身近な母語の奥底で
およそ八歳までに、挨拶の言葉「おはよう」が使えるようになると、それの潜在的な影響を忘れてしまいます。あなたは、どんな心境で、「おはよう」という言葉を習得できただろうか。
とくに、睡眠中、四次元以上の世界で、自由自在に遊びまわれた子どもは、朝起きるたび、思い通りにならない現実に失望しています。失望感とともに習得した言葉は、使うたびに失望感も喚起しているのです。
可哀そうな私 Poor me
私の場合、顕在意識では、「おはよう」の表面的な意味、いや、合図というべきか、を知っていますが、潜在意識では、自分を哀れむ気持ちが喚起されており、その感情が溜まり、朝起きるのがつらくなっていました。
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ところが、ハイヤーセルフは、そういう事態を指摘してくれません。
そのネガティブな感情も、全肯定しています。
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自分自身に仕掛けた言葉の呪いは、自分で解除しなければなりません。解除できれば、翌朝からでも、楽に起きられるようになります。
母語習得した言葉の多くは、実世界と接地(グラウディング)しています。その言葉に基づけば、出会ったことがない物事の意味を、言葉を組み合わせて、想定できるようになります。
しかし、その母語にストレスの原因があると、生涯、引きずることになります。できることなら、原因の言葉を浄化して捉え直したい。
少なくとも、感謝の念をもって言語化すれば、ストレスを回避することはできますが、感謝は、ストレスの原因を取り除いてはいないのです。
記号接地問題 symbol grounding problem
ところで、認知科学には記号接地問題があります。その記号接地問題について知らない方は、次の記事に触れてみてください。
私たちは、身体感覚を通して知っている言葉が、意外に少なくて、疑似体験できそうな、分かった気がする言葉を、大量に使っています。
母語は、氷山のように海面下には大きな塊がありますが、組み合わせて作った言葉や、今どきのAIが生成する文章は、船のように浮いており、船底の下には何もありません。
言葉の意味は、母語の奥底で、どう結ばれているのだろうか。
スピリチュアルな探究はつづく・・・。