映画『太陽の子』
太陽の子の初日舞台挨拶付き上映を観に行った。
映画も展示会も美術展も、ほぼほぼ前評判やあらすじは見ずに行くので、今回も始まる前に、
「あれ、これってどんな話だっけ?」と思いながら、「戦争、原爆」の2つのキーワードしか頭になかった。
感想。
まだ観てない方が多い中で詳細には伝えられないのでザックリいくと、
「これは戦争映画ではない。若者たちの心のなかを描いた物語」。
いや。ザックリすぎる。そんなん当たり前やん。どの映画もそうだし。
その通りなのですが。
細かく言えば、監督が伝えたいメッセージはあると思う。
「戦争は二度としてはならない」
「若い命を無為になくしてはならない」
「原爆がいかに悲惨な結果をもたらしたか」
「1944-45年当時の京都の人がどういう生活をしていたか」
「日本も原爆を作ろうとしていた」
こういうことを、現代の戦争を知らない世代に伝えたい、という意図はあるだろう。
ただ、今回の映画で伝えたかったのは、そういう時代背景のみではない、と思う。
観終わってからまだ余韻が残っているほど心に響いたのは、柳楽優弥、有村架純、三浦春馬の3人の間での心の交流。感情のやりとり。
あの3人は、当時どこにでもいる普通の若者で、日本のために戦ってる軍人だったり、家が壊されて田舎の親戚宅に身を寄せて家事をしながら働いてる女の子だったり、化学の実験が好きな学生さんだったり。
たまたま、生まれた時代が戦時下だったってだけで、恋をしたり未来に希望を持ったり死ぬのが怖いと泣いたりすることは、現代に生きる私たちと同じなんじゃないかと。
当時は爆撃から逃れるために必死で生きて、奇しくもいまは目には見えないけど、爆撃と同じように私たちの生命を脅かす病原菌と戦いながら逃れながら生きている。
三浦春馬が「自分たちの仕事、役目は、想像力を届けることだ」と言っていたと。
当時の生活を、こういう作品を通して知って、「想像して」みることで、
今がすべて、今が良ければいい、という考えが、
もっと深く、
もっと重く捉えられて、
今生きていることが偶然じゃなく奇跡の積み重ねなんだ、と思える気がした。
この映画、ほとんど音楽がない。
厳密には、あるんだけど。
音楽を使って、観客の感情の高まりを助けようとしてない。
だからこそ、役者さんたちの表情、言葉、息遣いのみで感情を伝えてる。すごい。
柳楽くんの有村架純を見る目と表情で、直接的には語らなくとも彼の気持ちが伝わる。
三浦春馬が出陣する前の気持ちを細かく伝えなくても、海のシーンで全てが伝わる。その後の、最後のシーンも。手紙も。スクリーンを見ながら、「この人はもうこの世にいないんだ」と思うと、ストーリーの流れとも重なって泣けた。
有村架純の一見弱そうな外見からは想像できない、凛とした信念と戦争が終わってからの未来を想像して生きる強さ。
とにかく、3人の演技が素晴らしかった。
観る機会を持てて、良かった。
後々精神的な影響を受けやすいから(落ち込む)、戦争映画という括りは、おそらくひとりでは観なかった。
良かった。ほんとに、良かった。
三浦春馬があの舞台にいたら、何を言ったんだろう。
あの場の彼に会いたかったな。
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