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再読③:嫌われる勇気

まだまだ、頭に叩き込みたい場所があるので、メモしようと思います。子育て中のパパ&ママさんとかにも響く場所なのではないかと思います。
良かった読んでみてください。

対人関係のゴールは「共同体感覚」

対人関係のゴールは「共同体感覚」であると哲人はまとめます。
これだけ読むと、全然意味が分かりません。
1回読んでるのに、わけわかめになってしまい、周辺を何度も読み返しました。

哲人:中略 他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを共同体感覚といいます。
中略
哲人:そして、自分の人生における主人公は「わたし」である。ここまでの認識に問題はありません。しかし「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。

嫌われる勇気P.179 ~

耳が痛いです。
私は、世界の中心に自分がいるってずーっと思ってきたと思います。全体の一部であるって考え方に関しては、出来てる時とできていない時があったと思います。

出来る時は、子供の保育園での立ち振る舞い・町内での立ち振る舞い。
円滑に物事が回ればいいとだけ思っているコミュニティだと、目的がそもそも自分の正しさとかは必要としていないので、私の正しさセンサーが引っ込みます。引っ込まない時もあるけど、その時も誰かに主張したりはしません。noteで愚痴るか、旦那にぶつけるか・・

出来ないときは、仕事。家庭の中。
自分の正しさを振りかざす時は大抵、私は全体が見えていない時ですね。
子供に対しては「お母さんが正しいに決まっている」という態度を出してしまう事があります。夫に対しても同じ。この家庭の中で正しいのは私だと思い込んでいたのです。ひどい暴君だな!
仕事でも、全体で見ての正しさを考えたこと、あんまりなかったかも。全体で見ても、自分の考え方が正しいはずだという主張を繰り返してきたように思います。

哲人:中略 われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です。

嫌われる勇気P.193 

家庭とか、職場という小さな共同体に目を向けるのではなく、地球とか宇宙とかくらいでかい共同体で考えてください。と哲人はいいます。
正直、会社にいるとそうはうまくとらえられない事の方が多いです。
でも、そんな考え方もあるって心の片隅に置いておくのが大事なのかもと今なら思えます。

「縦の関係」と「横の関係」
叱ってもだめだし、ほめてもだめ

青年は、「課題の分離」から「共同体意識」へ進むための道筋を哲人に問います。私も、それら二つの重要ワードのつながりがわからず、それが知りたいのだと先を読み進めます。
哲人は、「横の関係」という概念が必要になるといいます。

哲人:中略 ほめてもいけないし、叱ってもいけない。それがアドラー心理学の立場です。中略
 ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。
中略
われわれが他者をほめたり叱ったりするのは「アメを使うか、ムチを使うか」の違いでしかなく、背後にある目的は操作です。

P.197~198

哲人:誰かにほめられたいと願うこと。あるいは逆に、他者を誉めてやろうとすること。これは対人関係全般を「縦の関係」としてとらえている証拠です。あなたにしても、縦の関係に生きているからこそ、褒めてもらいたいを思っている。アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。ある意味ここは、アドラー心理学の根本原理だといえるでしょう。

P.198 

「横の関係」です。
私は子供や夫へ「介入=他者の課題に対して土足で踏み込む行為の事」をいつもしてしまいます。
それは、相手を自分より下に見ているからこそ、してしまうのです。
正直、いつも無意識に「介入」してしまっているため、じゃあどうしたらいいのか?と頭の中ははてなで一杯になってしまいました。

哲人は、『介入にならない「援助」をする必要があります』と教えてくれます。この横の関係に基づく援助の事をアドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいるとのこと。

では、具体的にどうアプローチすればいいのか?という青年(もはや私)の疑問に、哲人はこう答えます。

哲人:子ともではなく、対等なパートナーがあなたの仕事を手伝ってくれたときのことを考えれば、おのずと出てくるでしょう。たとえば友人が部屋の掃除を手伝ってくれたとき、あなたはなんと声をかけますか?
青年:まあ、「ありがとう」と。
哲人:そう、仕事を手伝ってくれたパートナーに「ありがとう」と、感謝の言葉を伝える。あるいは「うれしい」と素直な喜びを伝える。「助かったよ」とお礼の言葉を伝える。これが横の関係に基づく勇気づけのアプローチです。
青年:それだけ、ですか?
哲人:ええ、いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。評価の言葉とは縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築いていけるのなら、もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくるでしょう。

P.204

子供や夫は、家族という共同体を生きるパートナーという感覚を持たないといけないという事です。書いてみれば当たり前なんです。でも、できてなかった・・!
更にドキッとしたことは、誰かひとりとでも他者と縦の関係を築いている人は自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえているという事だそうです。縦の関係でとらえているから劣等感が生まれるというのです。

縦の関係で生きてきたという事実

これも耳が痛い。痛すぎます。
私はあらゆる場面で、縦で人を見ているのだと認めることにしました。
全然認めたくないけど。
でも、家族をあれだけ縦に見てるんだから、そういう事だと観念したのです。
思い返してみると、色んな事が思い浮かびます。お店の店員さん、病院の受付の人、有名人もだし、友人は認めたくないけど、でもある。
しばらく考えてみたら、やばいっ・・「私は世界全部を縦で見ていた」という事に今気づきました・・
見下したり見上げたり。劣等感と優越感を行ったり来たり。
横に置いてる人もいたけど、ある一場面を切り取って、下にして、自分を棚上げして少しホッとしたり。

恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい・・!!

今、自分の恥ずかしい思考を受け止めるだけで精一杯です。
恥ずかしいし、反省してます。
40年以上も生きて、今はっきりと認識しました。
こんな私でも変われるのかなと絶望的な気持ちも広がっています。

こんな自分ですが、他者と「横の関係」を築くことをあきらめたくない。
今の自分から変わっていきたいです。
自分がどんな時に人を見下し、見上げているのか。
注意深く見ていこうと思います。まずはそこから。
子供とも夫とも世界とも縦じゃなくて横でつながりたいです。

また、自分の思考を見て書いていきたいと思います。
長くなりました。
もし、読んでくださった方でまだ「嫌われる勇気」を読んでない方がいたら、是非読んでみてほしいです。
コメントとかもくれたら嬉しいです。


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