私にはダウンの姉がいます。①
私の価値観から申し上げます。ダウン症も個性だし、私の姉は才能の塊です。
おはようございます。好日です。今日は私の身内について話そうと思います。私の2つ上の姉ですが、軽度のダウン症をもって生まれてきました。上記の結論に辿り着くまでにすごく時間がかかりました。ですが姉のおかげで私には思いやる心と、大切な倫理観が育ちました。長くなりそうなので2部構成で綴っていきたいと思います。
今回は、姉がダウンであることに対して向き合えなかった時期。心が幼かった小中学校の頃の気持ちを書けたらと思います。
姉がコンプレックスだった少年時代。
私が小学低学年の頃、姉はひまわり学級という学校内の支援学級で、授業を受けていました。姉が自分を含め周りと違うのは幼いながらに理解していました。ですが私も子供なので色々嫌なことがあったのを覚えています。
例えば両親は、姉に甘く私に厳しい。そう感じていました。今思えば、私にしっかりして欲しいが故にそうなっていたと理解できますが、当時の私は姉をひいきしているとしか考えることができませんでした。
学校生活でも、ひまわり学級をバカにする同級生がいたりして、傷ついたのを覚えています。小学生って、純粋すぎて逆に恐ろしい事を言ったりするので私には衝撃的過ぎました。
なんとなくですが、姉のことを周りに知られないようにし始めたのも恐らくこの辺りです。
ビクビクしていた思春期。
中学生なんて1番地獄でした。わたしの学校にもいわゆる不良が大勢いました。彼らは人を罵ることでしか自分を見出せないので、当然私の姉を含めた「障害者」はバカにかれます。いじりの対象です。
私は自分の姉が支援学級にいることを知られたくありませんでした。なので、登校時間もわざとずらしたり、学校ですれ違っても目を合わせなかったりしました。当時の私にとってはバレたらいじめられるかもしれない。と言う恐怖がいつも付き纏っていて、怯えていたのを覚えています。
当時の私は中学校という狭い世界が全てでした。そこでの居場所を守ることが第一で、姉にもっと優しくしてあげられてたらと、いまだに後悔しています。
客観的に当時を思い出しても、保身に走っていた自分が恥ずかしいです。
そんな私ですが、転機となる高校一年の出来事がありました。それが今の考え方になるきっかけにもなりました。
今日はここまでで、明日続きを投稿します。