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デザインを語るということ - 脱・飯テロと人生の宿題
何のためにコンテンツを作るの?パンフレットやUIデザインなど、デザイナーとして、ずっと「枠」を作ってきた。テーマや内容は「支給」されるものであり、送られて来るか聞き出す物であった。
2022年からご縁があって、コンテンツ自体をたまに作る機会がある。しかし、ずっと失敗を重ねてきた。まったく評価されていない訳では無いのだけど、自分で何がやりたいのか分からない。
私の趣味として、「よく分からない動画
それ以上、デザインを語るな。病むぞ。
デザインへの無理解デザイナーとしての矜持を持ち、非デザイナーの理解を得ようと、ここ数年奮闘してきた。
辛い。辛すぎる。この日々が。
理解されないことを、毎日、毎日説明する。
ようやく理解してきてくれた人は退職する。新しい人が来る。また振り出しに戻って説明する。
何年説明しても理解してくれない人もいる。どうしても表層のデザインだけをデザインだという認識を変えてくれない人もいる。
一方、同じデザ
なぜUI開発において、デザイナーが邪魔者になってしまうのか?
デザイナーが"人間の体験"の追求だけをしていて良いのは、プロダクトマネジメントが機能している環境に限ると思う。
プロダクトの主導権を持つ人が、事業面の責任を追う人だけである場合、デザイナーは開発において邪魔にされてしまう場合が多いと思う。なぜって、それは各領域が”調和”していないから。
調和させる役割を、”プロダクトマネージャー”という存在に任せておければ、デザイナーは何も考えなくて良いが、そ
"デザイン"とかいう曖昧な新興宗教で身を滅ぼしている
デザインを続ければ続けるほど、デザインが分からなくなっていくという話。私は、以下のような状態のインハウスUIデザイナー。デザイナー歴丸9年、10年目の苦悩。
"デザイン"を取り巻く環境の変化よくビジネスのマネジメント研修で使われる例えとして「レンガ積み」の話があると思う。これは、デザインについてざっくり話す時の例えとしても使える。
「レンガ積み」の話とは
よく知られている話だと思うが、一応概
デザイナー歩けばマッチョに当たる-デザイン学徒とデザイナーの責任の関係
軽い気持ちでデザインを始めてしまったなと後悔している。
中学生の頃だった。食い扶持を探し、たまたまデザインの世界に飛び込んだ…というより、迷い込んだ。
職人教育高校からはデザイン漬けの毎日。普通科の人がやれ高校生活だ、受験だと言っている間、紙に絵の具を綺麗に塗るとか、垂直並行に線を引くとか、我々は一体、何をやらされているんだ?と毎日クラスメイトと悩んだ。課題が多すぎて睡眠時間が確保できず、普通