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「書」報せん J.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』

1.お薬の内容(どんな本?)

名称:小説含有文庫本
成分:アメリカ文学/戦時中/短編集/禅
内容量:302ページ
製造年月日:昭和49年12月20日 初版発行
ご注意:難解過ぎる……と途中で読むのを諦めたくなることがあります。
症状(こんな人におすすめ)
子ども好き、ブラックジョークが好き、アニメ「バナナ・フィッシュ」を見てた、今の職場ブラックかも

2.あらすじ

言いにくいことだけどね、彼らは死んじまうんだ――。新妻ミュリエルと海辺の町に来たグラース家の長兄シーモア。浜辺で謎の魚の話を少女に聞かせた後、彼が自殺するまでを淡々と描く「バナナフィッシュにうってつけの日」。若者が内包する苦悩を、胸に突き刺さるような繊細な物語に託し、世界中で熱狂的な読者を有するアメリカ現代文学の巨匠サリンジャー。九つの自選短編集。(裏表紙から抜粋)

3.効能・効果(書評・感想)

 どうも、アニメ「バナナ・フィッシュ」をよく見てました、空条浩です。アニメがきっかけで手に取りました笑 読んでみたけど難解!! 難しいなーと思いつつも、柴田元幸さんの翻訳と読み比べしながら進めていったので、楽しみながら読めました。他にも何人か翻訳しているようなので、読み比べてみるのも面白いと思います。

 翻訳といえば、原文が言葉遊びに富んでいてより面白いよ! とTwitterで教えていただいたんですが、未だ読めておらず……。原文を読むと翻訳者さんの個性とか見られていいかもしれないので、チャレンジできる人はぜひ原文も手に取ってみてください! 僕はそのうち……と言って逃げるスタイル。

 というわけで本の内容に。こちらの小説、タイトルの通り九つの短編で構成されています。そしてトップバッターは「バナナフィッシュにうってつけの日」。アニメ「バナナ・フィッシュ」の第一話サブタイトルもここからとっています。次の引用部分は主人公シーモア・グラースが少女にバナナフィッシュについて説明している場面。

「あのね、バナナがどっさり入っている穴の中に泳いで入って行くんだ。入るときにはごく普通の形をした魚なんだよ。ところが、いったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる。僕の知っているバナナフィッシュにはね、バナナ穴の中に入って、バナナを七十八本も平らげた奴がいる」(中略)当然のことだが、そんなことをすると彼らは肥っちまって、二度と穴の外へは出られなくなる。戸口につかえて通れないからね。 P29

 あらすじをざっくり説明すると「新婚旅行に来たシーモア・グラースという男性が、なぜか自殺する」お話。さっそく難解ですね……。しかも、何が辛くて自殺をしたのか書かれていないんですよ。ますますわからん……。

 もちろんこの場面について考察している方はいらっしゃって、それを見てみると発見があって面白いと思います。ですが、どうせわからないなら一度自分なりの解釈してみませんか? せっかくまっさらな状態なんだし。

 解釈ってどうするの? 僕は自分の体験とか、その時に感じたこととか、今の時代にも当てはまるよなーと思うことと重ねてみました。

 例えば今挙げた引用。僕は古い慣習にとらわれた企業と重ねました(前の職場の悪口なんかじゃないんだからね)。「いったん穴の中に入ると」=その会社の出世レースに入ると、「行儀が悪くなる」=傲慢になる。「バナナを七十八本も平らげた奴がいる」=稼いだ奴がいる。「そんなことをすると彼らは肥っちまって、二度と穴の外へは出られなくなる。戸口につかえて通れないからね」=新しいことを始めようとか思わなくなる。頭が固くなっているからね。

 こんなふうに自分の身の回りのことと重ねると、難解なものから近いものに感じるかもしれません。そのうえで考察を読んでみると、二度おいしいと思いますよ!

 他にも、今でもあるなーっていう場面があります。

「亭主というものは、あんたのことを、男の子にそばへ寄られただけでもむかむかして、ほんとに吐き出しちまう女なんだと、そんなふうに考えたがるものなんだ。冗談言ってんじゃないよ、あたし。そりゃ話すぶんにはいいさ。でも正直に話しちゃだめ。正直に言うことは絶対にだめよ。前にハンサムな子と付き合っていたなんて言うときには、それに続けてすぐ、それがどうもハンサムすぎてねって言うんだ。頭の良い子と付き合っていたというんなら、ところがその子、ちょっとブッてるみたいでとか、知ったかぶりでとか、つけ加えるのさ。それをやらないと、亭主ってものは、きっかけをつかむたんびにその子のことを持ち出して、あんたのことをどやしつけるんだから」 P53

「コネティカットのひょこひょこおじさん」に出てくるシーンです。今も昔も、男は変わらないものなんですかね笑 周りにそういう人がいるかと言えばいませんが、多かれ少なかれ男はこういうことを思ってしまうものだと思います。こういう人間味のある描写をみると、親近感わきます。

 サリンジャーは大人に対しては非常に皮肉っぽいところがあります。しかし一方、子どもの描写は違います。丁寧に無垢さを描いている。次の引用は「小舟のほとりで」に出てくる場面です。※ネタバレ含みます。


「サンドラがね――スネルさんにね――パパのことを――でかくて、だらしない、ユダ公だって――そう言ったの」
(中略)ブーブーは息子を両腕と両足で万力のようにきつく抱きしめながら言った「世の中にはもっとひどい事だってあるんだから」それから彼女は息子の耳をそっと噛んで「坊や、ユダ公って何のことだか知ってるの?」(中略)
「ユダ公ってのはね、空に上げるタコの一種だよ」と、彼は言った P134

 ここに出てくる「ブーブー」というのはお母さんの名前です。変わった名前ですよね。「サンドラ」「スネル」というのが召使です。

 家に入らず小舟にいる息子。召使の噂話・陰口を耳にしたみたいです。「ユダ公」という言葉の意味は全く分からないけれど、嫌な意味なんだなって言うことはわかる。お母さんはぎゅっと息子を抱きしめる。

 この場面、グッときます。大人の残虐さ、子どもの無垢さ、母親の愛情と、人の様々な感情が詰まっている。「ユダ公ってのはね、空に上げるタコの一種だよ」と息子は言う。本当の意味は違うと大人は知っている。でも、はっとする。言葉の意味が分からなくとも、悪意というのは小さな子どもにも伝わっていしまうのだと。大人と子供、無垢さと悪意を対比しながら、人間関係のリアルをしっかり描いている。すごいです。

『ナイン・ストーリーズ』は突き放すような描写によってその時代の背景を理解した人にしかわからない、と言われることもありますが、知らなくても楽しめます。短編なので気になったタイトルから読んでみるのもアリなのではないでしょうか。最初から読まないとわからないということはありません。描写を丁寧に読んで、その時の体験と重ねて読んでみる。ここでエピグラフを引用したいと思います。

両手の鳴る音は知る。
片手の鳴る音はいかに?
――禅の公案――

 この問いに対する答えは、その時々によって違うと思います。この小説も、読んだ時々によって解釈が変わるかもしれませんね。

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