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「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」を読んで、記憶の曖昧さを思う

友人の勧めで、この本を手に取りました。

橋本忍は、戦後すぐから1970年代ころまで
「羅生門」、「砂の器」など、
数々のヒット映画を世に出した脚本家です。

「砂の器」は、美しく、哀しく、いつまでも心の中に余韻が残る映画です。

松本清張の小説の一部を膨らませて、この印象的な映画を構想したのが、橋本忍。

私は、この本を通じて、 
橋本忍が
最高度の脚本職人であると同時に
芸術的オリジナリティを有し、
しかも、ビジネセンスを持った人物であることを知りました。

さて、この本で、筆者は、
主人公の生涯について網羅的に描く、というよりも、
作品を中心に、
それに影響を与えた経験や、人物、作品の制作過程について検証しています。

その検証のため、
筆者は、晩年の橋本忍本人へのインタビューに加え、
長い時間をかけて、昔の雑誌の関係者のインタビュー記事、本人が遺した手記などの資料を丹念に掘り起こしました。

その中で、それぞれの言う事実が異なることに気づきます。

誰が、このアイディアを出したのか?
どんな過程でこの作品が生まれたのか?

認識が違うのです。


もちろん、時の経過に伴って、
人の記憶が書き換えられることは、頻繁にあります。

私も、過去にこう考えてきた、とnoteに書き連ねているものの、
当時から本当にそう考えていたのか?と問われると自信がありません。

後で、上手く自分の中でまとめてストーリーにしているのかもしれない。


しかし、この本の中では、比較的最近のことについて数人の人が話している時でさえも、違います。

もし、絶対的存在が、空から全てを見ているのであるならば、少なくともそこで起こっていることつまり、誰が、どう言う動作をしていた、何と言った、はひとつであるはず。

名探偵コナンが言うように
「真実はいつもひとつ!」

でも、現実はそう単純ではない。


きっと、人はそれぞれ自分のフィルターやバイアスを通して物事をみているのです。

だから、人間はおもしろい。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

次の機会には、私の小さな世界での「真実はひとつなのか?」体験を記したいと思っています。





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