語るようなものでもないがアートについて思うこと
これからはじまる対話とアートの店ってなんなのよ。
なわけだがここに意図は全くない。
ただ自分の好きなものをガサッと入れて粉ふるいにかけたら残った大事な物がこのふたつだった。
個人的すぎる。
しかし、個人的すぎるから情熱がそそげるのだ、とも言える。
心がこもっていたらそれだけでもうあったかいんだから。
このふたつの中にいる時はタワシの時間軸に未来が普通にやってきた。
楽しかったのだ。
まぁ、これからつべこべ書くことは半分くらい後付けです。
後付けだけれども深い部分では「本当」だと思うけど。
対話は未来をつくる。
その未来はオモロイ。
そしてその感情が冷めて消えてしまう前に自分の辞書に表出したものを刻む。
それがアートなのだ。
具体的な世界を抽象的な世界に変換する作業とも言う。
翌日自分のアートを見返し、何を表現したかったのか、どんなものを刻んだつもりだったのか。
そんなことは忘れてしまっていてもいい。
しかし、誰かのアートじゃなくてあなたのアートはあなたを再び具体の世界へ引き戻すはずで、それは何年経っても同じようにあなたを具体から抽象、そして再び具体へと連れていくのである。
あなた自身を、あなたをよく知っている誰かを、そしてあなたと一緒に誰かを。
Nintendo がなくても、スマートフォンがなくともそんな楽しみがあるなら最高じゃないか、と思うのだ。
あなたと誰かとアタシと。
これからの時代に最強すぎるだろ、って思うのだ。
何度も言うけれどこれからも言う。
アートは表面ではなく表現だ。
らくがきだってメモだって、夜中に書くみたいな詩だって、絵だって版画だって、切る、貼る、編む、縫う、全てがアートだ。
そしてそれは道草という余白の中で生まれるはず。
『道草 問答』。
心に何かが灯ったなら道草をしにきてほしい。
それではみなはん、また明日。
この場所で。
※このnoteはオンラインショップのブログ【DIARY - 徒然】と連動してます。
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