坂東玉三郎さんの舞台と、動画。

去年12月、パンデミックによって、良くも悪くも、あの坂東玉三郎さんの舞台が、良い席で見られるチャンスがありました。

この機会はもう無いと思い、チケットを取りましたが、肺が弱い家族にもしもの事があったら、と思い直し、キャンセルしました。

思えばあの時、私は自分で、人生の分岐を選んだのだと思います。

私は今も昔も、舞台や音楽の演奏は、生ではなく、画面上で楽しんでいます。

私にはチケット代、交通費、自分の仕事をキャンセルする事、など、そう何回もできません。

舞台芸術の演者として研鑽していますが、これから生で舞台を楽しむ時間とお金の余裕のある方は、もっと減っていくのでは無いでしょうか。

私は、舞台芸術は画面で見る事がメインになっていく方が、自然な流れのような気がするのです。

悲しいことに、私は生で見たパフォーマンスで、生涯忘れられないような衝撃を受けた事があまりありません。

逆に、お気に入りの動画は、何回見ても、幸せな気持ちになります。

私は、人間にとって大切な感覚をまた一つ諦めたような気がしています。

例えば、私は料理は「ほんだし」で育ちました。本物の出汁で作った料理はもちろん「ほんだし」のそれより美味しいです。でも、「ほんだし」は、私にとって、すでに大切な味なのです。

生で見て、感じる物が、本物の出汁のように体に良い物である事は、紛れもない事実です。ですが、動画、あるいは「ほんだし」で育った者は、「ほんだし」で幸せになれるのです。

人間の発明によって、本来備わっていた人間の良い能力が失われていきます。

でもそれは、一方で、自然な流れでもあると思います。

クラシック音楽は、音階は自然な物ではありません。楽譜も、楽器も、人の発明によってできた物で、そこには常に、「妥協」があり、新しい事への反発は常にありました。

私は、画面と、マイクを通し、そこにも魂は伝えられると、信じてやっていくことの方が、今までやってきた事よりも、ストレスを感じる事がないように思います。

取り急ぎ思いつきを書いたのでまとまりがありませんが、

たびたびまた考えをまとめていきたいと思います。




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