
母と娘、それぞれの怒り
母は、
自分が持っている「森田療法」の本を、私が読むと怒った。
中高生の頃だ。
雑誌「ゆほびか」や五木寛之の本を読んでいる時も怒った。
「そんなジジババくさいもん読んで!」
だから私は、罪悪感と闘いながら本を読まなくてはならなかった。
森田療法とは精神科医である森田正馬が創始した精神療法で、神経症や不安障害の治療に用いられている。
おそらく父が亡くなって、母が辛かった時に手に取ったのだろう。
母が怒ったのは、自分の弱さを子供に知られてしまったからなのかも知れない。
或いは、
「あんたみたいな子供に必要ないでしょ。辛くないんだから。」
ということかもしれない。
いずれにしても、怒られる筋合いはない。
私が必要だと感じて手に取ったのだから。
母にとって、どんな本ならOKだったのだろう。
そういえば、いつも「何読んでるの」と聞いてくるくせに
読んでる本を教えたら「目悪くなるよ!」と怒っていた。
私も私だ。
なぜ、母から見える場所で本を読んでいたのだろう。
キッチンにはダイニングテーブルがあって、その横にソファとリビングテーブルがあった。
私は大抵、ソファに姿勢悪く座ったり、寝転んだりしながら本を読んでいた。
カウンターキッチンだったので、食事の支度中、母から私の様子がよく見えた。
母は一日中この部屋にいた。
中高生の頃は寂しかったのだと思う。
二階に自分の部屋があるのに、わざわざ母のそばで読んでいたのだから。
でも就職で上京してからは、母と一緒にいたいというより、義務感の方が大きかった。帰省する度に、母が寂しがると思ってキッチンにいた。実際、二階に行くと怒られた。
特に話すこともない(話す片っ端から怒られる)から、とりあえず一緒の空間にいることで母を満足させようと気を遣っていたのだ。
時間を潰すために本を読んでいた。
そのくせ、ひとしきり文句を浴びせられた後に帰りの電車の中で泣いていた。
今回も母を幸せにできなかったと言う罪悪感。
一人暮らしのアパートに戻った夜は必ず「お母さんごめんなさい」と泣きながら眠った。
義務感で一緒にいると気づいているのに、
そんな冷たい感情を持ってしまう、母を喜ばせられない自分に、
罪悪感を感じていた。
呪いが解けたのはいつの頃だっただろうか。
とても曖昧だ。
「これをやったら呪いが解けた☆」みたいなハウツーはない。
というか、そんな情報は、きな臭いと感じる。
現実は、少しずつ解けていくものだと思う。
母に言いたことをぶちまけるとか、
自分に夢中になるとか、
母からの愛情を諦めるとか、
母の話を興味深く聴くとか、
いろんなことを重ねて、時が経って、いつの間にか
「お母さんごめんなさい」という罪悪感は薄くなった。
でもまだ、生きてるうちに何かできることはないだろうかとは思う。
それは、義務感からというより、一人の女性として、辛そうな母の気持ちを柔らかくする手伝いができるといいな、という感覚だ。
怒りは自分の思い通りにいかないから発生する。
母は私に対していつも「怒り」を向けてくる。
「私をこれ以上心配させないでよ!」という怒りか、
「寂しいから構ってほしいのに冷たいよ!という怒りか、
定かではないが。
母の怒りを受けて、
私は私で「怒り」を抱えている。
結婚せず、
子供を作らなかった。
これは、「怒り」からくる無言の主張だと思っている。
母に対して、世の中に対して。
「結婚して子供を産まないと一人前になれないよ」
「女の幸せは結婚よ」
「男を立てるのが賢い女」
と云う、母の言い分に対する無言の主張。
なぜ結婚することで女の仕事が増えるんだろう。男は働きやすくなるのに。
命懸けで子供産んで、子育てして、家事やって、共働きして、夫も立てないといけない。
しかも仕事は夫より軽くみられる。
会社でもなんとなく女は蚊帳の外。
30過ぎて未婚であると「子供は早く産んだ方が良い」と圧をかけてくる。
こんな気分の悪いことを女に強いる社会に、いい顔する必要ない。
当然のことと思うなよ。
と云う、世論に対する無言の主張。
これは20〜30代の頃の「怒り」だが、
今は今で、日々「怒り」がある。
この歳になってまだ湧いてくる「怒り」に辟易する時もあるが、
「怒り」があるからこそモチベーションが保たれているとも感じる。
南海キャンディーズの山里亮太さんの凄さは「怒り」を持ち続けられることだと周りが言っていた。
あんなに大成功して、可愛い奥さんと子供がいて、誰もが羨む地位にいるのに。
まだ毎日何かに怒って、それを笑いに変えている。
青春時代のようにずっと怒りをパワーに変えられるというのは稀有なことかもしれない。
そう思うと、
このパワーの源である「怒り」を与えてくれた母に感謝してる。
私の「怒り」は、
自分や世の中を良くするパワーに変えていけると思っているから。
そうやってペイフォワードしていきたいんだ。