『本を読めなくなった人のための読書論』読了、コメダ珈琲店にて

※本の感想以外に、自分自身の近況なんかを書いています。
感想だけを読みたい方は目次で飛ばして読んでください。


本との出会い

今回読んだのは『本が読めなくなった人のための読書論』(若松英輔・著)。

この本自体は今年の3月、時間つぶしに本屋に入って、「まさに今の私だ」と思って買った。
この本ですら読めず、当時非常に悲しい気持ちになった。
だいたい私というのは、「記憶力がよくなる」というサプリをどこに置いたかわからなくなって飲まなかったり、部屋を片付けようと思って買ったカゴが部屋で散らかっていたりする。なんというか、もう本当に自分のことが情けなくなったのであった。
というわけで、外読書をしようと思い立って、とりあえず読むことにしたのがこの本。
外で読書をしようと言っても、そのためだけにどこかに出掛けるのは面倒くさいな……と思う出不精なので、書道の習い事の帰り、コメダ珈琲店に寄って読んだ。読んだのは9月の19日。
飲食店に長居するのって、お店からすると迷惑なんだろうな、と思って今まであまりやってこなかったのだけれど、コメダ珈琲店は、少なくとも私が行っている店には、「混んでいる場合、2時間を目処にお声がけさせていただくことがあります」と書いてある。つまり2時間はいていいらしい。
読むこと自体は早い方なので、2時間あれば大抵の本は行ける。
多分入り浸ることになるだろうな……と思ったので、ずっと憧れていたコーヒーチケットも買ってみた。人生初。

引用ノートを作る

19日に読んだのに、記事にするのが遅くなったのは、この本にある「印象に残った言葉をノートに書き写す。引用ノートを作る。」(p.108)について、試行錯誤していたから。
万年筆沼の住人なので、ノートはいっぱいある。ルーズリーフもたくさんある。でも、どのサイズに、どんな感じで書こう……というところで色々悩んでしまって、すっかり遅くなってしまった。
Twitterで読書ノートを作っている人の画像を見たり、販売されている読書ノートを見てフォーマットを考えたり。
調べてみるとたくさんの人が読書の記録をあげておられて、かなり参考になった。
それで、私自身がこういう感じがいいな、と思ったのは以下のとおり。
・ノートであること
・B6サイズ
・万年筆が裏抜けしない
「ノートであること」は、ルーズリーフを使わないでおこう、という話。
学生時代、ノートが割と苦手だった。単元の途中でノートが変わると2冊を持ち歩かなきゃいけないし、学年が変わったのに前の学年のノートを使うのもなんかやだし、みたいな。
なので、中学の半ばからずっとルーズリーフを使っている。激しく間違えたら捨てればいいし、単元ごとにまとめたり、一年分をまとめて保存したりできて好き。特にマルマンのルーズリーフは安いのにどんな万年筆、インクでも裏抜けしなくて、ずっと愛用している。
でも、読書ノートを作ると考えたとき、ルーズリーフはなんか違うなあと思った。
ルーズリーフには終わりがない。いや、パックの中身がつきるとか、ファイルにとじ切れなくなるとか、そういうのはあるけれど、どこまでも継ぎ足していける感じがある。
勉強とかだとそれが便利なんだけど、改めて読書との向き合い方を考えたとき、「一冊」という単位がある方がいいなと思った。使い切ったときに達成感がありそうだなというのもあったし。
というわけで、読書ノートはロルバーンのポケットメモLになった。ロルバーン、限定デザインが可愛くてつい買っちゃうので増えるし、これでちょっとは消費できる。万年筆も、細字なら裏抜けもまずしないし……。
参考にしたのはあおいさん(https://x.com/_aoihana_)とうすいはるかさん(https://twitter.com/yako_halka/)。お二方ともまとめ方がとても綺麗で、字も綺麗で、すごく憧れます。

『本を読めなくなった人のための読書論』の感想

 そこでおすすめしたいのは、ゆっくり読む。できるだけゆっくり読むことです。ここでの「ゆっくり」は、英語でいう「スロー」とは少し違います。むしろ、速い、遅いという枠組みから飛び出ることです。時間や読んだページ数を気にしないで、ただ、言葉と向き合うことです。
「速く読まず、遅く読まなくてはならない」と思うときも、時間に縛られています。これでは「たしかな」感覚は開花しません。

『本を読めなくなった人のための読書論』若松英輔・p142-143

読んでいて一番はっとさせられたのはここ。
私は割と本を読むのが速い。でも、最近「もっとしっかり本を読みたい」と思って、意図的に読むスピードを落とそうとしていた。脳内で音読してみたり、ページをめくる手をあえて止めてみたり。
でも、そうすると逆に集中力が途切れるというか、自分から本が離れていってしまう感じがして、悩んでいた。
私は私なりの速さで本を読めばいいと言ってもらえた気がして、ずいぶん気が楽になった。

本が読めなくなったというのは、本好きにとってアイデンティティの崩壊といっていい。でも、この本を読んで、本が読めないというのは、アイデンティティの再構築期間が来たと言うことなのか、と、少し前向きな気持ちになった。
この本の中で繰り返し述べられているのは、「他人の目を気にせず」「自分だけの」読書をしよう、ということ。
読書の仕方に正解なんてないんだ、という当たり前のことを、いつの間にか私は忘れていて、この本はそれを再認識させてくれた。
感想を書く暇があったら一刻も早く次が読みたい、と思うような読書、美しいことばひとつひとつを胸に刻むような読書、自分自身と対話を重ねながら進めていく読書、どれも私の読書の仕方で、そこに正誤や、優劣はない。
それに気付くことができたとき、「本がこのまま読めなかったらどうしよう」という不安が、ふっと軽くなった。

おわりに

今のところ、この本に書かれていたように、「読みたい本が、こんなにあるのに時間がない」(p.66)という状態までは戻っていない。9月19日以降、再読以外で本を読んでいないし。
だが、前ほどの焦燥感はなくなった。読みたいときに読めばいいや、という気持ちで構えられるようになっている。
「次はこれを読もうかな」と思う本を、小さなカバンに入れて、カバン掛けに掛けている。
9月後半はちょっと忙しくて時間がなかったのだけれど、10月はまたコメダにでも出かけて、本を読みたい。

ちなみに、小さなカバンはこれ。

本当に小さいしマチはないし、かわいいけど使い道ないしな……とずっと購入を迷っていたが、ハードカバーを入れるのにちょうどいいサイズで、中に付箋を入れるのにいいポケットもついているので、本を入れよう! と思って買った。
小さいポシェットに必需品だけ入れて肩に掛け、これを持って出かけるのが楽しみ。
また、何か感想を書きたくなる本に出会ったら、noteを書きます。また読んでもらえると嬉しいです。

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