネスステージの入り口である一方、投資家にとっては、これまでの投資を回収する出口である。
事業が成熟するにつれ、場合によっては、投資家と起業家が離反することもある。2人の目的は、どんな仮説に乗って新しい世界に行くこと。上場はその手段でしかない。両者ともその事はわかっているはずなのだが、起業家と投資家は役割が違う。最後は、お互いの違いが最も明らかになる瞬間でもある。
旅の目的が果たせたら、僕ら投資家は車の助手席から一度降りなければならない。
鐘を打ち終わる時、起業家の中に、自分は圧倒的に正しいという確信が生まれる。そこから起業家は変わる。顔つきもまるで別人のように変わっていく。
DAY4 君は、人類の年表に触れたくはないか?
ベンチャーキャピタリストの仕事は、事業会社や機関投資家から出資を募り、ファンドを組成すること、スタートアップに投資を実行すること、IPOやM&Aを手伝うこと。それらの業務の性質と、大手の投資銀行出身者が多いことから、ベンチャーキャピタリストは金融業っぽく見えるところがある。しかし、それらの実務は、知識と経験さえあれば誰にでもできる。
ベンチャーキャピタリストの仕事の本質は、起業家に自分の能力を気づかせたり、その能力を存分に発揮し、成長できる環境を整えたり、倫理観を育てたり、適切な健康意識を教育したり、進むべき道に導いたりといった、起業家としての才能をいかに取り扱うかにある。つまり、お金を扱う金融業ではなく、才能と対峙する才能取扱業だ。そして、その使命は、才能を見出し、開花させ、その人物に資本を適切に分配することで人類を進化させること。
ベンチャーキャピタリストの仕事は、未来で爆発的な加速を引き起こすイノベーションへ効率よく資本分配し、産業の新陳代謝を高めること。
僕のファンドは、独断と偏見で決める。大手企業のように客観的で合理性のある意思決定はないし、ファンドの投資対象なんてものも基本的にはない。投資する会社のフェーズも確定していない。市場の動きに応じて、適宜直感的に、かつ柔軟に判断する。今の時代、独断と偏見こそが、唯一の投資理由になる。
日本の経済全体が落ちていくフェーズでは、新しい市場と新しい仕事を作り出す戦時のCEOが求められる。そうした経営者には、ある意味では、独断と偏見による、短期的には意味不明な意思決定が最適な行動原理になり得るのだろうし、そのためには、独断と偏見で投資できる戦時の投資家が必要だ。
直感は、言語化が追いついていないだけで、自分の中の経験則とロジックから脳が計算してはじき出した、思考の1つの解であることに変わりは無い。
独断と偏見と直感で決めるというのは、別に意思決定を放棄したのではなく、むしろ右脳と左脳を合わせた全脳を使って決めるという事でもある。
日本の多くのベンチャーキャピタルは、組織型のベンチャーキャピタルである。組織型は、良い意味でも悪い意味でも企業体であり、ロジカルだ。大きな金額の資金を運用しやすい一方で、投資には常に合理性が求められる。そのため失敗しないように投資をしていくことになる。
一方で、僕のように独立系と呼ばれるベンチャーキャピタルは、僕個人の与信への出資によって構成されるファンドを運用する。歯並びが良かったからといった理由ですら投資が可能で、研究開発系の先鋭的なシード期のスタートアップにも独断と偏見で投資が行える。
そもそもシードというのは、コンセプトや事業計画はあるけれど、商品化されたプロダクトはまだないスタートアップのことをいう。まだ会社とは呼べない種のような段階だ。続くアーリーからシリーズAは、事業を軌道に乗せていくフェーズである。コンセプトを具体化するために、エンジニアを雇ったりする必要があるため、シード期と比べて断然会社っぽくなる。しかし事業ではまだ利益を出すことができない状態だ。ほとんどのベンチャーキャピタルが投資するのはこの段階、早くてアーリー、一般的なものがシリーズAだろう。
シリーズBは、事業が軌道に乗り、利益をどんどん出していくことができる段階である。事業を作るために行った投資を事業の利益が上回り、損益分岐点を超えたといった嬉しいニュースが入ってくる時期で、この頃になると、完全に会社と呼べる状態だ。
シリーズCでは、キャッシュフローの黒字化や、金融機関からの融資も良い条件で受けられるなど、事業の社会的な信頼が高まる。この時期になると、会社ではなく、企業と呼ぶ方がふさわしくなる。
そしてANRI語における「ど・シード」とは、そもそも種ですらない状態、言ってみれば、そう、ただのロマンだ。シード投資こそが、才能取扱業であるベンチャーキャピタリストにとって、究極的であり、本質的な投資だ。
人は今をただ生きたいと生きる以外、死に対してできる事は無い。
DAY5 怖いけど、僕は「逃げない」
MERYの創業者中川綾太郎は、朝がどうしても起きられないという理由だけで就職する選択肢を早々に消し取った。朝起きずに済む将来の全選択肢は、ニート、フリーター、ヒモ、フリーランス、そして経営者の5択。
彼には生まれつきともいえる、物事を俯瞰して捉える視座が備わっていた。これは経営者にとって必須ともいえる素養だ。ノープランだけど、経営者になることだけは決めていたのだ。
綾太郎はコンビニで女性誌を眺めていた時、女性のファッション誌的なメディアが、インターネット上にほとんど存在していないことに気づいた。彼は決してメディアを作ろうとしたのではない。ただインターネットになかったものを作ろうとした。綾太郎は、インターネットの個人をエンパワーする力を信じていた。
彼は、起業から買収されるまで、一度も資料というものを作っていない。これは歴史上前例がないし、今後も起こり得ないと思う。彼らは常識的な限界をとっくに超えたレベルで仕事をし、ただサービスだけを作り続けた。
ベンチャーキャピタリストとして模索段階の時に僕が唯一やった事は、笑って大丈夫と言って、寄り添うことくらいしかないと割り切ること。
与信は多数決ではない。その人間に対する信頼の源泉というのは、世間の評判や経歴にあるのではなく、目の前のその人間のやってきた日々の行動にこそある。
成功とは、実は金や名声なんかとは一切関係がない。成功とは、一言でいえば挑戦し続けることだ。どんなに大金や名声を得ていたとしても、挑戦をしていなかったり、挑戦を途中でやめて、現状に満足してしまっている人間は、決して成功者などではない。
どんなに辛い状況に陥っても、もしくはどんなにもはやあえて挑戦する必要もないような状況になっても、再び足を踏み出し、前を向いて、新たな挑戦を始めること。
ハワイに豪邸を構え、アーリーリタイヤしている人間、事業や投資で一度大成功納め、その後は守りに入って大して挑戦もしていない奴らは、本当に口が悪くて申し訳ないが、僕から見ればただの失敗者だ。
スタートアップの経営にもピークの年齢がある。それは、26歳くらいから30歳に達するまでの、たった数年間だ。脳の瞬発力と回転数だけは衰えていく。挑戦のためのゴールデンタイムを犠牲にしてはいけない。
僕は、ベンチャーに関わる人間には、ご機嫌でいる責任があると思っている。これは、人生に対する態度にも近い。辛い顔していようがニコニコしていようが、どうせしんどい事はしんどいんだから、だったら楽しい気持ちでやったほうがいいし、そのほうが成果も出る。
真剣ではあるべきだが、決して深刻になってはいけない。僕らには、全力で楽しむ責任がある。
ベンチャーキャピタリストは孤独な仕事である。ダメな時は叩かれ、本当に良い仕事をしている時は誰も気づいてくれない。誰かに褒められたり認められたい人、自分がヒーローになりたいというような人間に、この仕事は向いていない。
企業家が下降気流にはまってしまった時、というより地獄に突き落とされている時にこそ、ベンチャーキャピタリストの役目が出てくる。地獄とは、事業が止まる、資金が尽きる、経営陣が仲間割れする、裏切られる、不祥事起こす、天災が起こるなど、いろいろなパターンがあるが、要は最低最悪な時だ。業界用語ではハードジンクスなんて言ったりする。
ベンチャーキャピタリストになれる人間は「友達を見捨てない」マインドを持つ人である。これさえあれば、ファイナンス系の知識などは後からどうでもつけられる。
超優秀な奴ほどロジックだけで状況を分析してしまう。そして詰んだと思った瞬間にすっと戦意をなくして、めちゃくちゃ逃げ腰になる。でも本当は、そこから勝負が始まる。将棋や囲碁でもそうだが、盤面が詰んでいるように見える状況から生き筋を見つけ、生き残る。
修羅場では、そんな状況でも元気でいられるやつしか戦えない。投資家は明るくあるべきだし、起業家も悲壮感に沈んじゃだめだ。社長はピンチの時こそ笑うんだ。
ダークサイドに落ちる起業家はグロースしていきなりモラルを崩壊させるんじゃない。モラルが低い人間の弱い部分が、傲慢になることで顕在化してくるだけなんだ。自分でも気づいていない本当の自分が、大成功や大失敗といった極限状態の時に初めて見えてくる。ベンチャーキャピタリストの仕事にモラルの形成が重要性を増してくる。
ベンチャーキャピタリストがすべき事は、勉強会を開くことではなく、日々の生活の中で見落とされがちな些細なモラルを、ちゃんと守らせるだけだ。ベーシックな倫理観を徹底的に叩き込む。
ゴミを捨てっぱなしにすること、遅刻やドタキャン、トイレの便座を上げっぱなしにすること、ホワイトボードを消さないこと、電気をつけっぱなしにすること、自転車を雑に止めるやつらもダメだ。
DAY6 こんにちは先生、起業しませんか?
技術系スタートアップへの投資の仕事を一言で言えば、「こんにちは先生、起業しませんか?」である。調査を行い、面白い研究をしている先生の大学の研究室を訪問し、起業に誘う。
僕らの使命は、投資家が、研究者と会うことをもっと自然なものにすること。より多くの研究者が、起業をキャリアの選択肢の1つとして選べるようにする。
研究者が事業化に興味があれば、次の僕の仕事は、社長候補を探すことだ。大学の先生はアカデミアで研究を行うことが使命であり、そのポストに就くために多大な努力をしてきている。それをあっさりやめて成功するかわからない事業にフルコミットすることはリスキーすぎる。そこで会社を経営してくれる別の社長候補を見つけ、先生は技術顧問兼共同創業者という形でコミットしてもらうのが一般的である。この社長候補探しが、1番苦戦を強いられる部分ではある。
理想を言えば、出自が理系で、技術系スタートアップで、一度イグジットを経験していて、研究分野にも明るい起業家がいい。理想に適う人はなかなか探せないのが現実である。僕が社長候補に求めるのはたった1つ、愛である。愛さえあれば、仮にその社長候補が理系でなく、技術系に明るくなくても、1つ屋根の下で経営ができる。
愛とは、言い換えると、自発的に技術のことを調べて、経営判断をしていく素質があるかどうかである。愛は自発性に現れる。
なぜ自発性が重要かと言えば、社長に自発性がなければ、会社は自走できなくなるからだ。よって僕たちとしては材料だけを提示し、後は自分たちで作ってもらうようにすることを常に心がけている。愛は明確に行動に表れる。
僕にとって起業とは、この世界のすべての不条理に苦しむ天才たちが、起死回生を図るための究極の選択なのである。
この星に生まれたからには、新しい産業を作って、みんなで人類の問題を解決しようじゃないか。
DAY7 圧倒的な未来を、つくろう
ラクスルの上場あたりから、僕が人生で決定的に見失ったものがある。それはてっぺんだ。僕はベンチャーキャピタリストとして頂点を極めたいと願う男だ。ほどほどの満足では終わらず、成功の頂へと登り詰めたい。しかし、上り詰めようとするたびに、不気味なほどに見失うのがてっぺんだ。
これは登山の感覚に似ている。山というのは遠くから見ていると、山頂が簡単に見通せる。しかし実際に登り始めると、雲が被ったりして、近づいているはずなのに、てっぺんと自分との距離がわからなくなる。さらにすり減る体力がより一層、その距離に現実味を与えていく。登り始めると、得体の知れない大きなものに挑戦しているような気持ちになる。そして、登っていて気づかされる。僕が登っているこの山は、孫正義という山だということに。
少し不謹慎かもしれないが、僕は、投資先の起業家たちを頭の中にずらーっと並べて、挑戦しているやつランキングをつけるのが日課だ。自分自身もそのランキングに組み込んで、みんなと一緒に競争しているんだ。
正直、3位以下に落ちたらやばいと、常に危機感を持っている。俺が1番挑戦していると、即答できるくらいでなければ、成長する起業家に本当の意味で正しい支援をすることなどできない。
そこから導き出された結論は、1,000億円という規模で変わらずシード期に投資し続けるだけでなく、その会社をシードからレイターステージまで一貫して支援することで、大成功を収めること。そんなファンドは日本にはまだ1つも存在しない。
ベンチャーというのは、しがらみも過去も、業界内の暗黙ルールなんかも無視して、15年後の社会に向けて直球で解を打ちに行くことができるゲームだ。僕らは常に、フィンテックなどのワーディングを追い越していかなければならない。未来に先回りして、課題を解決し始める。
社会課題を解決するには、大きく2つの道がある。スタートアップという営利の道と、NPOという非営利の道だ。ビジネスにはなかなかできない短期的には収益が上がらない課題解決アプローチはNPOに託し、寄付というやり方で投資する。
自分を追い込むためにもせ「これから毎年1,000万円を、個人の財布からNPOに寄付し続ける」と、Twitterで宣言した。
ベンチャーキャピタルは与信を積むゲームである。27歳でベンチャーキャピタルを1人で始めるとき、1番重視したのが「誰のお金を預かるか」だった。つまり、誰の与信をとりに行くか、である。だから、少額でも良いからキーマン(与信が高い人)のお金を預かった。徳の高いキーマンたちの与信を集めることで、「アンリに会わせたいやつがいる」という紹介で人脈も広がった。
初動の良し悪しで、その先の勝負はある程度決まる。だから、本当にトップを目指したいなら、自分は一体何のゲームに参加しているのかを正確に把握した上で、勝負を始めるときから、成功までの道筋を丁寧に設計しなければならない。
自分がいちばん燃えるシチュエーションは何かと問われたら、僕は瞬時に「何も持たない若い奴が自分を倒しにくる状況」と答える。
ベンチャー投資は極めてシンプルで、伸びている産業に素晴らしいやつらを配置するか、伸びている産業にいる素晴らしいやつらを信じる。
若くて、頭が良くて、頑張れる人間が、ずっと右肩上がりで伸びているITで勝負すれば、何度かは失敗するかもしれないが、いつかは成功する。
負けないための戦いと、勝つための戦いは全く違う。トップを目指す人間は、トップの人間を尊敬し愛するがゆえに、常に彼らのアンチテーゼを叫び続けなければならない。
やりたい、やった方が楽しそうと思うことがあれば、やった方が良い時代になっている。そこには使命感も、気負いも何も要らない。コスパが良さそうなので挑戦しました、でも何でも良い。「君はどうせ成功するんだから、早く挑戦して早く成功する方が良い」
真面目な話、世の中には勉強とか修業とか準備とか、「やったほうがいいこと」は無限にあるけれど、ほんとうに目指すべきゴールから逆算して「今やらなければいけないこと」というのは、実はものすごく少ない。これに気づく人と気づかない人の差は、大きい。
右も左も、「今やらなければいけないこと」を後回しにして「やったほうがいいこと」で毎日を埋めている人ばかりだ。そして、ほんとうはもっと成長も成功もできたのに、やらなければいけないことを後回しにしたことで、ちっちゃい成功しかできなかった人間が、自分の現状を正当化するために偉そうに吐く「アドバイス」であふれている。
性格が良い人間ほどそういったアドバイスを真に受け、若い時期をあまり意味のない努力に費やしてしまう。
他人が無責任に語る「やったほうがいいこと」に、人生を侵食されてはいけない。とっとと最短距離で一点突破して、君の人生をスタートアップさせろ。