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47都道府県訪問記~宮城県~「震災遺構」
こんにちは。ぴょんです。
冬が本格化している今、春が待ち遠しくて仕方ない今日この頃。
いかがお過ごしですか?
今回は、47都道府県訪問記シリーズ、宮城県仙台市の、震災遺構を訪れた際のことを記録していきたいと思います。
東日本大震災。
時の流れは早く、この震災から12年の月日が流れようとしています。
ただ、時間が経ったからといって、忘れてはいけない。
災害への備えや、知識を蓄え、次世代につないでいくこと。
関東出身ですが、震災によって痛みを感じた一人として、今回の訪問を記事に残したいと思います。
※写真については、当時のまま保存されている建物等もあるため、ご覧になられる方は無理されないよう、お気をつけください。
東日本大震災
それは、2011年3月11日に三陸沖で発生した、マグニチュード9.0の大地震です。高さ10メートル以上の津波が押し寄せ、死者は1万5,000人超、負傷者は6,000名以上。日本史上でも類を見ないほど甚大な被害を及ぼしました。
これにより、東北地方だけでなく、さまざまな都道府県のインフラが影響を受け、計画停電や、教育機関の休校、物の買い占め、液状化現象など、問題が山積みとなりました。
当時私は高校生になる年で、バスケ部でした。体育館で練習中に地震が起き、すぐに近くの長机の下に隠れましたが、座っていても転びそうで、パニックで泣いていたのを覚えています。
落ち着いてから校庭に避難し、友達のお母さんに家まで送ってもらいました。
その最中、車のテレビで見た大地震の映像は、かつて経験したことのないほどショッキングなものでした。
テレビのひとつひとつの文字の意味がわからず、なんども読み返しました。帰っても、いつ余震が来るかわからず、サイレンの音にいちいち心拍数があがり、常に誰か人と一緒にいないと精神的に落ち着きませんでした。
震災遺構を訪れようと思ったきっかけ
時は経ち、2022年。
仕事を退職し、転職するまで休養期間をとっていたため、宮城県の震災遺構を訪れることに決めました。
私の先輩が、「もう震災から10年経った。足を運ぶべきだと思う」と言って、岩手県まで行っていたことがきっかけで、私も情報をもらい、車を走らせることにしました。
そしてこの先輩と話していたことがきっかけで、震災遺構という言葉や存在を知りました。
悲しいけど、私たちの歴史に確実に存在する事実。
東北の人たちは元気か。
そして、今、私に何ができるのか。
訪問は2022年9月中旬。
自分の目で確かめるべく、荒浜小学校を代表とする仙台市、石巻市へ向かい、震災遺構を訪れました。
仙台市立荒浜小学校へ
仙台からレンタカーをし、東へ1時間弱、車を走らせました。
どんな気持ちになるだろうか、ちょっと怖いな、色々と考えながら進みます。
まずは、荒浜小学校へ。
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右側奥には海が見える。この岸を越え、津波が襲ってきたそう。
荒浜小学校は、校舎の2階まで津波が押し寄せ、屋上に多くの人が避難したそうです。
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今は校舎が震災遺構として保存され、展示物が被害や周辺の状況を説明してくれます。
中に進んでいくと、1階から見学ができます。
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取り残された人が、団結して乗り越えようとしたことが想像できる。
1階の教室をみてまわりながら、体が硬くなってきて、歩くのがしんどくなっていきました。
こわかっただろうな。
寂しかっただろうな。
弱音を吐きたかっただろうな。
発狂しそうなほどの、一夜にして戦場と化したような、地獄だっただろうな。
そんなことを考えながら、自分が平和に過ごしていることに対して、申し訳なさが込み上げました。「自分は生きてていいのか。」
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津波で流されたものが溢れる廊下の写真も。
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3階の教室の黒板は、震災直後から、日を経ながら、当時を乗り越えようと奮闘する人々の記録で溢れています。
ジオラマには、地形が縮小され、植林をして土地の復興を行ってきたことがわかります。
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屋上に上がると、東北の山脈が見え、手前には市街地が見えます。田んぼが整備され、手前の道路がきれいで、震災後新設されたことがわかります。
きれいにはなってるけれど、
目の前の物質は、形を変えて生活できるようになっているけれど、
風や潮の香りに、被災者の苦しさや乗り越えてきたことが込められているような気がして、つらくなりました。
そして、涙が止まらない。
被災者の方の、今の心は何を感じ、生活しているだろうか。
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すぐ下を津波が通過することが、どれだけの恐怖であるか、計り知れない。
屋上から海を眺めると、そもそも立地として海がかなり近いことがわかります。沿岸部に避難場所となる施設を設立するということは、建設当初は、津波被害が想定されるような地震が起きると予期していなかったんだろうと感じます。松の木も塩害があったそうですが、植林を通して、徐々に生態系を取り戻しているようです。
2ヶ所目、石巻市門脇小学校へ
車に戻り、復興で新たに敷かれた道路を通り、石巻市へ向かいました。車のなかでは、窓を全開に開け、空気をたくさん吸い込みました。街には悲しい過去もあるけど、話す人たちは前を向いている。新しい景色の中、日々の生活が営まれている様子に、なにか自分にできることはないか、考えながら、門脇小学校へ向かいました。
石巻市門脇小学校は、荒浜小学校から、1時間半程度。高速に乗って北へ移動しました。
近くには新しい道路が建設されており、この写真の背中側に海があります。
目の前には公園があります。
遊んでいる子供達には、震災の経験がない。
どうか、この子達の未来が明るいものであって欲しいと祈るばかりでした。
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窓が黒く、校舎がすべて津波に飲み込まれたことがわかる。
歩いて進んでいくと、校舎の壁が剥けており、窓枠はなくなっています。
窓の中の、建物のあまりの黒さに恐怖を覚えます。
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空の青さが辛い。
小学校の前に、いくつか木が生えています。
後から植えたものなのだろうかと考えていたところ、展示物によると、もともとは2本の木が一緒に立っていたものの、火災によって一本が燃えてしまい、その残った木を覆うように、新しい芽が出て、内側の古い木を守る形に育ったそうです。
よくみてみると、黒い木を覆うように白い木の幹が生えています。
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※次の写真の、さらに次の写真2枚は、刺激が強い方いかと思いますのでお気をつけください。
門脇小学校の中へ入っていきます。
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校舎に入っていくと、津波が襲ってきた教室に行き着きます。
ここまでくると、津波かどうか、というより、もはや言葉がでません。
苦しくて涙がとまりませんでした。
中には侵入できないよう網が設置されています。
自然を前に、人間は無力だとさえ思いました。
一瞬にしての破壊力と、力の大きさに、人間はちっぽけな存在なんだとさえ思いました。
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掃除をしていた時間帯だったのかもしれません。
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校舎が分断されており、避難の経路が失われていたことがわかります。資料によると、門脇小学校に避難した人は、裏側の丘の上にある高等学校へ避難したそうです。
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感じられる自分でいたい。
小学校を出て、海から周囲を見渡せる高台にやってきました。
新しい道路が拓かれていることが見て取れます。
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まわりには、団体で見学されているかたもいらっしゃいました。今、時間がたち、心の整理がついたからこそ、改めて訪れることができるひともいるのかもしれません。
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ありふれた毎日は、大袈裟じゃなく奇跡
本当は気仙沼市も計画していたのですが、ひとつひとつの訪問に時間がかかり、気持ちも落ち着かなくなってしまったため、帰路につくことにしました。
想像を絶する、耐え難い思いをした人たちが、今もまだ東北の地にいて、震災の事実を伝えようとしています。
遺構は、見るに悲しいけれど、私は残そうと努力してくださった方にお礼を伝えたいです。
全てを一緒に背負うことはできなくても、同じ日本人として、痛みを分かち合いたいと思っています。
私がやりたいこと
今回の訪問や、2つの小学校で感じたことを通して、今後、私は東北の地に植林をしたいと思いました。
様々な企業が植林をしていますが、自らが東北に足を運び、木を植えることが、復興の力になるのではないかと思いました。
金銭的な寄付や、メディアを通して発信していくこともそうですが、自分が直接的に携わった形を残したいと思いました。
『鎮守の森プロジェクト』
鎮守の森のプロジェクトは「災害からいのちを守る森」をつくっています
東日本大震災では、神社を囲む鎮守の森が、防災林として大きな役割を果たしました。深く根をはった木々が津波の勢いを和らげ、被害を最小限に防いでくれたのです。これは、伝え残さなくてはならない知恵だと思います。ドングリを拾って苗木にし、根が張りやすいよう柔らかい盛り土の上に植え、森づくりをしていきます。土地に適した種類の木を植えると苗木は1年で1mほど成長し、やがて立派な森になります。鎮守の森のプロジェクトでは、このような「災害からいのちを守る森」づくりを沢山のボランティアの方々と行っています。あの日学んだことを、この森に託したい。
まだ募集は始まっていませんが、次の活動がはじまるまで、とっても楽しみにしているところです。
ご興味があれば、ぜひサイトを見てみてください。
終わりに
感じたことをそのままに表現したため、暗い記事になってしまった側面もあるかと思います。
ただ、もう前を向いて生活をしている人もいるし、つらかったね、かなしかったね、だけではなく、ちゃんと被災地に出向き、自分にできることを置き換えて、人生の深い教訓としていくことが大切だと思います。
そして、いつもの日々は、当たり前にあるものじゃないことに気づくと、日々の言葉遣いや、生活もある意味豊かになっていきます。
また、次回の47都道府県訪問記もお楽しみに!!
ぴょん