井筒俊彦『意識の形而上学』で彷徨う
今回は過去記事「井筒俊彦『意識の形而上学』を読む」の続きです。その書物にある「熏習」的メカニズムの言葉を使い、彷徨ってみます。
と言っても、私がイメージする「熏習」は、ジュリアン・ジェインズの〈比喩語〉と相似するので、その言葉も合わせて次の図を示します。
「熏習」が四つの象限を反時計回りに「保管」「修身」「対峙」「交錯」と巡れば「無明の染法」です。時計回りなら「真如の浄法」です。
『神々の沈黙』では「無明の染法」を次のように説いています。
また、「熏習」の相互作用は、次のように二種類あると思います。
「保管」する「熏習」と「修身」する「逆熏習」の相互作用は、
何かを「物」にする。
「対峙」する「反逆熏習」と「交錯」する「反熏習」の相互作用は、
何かを「事」にする。
以上、言語学的制約から自由になるために。