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石川九楊『日本語とはどういう言語か』にて

言語の起源に迫る面白い例がこの書物にあったので記しておきます。

文化人類学者の川田順造さんが『無文字社会の歴史』(一九七六年)という本の中で、西アフリカでフィールドワークしたときの報告を書いておられます。モシ族という部族に調査に入りますと、明日は語り部がやって来て村の歴史を語るから、広場に来るようにという。それを聞いて川田さんはテープレコーダーをもって夜明け前から待っていた。すると太鼓を叩く人が広場にやってきて、太鼓を叩きはじめる。そのうちに何か話が始まるのかなと思って待っていた。しかし、いつまでたっても話は始まりそうにないので、テープがなくなっては困るからとテープを止めた。そうしたら最後まで太鼓を叩いているだけで、終わったら一礼して帰ってしまった。そして夜が明けた。やがて掃除をする人がやってきて広場を掃きはじめたものだから、語り部はまだ来ないのかね、と聞いた。「いや、さっきいたでしょ」と掃除する人は答えた。あの太鼓を叩いていた人が語り部だったのです。実は、太鼓の音が歴史を語っていたのです。トントントントンというのが、いってみれば、それが言葉であったということです。言葉とは、文字ができる以前は声であり、音であり、身振りであり、要するに力であった。力そのものが表現であるということです。

――p.300

また、音楽や舞踊のような言葉の時代が長きにわたって続いた後、文字ができたことでかきことばができ、かきことばができたことではなしことばができた、と述べています。はなしことばの新しさに気づく言語感覚を、著者はお持ちのようです。

文字ができたことで言ができた。このときに、音楽が言葉から離れ、舞踊が言葉から離れて独立した。だから、舞踊が言葉の元であったとか、あるいは音楽が言葉の元であったということではありません。渾然とした言葉があった。渾然とした言葉が言というかたちに収斂する過程で、脱ぎ捨て、置き残してきたものが音楽や舞踊というかたちで一つのジャンルとして独立して、それぞれの発展を示すようになったのです。
文も同じです。文字ができることによって、文字に捨てられたところの表現である絵画、彫刻、あるいは文様などが、それぞれの表現として独立してゆくわけです。

――p.302

以上、言語学的制約から自由になるために。