【日記】方法序説を読むなど

 柄谷行人の案内で、デカルトを読むようになった、彼の哲学としての中心的な問題系はすべてデカルトとスピノザとの関係性に還元できるかのようだ、
 変な文章を書き始めた、前に、塊といって公開していた文章と似ているのかもしれない、散文をひたすら書き散らし、一部分は半ば意識的に意味と論理が通らないようになっている、もともとこういう作文法をしていたので、手癖で書いていると言っていいかもしれない、今はそれを読点でひたすらつなぐ書き方をしていて、どうやらその書き方がここにも浸透してきてしまったようで、もしかすると何かのタガが外れてしまうかもしれない、意味とか、しかし根本で考えていることの幅はそれほど変わらないはずで、アウトプットのやり方が変わるだけなのだと、そんな風に考えているが、どうなるか。

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