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「自分の思いを、まっすぐに、伝えたい」という望みに気づいた日

昨日、退職した職場でお世話になった先輩と会った。退職して、人と会う、話す機会がなくなり、それはそれとしてほっとしていたところはあったけれど、こころのどこかではさみしい気持ちがあった。だから、直接人と会って話をするのが、とても尊い時間のように感じた。

私と先輩が同勤していたときの上司が亡くなった話題になったときのこと。先輩が「明日もしかしたら、自分もぽっくり逝ってしまうかもしれない。それでも、生きているうちに、こうして会えてよかったよ。」とおっしゃった。そして、「死んでから来てもらう(お葬式に行くという意味)よりも、生きているときに会えるほうが嬉しい。」と。

その言葉を聞いて、確かにそのとおりだと強く思った。お世話になって感謝の気持を伝えたいと思っても、その人が亡くなったら、その人に直接伝えることはもうできなくなってしまう。自分がいくら心のなかで、「本当に感謝しています、お会いできてよかったです。」と思っていても、相手には一切それが伝わらないという当たり前のことに、はっと気づかされた。

「あの人に、ありがとうと伝えたかった」「あの人に、ごめんねって言えなかった」「あの人に、本当は好きだったと伝えたかった」こんな心残りを感じたまま、最期を迎えるとしたら?

その問いを自分に投げかけてみる。すると、「私は、自分の思いを、伝えたい人に、まっすぐ伝えたい」という望みが出てきた。こう言ったら、相手はどう思うだろう、相手を怒らせたり、傷つけたらどうしよう、とモヤモヤ考えて、結局言わないことを選択することが私は多かった。でも、突き詰めて考えると、相手のこと云々より、自分が傷つくのが怖くて、一歩が踏み出せなかったのだと思う。自分を守るために、言わないことをあえて選択していたことに気づく。

「言わないこと」を積み重ねた結果、私の感覚では、自分のなかで消化不良をおこしたり、エネルギーが循環していかない、そんな気がしている。封印してきた私の気持ち、思いが行き場をなくして、さまよっているような感じだ。だから、これからは「自分の思いを、言葉にして、相手に伝えること」を実践していきたい。当たり前すぎて、拍子抜けしてしまうけれど、そんな私の今の望みをアウトプットしようと思ったのだった。


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