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Making is Connecting / デヴィッド・ガントレット

今年のお盆は麻雀牌をDIYしたり、有機ELネオン看板をつくったり。やっぱりみんなで無心で何かを作ってるとき、謎のエクスタシーを感じる。

そんな「創造性」に焦点を当てたのが本書だ。社会学者およびメディア理論家の筆者が訴えるのは「つくることはつながること」という、シンプルなコンセプト。2018年に改訂された2nd Editionもそれは変わらない。

正直なところ、2011年に書かれた中央の章たちは、時代遅れ感が否めない印象。また、創造性と共に頻出するDIYという言葉についても「消費を選択しない社会参画の方法」や「ソーシャルキャピタルを構築する一手」といった解釈で展開される部分も多く、新鮮さがない?と思う部分もある。とはいえ、いくつかエッジの効いた部分もあったので書き残してみよう。

Do what you can

最初に面白かったのは、ラスキン、モリス、イリイチを引きながら、日常的な創造性への重要さに触れていくところだ。19世紀後半、つくることが、アイデアを創造的に変換する「アート」と、非創造的で格式の高くない「クラフト」と不思議と分離していった時代。産業革命により、物質的な関心と道徳的な関心が切り離され、完璧な経済システムの構築が目指された時代。

特に美術評論家、思想家のジョン・ラスキンはそれらに警鐘を鳴らし、個人の癖や才能を組み合わせた共同作業の寄せ集め、不完全さ、想像力を前提にし「Do what you can(できることをしよう)」という言葉を残した。

また手仕事による創造性と社会性の復権を掲げたアーツアンドクラフト運動が、イギリスからアメリカに流れ、DIY運動につながった話も面白い。家具職人、建築家のグスタフ・スティックレーは『ザ・クラフツマン』という雑誌を発行し、DIY情報を共有するオープンソースの元となる概念を発明。さらに、スチュワート・ブランドは、1968年に『The Whole Earth Catalog』を創刊し、金属加工、ガーデニング、電子機器などの物理的な道具だけでなく、技術書、講座などのあらゆるリソースへのゲートウェイ(主に通信販売)を読者に提供したのだ。

それらの歴史も踏まえた上で、著者は日常的な創造性をこう定義する。

日常的な創造性とは、少なくとも1人の活動的な人間の精神と、物質またはデジタルな世界とが一緒になって、その文脈では新奇なものを作る活動であり、喜びの感情を呼び起こすプロセスである。

社会的役割、アイデンティティとの闘争

しかし、ユートピアな側面だけではない。DIYは、闘争の歴史でもある。美術史家ロジカ・パーカーの「The Subversive Stitch」によれば、編み物について、一方では、女性らしさの指標であるが、他方では女性らしさという概念に伴う制約に対する「抵抗の武器」であったと書く。また、デザイン史家のジョアンナ・ターニーの「The Culture of Knitting」には興味深い結論が書かれる。

編み物は創造性の手段であり、自分自身の「する」能力に対する自信であると同時に、ただ「いる」ことのできる空間を提供する

目的地(作品)に着くより旅(作業)のほうが重要であり、考えたり、作るための居場所が重要であり、自身を過去と未来を持つ文化創造者のコミュニティの一部として見ることができる活動として、編み物に惹かれると書く。

また、顕著なものとして、パンクシーンから影響を受けつつ第三波フェミニズム運動と融合した、ローファイ音楽とZINE文化は避けて通れないだろう。エイミー・スペンサーの著書「DIY」では、セレブリティ志向の大衆文化を否定し、雑に生産された、物理的な美しさをあまり気にしない、装飾よりも内容を重視することを宣言する代替物に置き換える文化、と表現する。レイプ、近親相姦、摂食障害などの問題に触れながら、音楽とZINEによって運動を起こしたライオット・ガール(Grrrl)はその有名な例だ。

グラヴァーヌとタングガードの「Towards a socio-cultural theory of creative identity」によれば、創造的なアイデンティティは与えられるのではなく、しばしば闘争や抵抗による相互作用の中で時間をかけて構築される、と書く。対人間だけではなく、非人間を含む対環境との闘争や抵抗からも創造的なアイデンティティは生まれるうるのか?といった想像も膨らむ一文だ。

スケーティスタンとハイテックハイ

創造性を育むプラットフォームとして、本書はインターネット上にあるもの以外にも触れている。

例として挙げられているのが、NPOスケーティスタン。社会・経済的に不利な状況にある子どもたちに、スケートボードと芸術を組み合わせた学習機会を、アフガニスタン、カンボジア、南アフリカで提供している。特に、女性のエンパワメントに軸が置かれ、50%以上を女性が占めるのが特長だ。スケートボードを通じ、個人の創造性を引き出し、社会変革に貢献する、驚くべきプラットフォームと筆者は書く。

創造性は、物質的な、芸術的な何かをつくることに留まらないのだ。スラッシュメタルやヒップホップと融合した「車輪と一枚の板」は、若者の創造性を受け止めるプラットフォームになりうる。(個人的にスケボーは大好きで、ロドニーミューレンとゴウミヤギのトリックはよく見返している)

本書には登場しないが、アメリカのチャータースクール、ハイ・テック・ハイの学びとも親和性があるだろう。低所得層が約半数を占める公立校でありながら、2021年3月時点で、4年生大学の進学率は、州平均(26%)の倍(54%)に達している。世界屈指の PBL(プロジェクト型学習)を実践する学校で、藤原さとの「探究」によると、彼らのPBLは以下のような定義である。

生徒たちが発表成果物・制作物・出版物を作って一般公開するまでの一連のプロジェクトを、デザイン・計画・実行することで得る学び

筆者は最後にこう書く。私たちが創造的なプロセスに携わるのは、なりたい自分になるためであり、なりうる自分を発見するためなのだと。創造的努力を取り巻く社会慣行によって他者とつながり、私たちは学び、育ち、変化する素晴らしい機会に遭遇するのだと。日常的な創造力は、つくるという枠を超えて「どう生きるか」に直結する意思・態度なのだと思う。

つくりながら、環境と関わり合う

コロナもあり、DIYのムーブメントは改めて活発化している。(ちょっと外れるが、この記事の、パンデミック中に高齢者と若者の文化格差が縮んだ、という話は好きだ)

特に「修理」は注目したいワードだ。著者は、自分で物をつくり、修復する(またはそれを提案すること)は、持続可能性との共通点が深いと語る。気候変動で直面する困難に対して、どう創造的に楽しく生きていくか、というトランジション運動を引き合いに出す。前回の記事にも共通するが、気候変動に対するアクティビズムとしての修理カルチャーは、最も現代の気分を表しているのかもしれない。(数日前、Appleが修理キットの提供をMacbookにも拡大し、一般ユーザーにも正規代理店と同等の価格でパーツを提供する、というニュースもあった)

ゲリラガーデニングのようなものもそうだろう。匿名で作業を行うことを好み、小さくても美しい介入によって世界をより良い場所にしようとする努力を続けながら、不法植栽のコミュニティ、庭師や環境活動家、そして自然そのものとのつながりを実感する行為だと、著者は語る。これも広い意味での「修理」だ。

いずれにしても、DIYは冒頭の日常的な創造性の定義にあるように、楽しさを大事にしたものであるはずだ。この素材はどこから来たのか、この技術の社会的な意味が何か。思索しながら試作するクリティカルメイキングのような視点も持ちながら、これからもいろいろ作っていきたいなと思わせてくれる本でした。


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