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怒りの正体

今日も子供に怒鳴り散らしてしまいました。
子供に一方的に怒鳴り散らすなんて、最低の母親だと思います。
でも、湧き出る怒りが止められなくて、強い口調で怒鳴り散らしました。
ホントに私は、未熟者です。

一人になって、落ち着いたら、罪悪感が追いかけてきて辛いです。
この怒りの正体は何か。
深く考えようと思いました。
この怒りは、きっと自分の抱える何かがそうさせている。
そして、怒って怒鳴り散らして終わらせたこの感情の正体はきっとまた違う形になって私の前に現れる。それが自然の法則なのです。
ここに私の闇が隠れていると感じました。


子供にしようと思っている事

私は、子供たちに必要な教育やチャンスを与えたいと思っています。
いつも一番の理解者になってあげたい
美味しくて健康的なご飯を食べて欲しい
清潔で安心できる家を整えたい

自分がして欲しかったこと

小さい頃、私は自分の好きな習い事をしたことがありませんでした。
ピアノだけ4年くらい通いましたが、音楽センスゼロなので、全然面白くなくて小3くらいで行かなくなりました。
スポーツや英語、習字などの習い事をしたかったと中学生くらいから思うようになりました。結構今でもそれは傷に思っています。
特定のスポーツをしている子はやっぱり体育では培えない運動神経をもってるし、英語を習っている子は中学英語で苦労した自分とは次元が違う世界にいるし、習字を習っていた子はやっぱり字が綺麗。プールを習っている子は泳げるけど、私は小学校の頃はなんとなくのクロールをしてましたが、今では泳げません。

親がしてくれなかった理由

私は姉と、双子の姉がいます。私が双子です。
姉が賢い人でした。
双子の姉は未熟児で生まれたこともあり、母は彼女の心配を良くしていました。私は、小さいころは、体も大きくて、勉強も特に問題なくできたので、親から見れば手がかからない子だったと思います。
今から40年前に、3人の娘を育てることは今よりもっと大変だっただろうな、と子供が出来てからよくわかるようになりました。
習い事させている暇がなかったのだと思います。
スポーツ系は親がやることが多かったのもあり、スポーツの習い事があること自体も教えてもらったことがなかったです。
双子の姉は、字が壊滅的に汚いことから習字、小学校高学年から肥満と言われる体形になってきたのでプール、後はピアノを習っていました。

自分が昔できなかった事を、子供に不自由なくさせてやりたいというのが私の原動力になっているかもしれない。

実際やってみて思う事

実際やってみて思う事は、親が結構な犠牲を払って時間を捻出し、子供の習い事の送迎、付き添いをしているという事に、子供自体に感謝されるわけではない、当たり前にとらえられていることに、若干苛立つということでしょうか。
私がやりたくてやっている。
でも、もう少しくらい感謝の気持ちが欲しいと思ってしまう。

これもまた「期待」を手放せない、私の思考パターンなのかも。
色んな事考えてきたときに、私はいつも「期待」を裏切られて、腹が立つ事が多いという事がわかりました。
「期待」=「甘え」とも取れるのかも。
親にもっと褒めて欲しい、見て欲しい、気にかけて欲しい、その甘えの気持ちを子供時代に処理できなくて、人生のあらゆる場面で、その甘えが出てるのかな?

相変わらず色んな自己啓発系の本、YouTubeを見ていますが、
「親との関係」がいろんなところで影響していると言うメッセージを頻回に受け取ります。

親との関係をクリアにするって事をもっとやっていこうと思います。


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