映画には男目線で描かれた女性しかいなかった
<ムービージュークボックス18>
女性は、ハンディキャップを背負ってずっと生きてきたように思う。
外で働く男性たちが、男性に有利なルールを勝手につくった。女性は、永久シードで、社会の脇役になった。
ハリウッドの映画史をたどっても、同様のことが言える。
男性が力仕事をして、ご褒美のように女性との愛が生まれ、ドラマが展開する。そんな映画が続いた。目を離したら恋をするような女性ばかりで、「リアルな女性がいない」と言われていた。
しかし、1970年代になって初めて、生きている女性が映画に現れた。
夫を亡くし、12歳の息子を連れて、ニューメキシコからアリゾナへ、場末のバーのジャズシンガーからウエイトレスへ。既婚のDV男から逃げまどい、死に物狂いで生き抜くシングルマザー「Alice dosen't live here anymore(アリスは、もうここにはいない)1974」が生まれた。
”ケツでピアノを弾けるか”と言って、バーの酔っ払いを蹴散らしたエレン・バースティンが、アカデミー主演女優賞を獲得した。
監督は、マーティン・スコセッシ。この映画に出演したジュディ・フォスターは、スコセッシ監督に見出され、翌年の「タクシードライバー」に起用された。そして、共演者を震え上がらせたDV男のハーヴィ・カイテルなど、優秀なキャストにも恵まれた。
田舎町のアリスから3年、都会のソフィスティケートされた女性が登場する。
恋を重ねても、いいワインにならないことを女性は知っている。
ハグしても、キスしないふたり「Annie Hall(アニーホール)1977」を、ウディ・アレンと、ダイアン・キートンが、誕生させた。
アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞の4部門を独占したことでも、鮮烈なインパクトがわかる。ここで、女性がつねに助演の時代は終わった。
2年後、女性の時代が来ていると、察知した監督のリドリー・スコットは、主役の男優を、シガニー・ウィーバーに変えて「Alian(エイリアン)1979」を大成功させた。
12年後、再びリドリー・スコットが、女性ふたりのロードムービー「Thelma and Louise(テルマ&ルイーズ)1991」を監督し、男社会への不満を、殺人というマイレッジを貯めて旅行する女性たちを描いた。
男社会に復讐した女性たちの後に、猟奇殺人犯に挑んだ女性のCIA捜査官ジョディ・フォスターが、心理チェスゲームで容疑者を追いつめた「the silence of the lambs(羊たちの沈黙)1991」
キャンピングカーで移動する季節労働者フランシス・マクドーマンが、人が土に還る崇高な生き方を教えてくれた「nomadland(ノマドランド)2020」。女性を描こうとして典型をなぞっているのではなく、「人間」として描かれていた。ハリウッド女性映画50年のフィナーレにふさわしい価値を持っている。アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞の3部門獲得が、花を添えた。
男目線で過小評価され、抑制をはねのけた女性が、ふつうに輝く世界が早く到来してほしいと望む。