奈良時代 今とつながり いとエモし。
こんにちは、ぷるるです。
今日本屋で、この本を知りました。
立ち読んでニヤニヤしていたら、隣で本を物色していた人がそそっと離れていきました。
行かれてはちょっと傷つき、いとエモし。
ええ、使い方間違っているのわかってますよ!
だって普段『エモい』なんて言わないし。
使ったら無理してる感が出る世代ですしね。
でもね、この本のコンセプトを読んだら、『エモい』がストンと胸に落ちたんです。
パラパラとめくれば、美しいイラストと今の感性で読み解かれた古典が、目の前にぱーっと広がります。過去と現在が重なり合う瞬間。
これが売れているとは、あなうれし。
かなり迷ったけれど、私はこの本を買いませんでした。
本当に素敵でしたが、解釈が私の好みとはちょっと違ったからです。
でもそれはこの本が、あるいは私が間違っているという話ではありません。
ここから先は個々の感性の違い。そして感性に正解はなし、ですもの!
この本に深く胸打たれるのは、素晴らしい。
自分なりの解釈を考えても、素晴らしい。
それをぶつけ、語り合うのもやはり素晴らしいと思うのです。
また和歌や俳句の歴史や背景を学べば、別の印象に変わるかも。
それも良き良き、実に良き。
つまり、オールオッケー!!
そしてこれが出来るのは、原典の完成度がとても高いから。
この事実もまた、私の胸を熱くしたのでありました。
ところで「いとエモし」を立ち読みながら、私はある本を思い出していました。
高校の3年間、私は橋本治にかなり傾倒し、彼の本をたくさん読みました。
影響を受けた結果こじらせ女子高生になっちゃって、ほんとそれ良かったのか悪かったのか・・・おっと閑話休題。
橋本治の小説デビュー作「桃尻娘」は、その当時の現代っ子、トンでる女子高生(=桃尻娘)の恋と青春を描いた、計6冊のシリーズ物です。
ちなみに表紙は天才漫画家・高野文子。
そう、桃尻語訳とは「枕草子をイマドキの言葉にしたよ」って意味なのです。
「清少納言って、要は平安時代の桃尻娘でしょ。そんな若い女子がさ『春は夜明けに趣がある』なんて言い方、するわけないじゃーん!」
この発想から橋本治は「春って曙よ!」の名文句を生み出し、本はベストセラーとなりました。
もちろん彼は、枕草子と清少納言を学びに学んだ上で女子語変換したのですが、識者からは結構叩かれていましたね。
それだけ「現代語訳」とは違う、「現代感性翻訳」の登場は画期的だったのでしょう。
「いとエモし」の祖先本と言っても、過言じゃないと思うのですが。
そして私が「いとエモし」に引かれたのは、noteの影響なのです。
なぜならnoteで俳句を詠む方の多さを、体感したから。
随筆ならちょっとだけ書けるけど、私は短い言葉に気持ちを乗せることは苦手です。詩や短歌、俳句なんて思いつかない。
だから詠む方達をすごいと思うし、なんだかうれしいんですよね。
日本独自の表現方法は、長い時を超え今も生きているぞって。
あ、でも季語辞典を見るのは結構好きなんですよ!
これ電書ですが、「本としての厚み」を感じずにおれないデータ量です。
日本語がいかに感性豊かな言葉であるかの証ですね。
せっかくですから、詠めない私の使い方をご紹介しましょう。
例えばこの言葉、私は季語辞典で初めて知りました。
美しくかつ的確に情景を表した、素晴らしき言葉です。
すると昼でも暗く涼やかな木陰に遭遇した時に、ふと思い出すわけですよ。
「ふむふむ、これが緑蔭か」と。
心の中で納得 → 満足からニヤつく → 周りから人が去る → 完。
うーん、私にはアウトプットが欠けていますね。
なら季語を我が記事に入れ込んでみるのはどうでしょう。
ただその場合は、季語にふさわしい記事を書かねばなりません。
プロゴルファー猿や餃子や、漫画美容室の話じゃ、ちょっとねえ。
・・・・やっぱり季語は学ぶにとどめようかな、口惜しう。
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