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夫の代わりなんていくらでもいる
食虫植物に吸い込まれていった昆虫を見た感じ、なんとも言えない気分になっています。ドイツ映画「In the Aisles(通路にて)2018」。
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少年院を出た男(クリスティアン)は、まず、前歴問わずの建設業に就職、解雇。
(その間で、少年院の前歴が抹消され)スーパー倉庫の、在庫係の見習いで雇用された。
深夜の退屈な作業で、商品棚の隙間からクリスティアンを見る女性の視線が気になっていた。
ある日、その女性(マリオン)が目の前に現れた。物静かに話しかける妖しい女性に、少年院出所のクリスティアンは、石になった。無口だったのは、大人の女性になにを話せばいいかわからなかった。
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クリスティアンは、一瞬にして心を奪われた。2度目の出会いは、休憩室。彼が、コーヒーを飲んでいた。「そこのベンダーで、私にもコーヒーを買って」と、マリオンは、甘い声で命じた。
それからは、デートもない、通路で話すだけだった。でも、マリオンがときたま見せる笑顔が、小鳥のさえずりのように心地よかった。
「あの女は、問題を抱えている人妻だよ。やめた方がいい」と、お節介な女性従業員たちが、クリスティアンを止める。同性に嫌われる女性は、男の目線を引きつける妖婦タイプが多い。それが、マリオンだった。
その後「マリオンは、夫からDVを受けて不幸な人生を送っている」と、クリスティアンの耳に入る。不機嫌な彼女に、彼が理由を聞くと「なんでも、あなたのせいだと思わないで」と、恋人未満のクリスティアンをつけ上がらせない。
DVに苦しんでるなら、別居とか、離婚とかあるが、マリオンはどちらも選ばない。要は、高収入のエリート社員の夫とは別れない。だから、耐えているわけでもなかった。
マリオンには、クリスティアンの上司(ブルーノ)がいた。ブルーノには、夫婦生活のいろんな悩みを打ち明けていた。親身になって彼女の相談に乗ってくれた。それが、彼の中で恋心に変わっていたのは、マリオンの責任ではなかった。
深夜の倉庫で「フォークリフトを急速に下ろすと、海の波のような音が聞こえる」とロマンティックなことを言われても、暴力夫と別れる気にならなかった。
いまでは、呼べば100mでも駆けてくる、若いクリスティアンがいる。彼は、社員でもなく、見習いでなんの力もないのに、困っている彼女の力になりたいと言っている。
殺風景な倉庫で単純作業をしていると、どこかで人恋しさを求めてしまうものだろう。自分もそうだと、マリオンは思った。
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ある夜、バスで帰ろうとするクリスティアンに、ブルーノが「一杯呑もう」と、
自宅に誘う。
「稼ぎのよかった長距離トラック運転手から、今じゃフォークリフトだから」と、お酒の力を借りても、上司は愚痴っぽかった。でも、フォークリフトの免許を男が取れたのは、上司のおかげだった。
しかし、こんな愚痴を聞かせるために誘われたわけではないことは、クリスティアンにもわかる。二人が親しくなっているのを知り、「マリオンと深い関係にならないよう」嫉妬ではなく、苦い思いをしている大人の男として忠告した。
高速道路のそばで、車のヘッドライトが窓から差し込む住宅だった。明朝、家を
出る妻が眠っていた。離別の原因は、二人にしかわからないが、マリオンと考えると、なぜか合点がいく。
ブルーノには、どうしても呑みたい理由があった。死にたかった。
そして、その夜、ブルーノは首を吊った。
上司の死を聞き、クリスティアンは動揺し、身体が震えるのを止められなかった。
マリオンは、取り乱すことがなかった。離婚させたのは自分かもしれないが、そこまでは望んでいなかった。あの人は、自滅したと思った。トラックのヘッドライトが入る家に住んでいるブルーノには、やさしさ以外のなにも期待していなかった。
亡くなったブルーノ部長の空席には、正社員になったクリスティアンが座った。
そして、クリスティアンは、マリオンの微笑みに惹かれて、ブルーノがたどった
食虫植物の花弁に入っていく。
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