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exile3972
書評・評論についてです。
これは非常に重要なポイントなので絶対に僕の書評を読む場合読んでください。
僕は自分を知的な変人だと規定しますが評論に関しある種の暗喩を閉じ込める場合があります。哲学であり批評だからです。
そして、それはネット上に存在する批評家や専門家やその他諸々の顔をする専門家、そしてそれを受け入れる無条件に受け入れる大衆うんざりしているからです。
僕が印象派を愛する人に嫌悪するのはそんなところにあります。
誰かが良いと言ったからそれが良い作品や論評に値する物なのですか?
政治・哲学・文化・国際・宗教・科学者・社会学者・メディア、そういう権威の意見に対してフォアグラのガチョウのように飲み込み常に自分の言葉で実物にアクセスして判断しない人にはある種蔑視しています。
でも、同時に僕は物を書く現代美術作家でもあります。
だから僕は僕の言葉で評論するのです。誰かの意見の受け売りではなく自分で噛み砕いて自分の意見で表します。
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二つの本を引用します。
人生は芸術である。そして完全の芸術のように、それは自己没却でなければならない。...
没却とはすなわちつまり自分を無視することであり。完全な芸術の存在とは無私の存在であるということです。
表現法のいかなる主張も個性の限り可能である
宮沢賢治
これから本当に重要な結論を提示しています。でもここからは思考の根幹部分なのでやりたくはないのですが、本当に僕の意図を読みたい人だけが読んでほしいです。僕って面白そうな人間だと思う人だけに制限をかけたいです。
だからあえて有料にすることをお許しください。そうしないと無料だとこの意見の真髄は伝わりません。
わかるひとにだけ伝わってほしいです。そして多くの人になぜこのような挑戦をするのか理解してほしいです。
これ以外は数ヶ月は有料には絶対にしません。
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