およそ2500年前に説かれた八正道は思考内容を整える教えです。だからといって、八正道のうち「正思惟」だけを意識しても思考は整いません。他の「正見」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の七つも、同じ哲学的平面に乗せることで思考が整います。
およそ2500年前といえば、西洋では、ラテン文字からアルファベットが派生する時代であり、東洋では、漢字が統一される直前の時代です。
当時は、世間様に従って生きるしかなかった民衆が、自分の頭(マインド)で言語活動をするようになり、世間とのあつれきを生じていました。
そんな時代に、世間のしがらみから解放される(出家する)個人のための、きわめて個人主義的な八正道が説かれたのです。しかし、それは、世間から個人(自灯明)が救出されるまでの教えです。
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さて、私は言語意識を探究するために、八正道を自分の言葉に置き換えて、次の図(第五の視座)のように組み込んでいます。
「正見」と「正思唯」は、「観察」と「思考」に、置き換えます。
「正語」の正しく語る能力は、言語社会に「適応」する能力です。
「正業」の実践は、「調和」するところで、カルマを刷新します。
「正命」は意識を「運営」にまで広げて、目先の生活に臨むこと。
「正精進」は努力している振りではなく、共同「創造」すること。
「正念」は人生を、やり過ごすのではなく、「経験」にすること。
「正定」は精神を「変革」し、拠り所となる自己を確立すること。
以上、言語学的制約から自由になるために。