読解力の謎をスピリチュアルに考える #7
読解力を身につけるためには、読者の視点を知らなければなりません。
過去の自分が書いた文章を読み直すとき、まるで他人の文章を読むかのように読む必要があります。一般的な読者が、知らない作家の文章を読むかのように、過去の自分の気持ちを意図的に忘れて、文章表現だけを頼りにして、作家の気持ちや人物像をイメージしなければなりません。
すると、イメージと自分とのギャップに気づけます。視点の獲得です。
内なる自分と外なる自分のあいだに言語の壁があります。読者の視点から、ギャップが見えるなら、哲学(言語批判)を始めることができます。
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義務教育の国語科では、読者の視点を教えません。なぜなら、文部科学省の学習指導要領に「読者の視点」という言葉がないからです。「読者」という言葉なら、小学校学習指導要領解説に二回だけ出てきます。
読者の視点を知らなくても、話すように書くことはできます。しかし、それでは、句読点の打ち方を意識しなくても話せますし、息が切れるところまでを段落にすれば、自分にも長文が書ける気分にはなれますが・・・。
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英語の共同体では、16世紀頃に、厳密な文章化が最も求められたようです。そして、読者に読んでもらうための読点は、おそらく、認知し直すところで「:(コロン)」を、知覚し直すところで「;(セミコロン)」を、直感し直すところで「,(コンマ)」を、それぞれ打っています。
ただ、現代では、セミコロンの使い方が忘れられつつあり、それと同じ言語意識領域内にあるhave助動詞が、所有の動詞に転落しつつあります。
日本語共同体では、名詞文(認知)、形容詞文(知覚)、動詞文(直感)、とそれぞれ分かれるところで「、(読点)」が打たれやすい。
以上、この記事のつづきはまた別の機会に。