見出し画像

読解力の謎をスピリチュアルに考える #2

今回の記事は、過去の記事「読解力の謎をスピリチュアルに考える #1」のつづきです。会話の現場には霊的サポートがあることを書きました。

私たちは、7歳頃、日本語が一通り話せるようになります。話し言葉の最大の特徴は言葉が会話の現場に密着していることです。たとえば、文字を持たないピダハン族は体験したことしか話さない文化を生きています。森で遭遇した精霊の話もするのです。しかし、彼らは、出会ったことがないイエス・キリストの話は決して信じません。

そんな話し言葉から書き言葉を取り出すのがアブダクションです。

三重苦のヘレン・ケラーが、手のひらに指文字で綴られる “water” と、手に注がれる井戸水の感覚を結びつけるとき、アブダクション(仮説推論)が、発動しています。アブダクションなしに書き言葉はないのです。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』では、文字が現れた七万年前に認知革命が起こったとしています。現実から切り離された言語を獲得して、人類は虚構を語る能力を身につけ始めたということです。

その後、ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』によると、大勢の人々が頭(マインド)で言語活動をしだしたのが、3000年前です。文字に基づく言語意識が活性化し、頭が虚構でいっぱいになり、虚構が邪魔して、神々の声が聞こえなくなった、とも読み取れる書物です。

さらには、W-J・オング『声の文化と文字の文化』によると、西洋において、印刷革命(15世紀)の後、聴覚(声の文化:話し言葉)優位から、視覚(文字の文化:書き言葉)優位へ、社会的信用が移行したとのこと。
書き言葉の虚構性を忘れてしまったのだろうか。

アブダクションが書き言葉を可能にして、会話は複雑になりました。

現場ありきの会話に虚構の会話が織り込まれ、それがそのまま会話文として書き記される悪循環。そんな、虚構と現実が錯綜する文章を読み解くための能力、読解力を身につけなければならない。

話し言葉と書き言葉の始原を知るなら、その話し言葉の密着する現場が本当にあるのかどうか。その書き言葉を支えるアブダクションが現実とつながっているのかどうか。これが、読解の初歩なのだ。

以上、この記事のつづきはまた別の機会に。