猫が教えてくれたこと①
連続猫投稿。
我好猫無限大。
フィーリングでご理解いただけると幸いです。
さて、先日の投稿で「自分の人生を変えた選択」の一つとして、離婚について書きました。
私の人生を変えた選択は、離婚を含めて3つあるのですが、今日はその2つ目「猫を飼ったこと」について。
別居・離婚を経て東京に戻り、実家で新しい生活を始めた私には、一つの願望がありました。
「やりたいことリスト」の筆頭にいつもあがっていた、叶えたいけれど、半分諦めかけていた夢。
それは「猫を飼うこと」でした。
モフモフしたあの毛の塊を膝に乗せて、優しく頭をなぜる。
ぎゅっと抱きしめると、ふわくにゅー♡という、猫独特のしなやかで柔らかい感触が、腕の中に広がる。
瞬時に、脳からα波だのオキシトシンだのが出まくって、それだけで幸福感に満たされる、あの感覚。
もうね、想像するだけで、目尻が下がり、顔がにやけて、なんならよだれも垂れちゃうくらいの感じだったんです🤤
(ちなみに、今、私の膝の上では白猫が毛繕い中😍)
しかし、猫を飼うには1つ、大きな障害がありました。
実家のマンションには規約があり、犬や猫などの小動物を飼うことは禁止されていたのです。
公共の福祉のためにも、ルールは守るもの。
あったり前田のクラッカー的な一般常識を「正」としていた真面目な私は、当然、下記のような思考回路を瞬時に設定。
「もし・・・・だったら。」「いつか、そうなったら」。
願いが叶う前提条件を設定するこの思考回路、今振り返れば、ここから抜け出せるかどうかが、願望達成の鍵だったように思います。
事実、この時点で、私は猫を飼うことを諦めかけていました。
自分の今の状況を考えれば、シングルマザーで、当時は時間給で働いていた身分。そんな私が、経済的に自立し、息子と二人で暮らす、なんてことは、夢のまた夢。ましてや猫を飼うことなんてこたぁ、もうありえない話。
郷に入れば郷に従え。
自分で選択してこの場所に住んでいる以上、ルールを犯すことは、できない。
そんなカチンコチン、石頭で融通の効かない私に、神様は一つの機会を与えてくれたのです。
それが、「息子の不登校」でした。
当時、中学2年生だった息子は、自分の部屋に閉じこもるようになり、ほとんど家族と顔を合わせない生活を送っていました。
たまにリビングに出てきても、会話もなく、こちらもどう接していいのか迷いながら、腫れ物にさわるような態度をとっていた時期でもあったかもしれません。
スクールカウンセラーも、ソーシャルワーカーも、フリースクールの先生も、彼の心には全く響かないどころか、殻はどんどん固くなる一方。
息子の心を開かせるためには、どうしたらよいのか。
そんな苦し紛れの発想から閃いたのが「猫を飼う」というアイディアでした。
今思えば、息子のことを理由にあげながらも、実際は不登校対応で疲弊しきっていた、私自身の癒しが欲しかったのかもしれません。
ちなみに、この時点では「実家から引っ越す」という具体的なビジョンはまだありませんでした。
つまり、ルールを犯してでも、ひとまず猫を飼うのが先決だ!と、自分の中で覚悟を決めたわけなのです。
猫好きな母は不安を滲ませつつも、なんだか嬉しそう。
あまり動物好きではない父は、私の「もう決めたから」の一言に、しぶしぶと承諾。
スイッチが入ったら即行動。
猫を飼うならば絶対保護猫を、と決めていた私は、早速、子猫を引き取れないか、あらゆる方向へアプローチをかけ始めます。
ところが、ここにも関門がありました。
保護猫の引き取り規定というのはとても厳しくて、住宅環境的に飼うことがNGな場合は、引取先の候補にすらなれない、という現状。
むむむ。
やはりこの家に住んでいる限りはダメなのか🤔
保護猫団体から、猫を引き取ることは難しい。
ならば、自分で野良猫を捕獲して飼う、という手もあるかもしれない。
そう思った私は、近所の公園によく出没する、親子連れの地域猫に、毎晩のように餌をあげに通い始めました。保護猫団体に捕獲方法をメールで尋ねたりして、どうやったらこの子たちを保護できるのか、真剣に検討していた時期も、そういえばあったなぁ。
今考えれば、非常に利己的かつ自分勝手な理由で「猫を保護する」ことをしようとしていたなぁ、と、ちょっと反省😅
どうしても猫が飼いたい。
しかも絶対に保護猫。
あきらめずに、あーでもない、こーでもないと動いているうちに、ついに理解のある保護猫団体の方とのご縁がつながりました。
こうして、生まれて数ヶ月の白猫を、実家に迎えることになったのです。
「みく」という名前は、息子が名付けました。そして母の思惑通り、息子とみくはすぐに仲良くなりました。
(過去のアーカイブを探していたら、こんな微笑ましい動画を発見。息子の遊び方が実にぎこちない笑)
かくして、住宅環境の問題を乗り越えて無視して、猫を飼うことになった我が家。
なんとしても今、私たちには猫が必要なのだ、という強い覚悟が引き寄せた、白猫との出会いだったのかもしれません。
ルールを破ることがよい、とは思いませんが、何かを始めるときに「それほどに強い覚悟があるのか」という想いを試される、一つの出来事だったような気がしています。
それから3ヶ月後、この白猫の存在に導かれるようにして、私と息子、そして白猫のみくは、実家を出ることになるのです。