【読書録】フーコー『精神疾患とパーソナリティ』2

 前回、言いたいことが言えなかった。
 そんな、フーコー自身は歴史の闇に葬りたかったこの書だが、それでも得るところは多いと感じる。
 この本は一九五四年に書かれたものらしい。精神医学は発展途上だった。哲学者にとっての精神医学だし、より仔細に症例を検討するのであれば、比べるのも良くないが、中井久夫の著書の方が、精神医学、精神疾患の位置づけとしてははるかにクリアで、明察を含んでいて、広い視野を得られたと感じる。
 それは時代が違うからそうだ。それに、精神医学の概念構築に対して問題提起をしたのが『精神疾患とパーソナリティ』なのだから、役割が違う。ただ、当時のものである、またフーコーの最初の著書の、七年前に書かれた、いわば全体的な思考のドラフトみたいな段階であるといったフィルターを当てながら読む必要はある。
 しかし、それを除いてなお、説得力のある言葉が並んでいる。

 曰く、精神疾患は、身体病のメタファーで語られ過ぎた。身体病が発症するのと、ちょうど同じように、精神病も発症する。薬を飲んで、病が身体から出て行って、治る、という、こんな単純な言葉ではもちろん分析はしていなかったのだろうが、煎じ詰めると、精神疾患に独自なことを顧慮せずに治療が行われている、という点を強調する。
 曰く、病気と機能という個別の切り分けをするのではなく、精神、あるいは身体という全体性から見た、一部の反応であるというような、「メタ心理学」の見方があるが、これをやめるべきだと(フロイトにケンカを売っている!)。メタな視点は、物事を一刀両断する力を持つように見えるが、実際は、上記のような単純化を犯しているので、有用性がない。
 メタの視点を持つべきではない。

 メタの視点を持つべきではない。フーコーの、最初の著書の前に書かれた幻の著書の中で、ふとしたタイミングで出て来たこの言葉は、後の、歴史の断絶を無視して統一的な視点を、今という時代が持ちうると安易に考えるのは間違いであるといったような、フーコーが固持していた一貫した態度の始まりだったのではないかと思える。力強い。メタの視点を持つべきではない。

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