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願いが叶う駄菓子で人は本当に幸せになれるのか?(映画「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」)
そろそろ銭天堂の話をしてもいいですか。
大橋くんの髪の毛が突然黒髪になった去年の冬。ざわついたまま年が明け、8ヶ月後の誕生日に合わせて大橋くんの出演が発表。そこから長いようであっという間に過ぎ去った4ヶ月。
原作の『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』は児童小説です。元々、絵本好きなこともあって名前は聞いたことがありましたし、子どもたちの間でたいへん人気があることも知っていました。原作が児童向けなので、映画も同じく子どもがメインターゲットです。そのため、子どもへ向けた宣伝がメインになっていますが、この映画はむしろ大人こそ見てほしい…いや、大人が見るべき作品だと私は思います。
大人になっても、いや、なったからこその”願い”はあると思うので。
以下、ネタバレあります。注意!
(※原作は未読ですので、もしかすると原作設定とは違ったことを書いている可能性があります)
願いが叶った先にあるのは「天国」か「地獄」か
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願いが叶う駄菓子を売る不思議な駄菓子屋『銭天堂』には店主の紅子とともにたくさんの招き猫が駄菓子を作っています。その駄菓子で”願い”を叶えて幸せになった人もいれば、叶ったはずなのに地獄を見た人もいて、そうなる原因は大抵「説明書きを読まずに食べたから」というのが妙にリアルです。「銭天堂の駄菓子は願いを叶えることができるけれど、説明書きをきちんと読まずに間違った使い方をすれば恐ろしいことが起きる」と既に子どもたちの間で都市伝説のように噂されているし、紅子も購入者に毎回釘を刺すのにも関わらず、読まずに食べて痛い目を見る人間の多いこと。
登場人物たちが抱えるのは不安やプレッシャー、苦手意識、疎外感、足りない自己肯定感……人間なら誰しも抱えているマイナスの感情ですが、誰かと比較することで2倍、3倍と膨れ上がっていきます。最初はみんな「苦手を克服したい」という自分に向けた気持ちから願ったことでしたが、それが段々と「人に勝ちたい」「優位に立ちたい」「何者かになりたい」「チヤホヤされたい」「承認欲求を満たしたい」という、終わりの見えないない欲求へと変わっていきます。そうして紅子が叶えた願いでは物足りなくなった者たちは、『たたりめ堂』のお菓子によってさらに強欲に塗れていきます。
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希望していないファッション誌への配属がきっかけで悩みを持つようになった陽子は、銭天堂で「おしゃれになりたい」という願いを紅子の『おしゃれサブレ』によって叶えることができました。ところが、自分に似合う服を教えてくれるというお菓子が教えてくれるのは、ハイブランドで手の届かないものばかりです。
もっと安いお店に行けば、陽子にも無理なく手に入る価格帯で似合う服はたくさんあったはずです。なのに、陽子がハイブランドの店に通い詰め、手に入れることばかりに躍起になっていたのは「おしゃれになりたい」という編集者としての切なる願いから「SNSでいいねが欲しい。有名になりたい。自分を馬鹿にする同僚を負かしてやりたい」ことが目的にすり替わっていたからなんだと思います。だから持っていること自体がステータスとなるハイブランドじゃないとダメだったんでしょう。陽子が承認欲求を埋めたいが為に自分の中の強欲に飲み込まれ、街中で髪の毛を振り乱し、叫び、自我を失っていく様をわたしは大人こそ見て欲しいと思いました。
◇
陽子を演じた伊原六花さん、前々から気になっている役者さんでしたが今回の作品で大好きになってしまいました。自分で自分に制御が効かなくなって、姿も精神もボロボロになっていくのにまだ欲を捨てられずにもがき苦しむ陽子は今作中一番恐ろしかったです。この辺りの描き方はさすがジャパニーズホラーの第一人者、中田監督がメガホンをとったからこその表現だと思います。
個人的に驚いたのはカフェから走って逃げようとする陽子が階段上で一瞬足を滑らせるのですが、ハイヒールを履いているのに転ばず、ぐっ!と持ち堪えた足腰の強さ。惚れました。どうすれば大橋くんとガチでダンス踊ってくれますか?
天海さんが演じて生まれた「人ならざるもの、紅子」
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ふくよかな体つきに白髪のお団子頭、天海さんのパブリックイメージから紅子は大きくかけ離れていて、天海さんに特殊メイクを施してまで紅子にキャスティングした理由が最初は分かりませんでした。
見ているうちに紅子は単なる『願いを叶えてくれる親切で優しいおばあさん』ではないことがはっきりしてきます。そして、銭天堂は『人の願いをなんでも一つ叶える駄菓子屋さん』だと子どもたちの間で噂になっていて、一見、とても善いお店のように思えますが、見ていくうちにこれはそう都合のいい話ではないのだと気付きます。
聞こえが悪いように感じられるかもしれませんが結局のところ「願い=欲」です。
紅子が銭天堂で駄菓子を売り続ける理由は『人の願いを叶えたいから』ではなく『自分の実力に関係なく欲が叶えられた、そのあとの人の生き様を見たいから』。紅子はただただ人を救いたくて銭天堂に呼んでいるわけではないですし、よどみが見せる純粋な「悪意への追求」とはまた違って、どこか人間を観察対象として見ているように思います。
そもそも、よどみの店でぎっしり虫かごに詰められた不幸虫は、言うなれば『紅子が願いを叶えなければ産まれなかった産物』です。たしかに願いは叶ったはずなのにそれでは飽き足らず、思うような結果が得られなかったと感じて「もっと!もっと!」と更に欲へと流される。駄菓子を食べたお客さんが満足すれば産まれる招き猫の数に比べて、お菓子作りの材料として一定数消費され続けているはずの不幸虫の数の方が圧倒的に多いのでは?と気付いた時にゾッとしました。不幸虫が生まれても、捕まえたり殺したりせずただ逃がすのがルール、というのも不思議な話です。よどみのように不幸虫で悪事をする者がいることを分かっていながら、どこかにそのルールを設定した人がいるわけですから。
自分の感情を隠さないよどみに対して、基本的に人には感情をあらわにしないのが紅子です。馬鹿正直に怒りを表してきゃんきゃんと吠えるよどみに、まるで老いた老人のように弱々しく命乞いをして見せて、油断させてしっかりと打ち負かすあたり、やはりよどみよりも何枚も上手で強かだなと思うわけです。
紅子がただの駄菓子屋のおばあさんでないことはすぐにわかることですが、じゃあ一体なんなのかと考えてみると“福の神”という概念が最も近いような気がするのです。駄菓子のお代に小銭を要求するのも賽銭箱を連想させますしね。(となると、やはりよどみは貧乏神といったところでしょうか)
銭天堂に呼び寄せられ、願いをひとつ叶えると聞かされた陽子が、半信半疑ながらも、藁をもつかむような思いでそんなことが出来るのかと問うと、
「あい、なんなりと!」そう紅子は景気よく答えます。
この時の紅子の表情…見る回数を重ねるごとに怖く感じてしまうのは私だけでしょうか。願いが叶うことで、身の丈に合わない行動に走り、さらには不満を抱く者たちをこれまでたくさん見てきても、なお人間にチャンスを与えようとする。紅子のこの行動の真意はどこにあるのかを考えてしまいます。
今作の紅子に必要なのは包容力とチャーミングさ、そしてある種の人間への冷酷さだと思うのです。案の定、陽子によって産み出されてしまった不幸虫を眺めながら、心底うんざりしたような表情を浮かべた紅子を見たとき、監督が天海さんをキャスティングした理由が分かった気がしました。
銭天堂とたたりめ堂
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この映画のタイトルにもなっている『銭天堂』。このお店に続く小路は少し薄暗いけれど、人の手によってきちんと整備されているのがわかります。可愛らしい案内役の黒猫の後を追うように暗がりを抜ければ暖かい光とともに現れる、なんとも懐かしい駄菓子屋。不思議なことに「レトロだな」とは感じても、そこに古くささはなくて「タイムスリップをした」とは感じないんですよね。どちらかというと時間の概念自体が存在しないような空気感です。
銭天堂の入口のガラス扉をそっと開く時、全員が目をキラキラさせています。見たことのないお菓子がぎゅうぎゅうに詰まっている棚を覗けば、ついさっきまで悩んでいたことを忘れて、子どもはもちろん大人もみんな笑顔になる…その様子がたまらなく好きです。見ているこっちも一緒になってにこにこしてしまいます。
実際、駄菓子ってほっぺが落ちそうになるほど美味しい食べ物ではないのだけれど、いくつになってもわくわくするんですよね。あれって不思議ですよねぇ。私に限って言えば服屋で服を見てる時よりも、駄菓子屋でお菓子を選んでいる時の方がニコニコしている自信がありますから。
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一方の自称ライバル店『たたりめ堂』への小路はというとそこらじゅうぬかるんでいるし、いたる所にゴミが投げ捨てられていて、奥に進めば進むほどスクリーンから饐えた匂いが漂ってきそうなほどです。明らかに足を踏み入れてはいけない場所だと普通の状態なら判断出来ても、ここに呼ばれた人間はもう気付けない。もしくは気付いているのに欲が勝ってしまって冷静な判断ができていないことがわかります。
興味深いのはそんな小路を抜けた先にあるたたりめ堂のインテリアが、思いの外高級感のある設えだと言うことです。シンプルでありながら、決して質素ではない……シックでハイセンスな和菓子屋のような佇まいです。
これはこれでとっても素敵なお店なわけですが、紅子を敵視するよどみが銭天堂とは真反対のお店を作ろうとした結果、こうなったのかもしれないと思うと、なんだかよどみが可愛く思えてきます。施工してくれた工務店の人に雑誌とかインスタを見せながら「こういう和モダンで大人っぽいイメージのお店にしたい」「ぱっと見て何の店か分からない方がいいですね。一見さんお断り、くらいの雰囲気を出したくて」と相談した日があったのかもしれません。
よどみはお菓子も自分一人で手作りしています。作るのは気を衒わない、シンプルな和菓子がメインです。小豆や醤油、米を使用した、日本人の口にあう昔ながらの和菓子。食材の収穫も全て自分で行い、調理から販売まで手掛けているよどみ。客からのフィードバックも欠かしません。自分が作ったお菓子に夢中で貪りつくお客の反応を満足そうに見つめるその笑顔には、10%くらい「美味しそうに食べてくれて嬉しい」という和菓子作りに対する情熱が含まれていると信じています。
思わずそんな妄想をしてしまうくらい、上白石萌音さんの演じるよどみは悪意の中にもキュートさが溢れているとっても素敵な悪役でした。カラーリングも自分で何でもやっちゃうところも、どこかあのバイキンマンを彷彿とさせて、見れば見るほど好きになるんですよね。かわいいよ、よどみ。
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親友の絵の才能に嫉妬して、たたりめ堂のお菓子に手を出した百合子は、親友であるまどかの才能を奪い取ってでも自分の絵が上手くなりたいと願いました。たたりめ堂で出されたお菓子は『デッサン汁粉』。夢中になって汁粉を啜る百合子が口の周りを汁でベタベタにしながらにやりと笑う姿は、まるで映画『ジョーカー』を彷彿とさせます。そしてそれを満足そうに見つめるよどみの表情からはやはり和菓子職人としての矜持を感じます。隠しても無駄です。
親友を蹴落としてまでも得たいと思った才能の代わりに友情を失っていく百合子ですが、絵の才能と一緒に別の才能まで奪い取っているのでは?と疑いたくなるほどに煽りスキルが高すぎます。突然開花したこの才能をどこで活かせるのかよくわかんないけど、ラップバトルとか出てほしい。左手に削ったばかりの鋭利な鉛筆、右手にはカッターを握りしめたままのまどかを至近距離でブイブイ煽るのがたいへん恐ろしかったです。刺されてもおかしくない。作中、まどかが百合子を殴ってすらいないことはもっと評価されてもいいでしょう。
親友の態度の変化に戸惑いながらも、まどかが望んだ願いは「自分の心がきれいになること」でした。よどみのお菓子によって生産されていく悪意は黒い靄のようなもので表現されていますが、実際の世界も目に見えないだけで自分の心が真っ黒に染まっていくような感覚は誰しも感じたことがあると思います。まどかの台詞にもあるように、羨む心も憎む心も生まれること自体はどうしようもないことです。結局のところ、その気持ちをどう受け止めていくかが大切で、その手助けをしてくれた紅子のお菓子が苦しみ続けた百合子の心をも救うという展開に思わずグッときました。
(一つ気になったのですが、百合子は銭天堂をショートカット→たたりめ堂に直行の『特進コース』なのでしょうか?類いまれなる煽りスキルをよどみに見出されたりしました?助けに来た紅子にもピンと来ていなかったようですし、嫉妬を拗らせすぎて先によどみに見つかった的なパターンかな?)
忘れていた小太郎と覚えていた紅子
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そんな”天使の生まれ変わり”こと、等々力兄妹。
穏やかで心優しい小太郎と明るくて友達想いのまどか、お父さんを亡くして女手一つでこんなに立派に育つとは。二人ともいい子すぎてご両親の教育方針を知りたいです。
小太郎は受け持っている児童や家族の前では明るく元気に振る舞うことが出来るけれど、基本的にいつもどこか不安気な青年です。他の登場人物に比べると銭天堂に対して懐疑的なところがあり、最初はそこが少々不思議だったんですが、小太郎の元々の性格はかなりの臆病だったわけで、得体の知れない銭天堂への反応は小太郎自身の正直な反応なんだと思います。
銭天堂で願いが叶った人達の喜びや悲しみを受け止め続けた小太郎が、小さい頃に銭天堂で『堂々ドーナッツ』という駄菓子を買っていたことを思い出すくだりがとても好きです。こういう『忘れていた記憶を思い出す/相手は覚えてくれていた』というシチュエーションにとにかく弱いんですよね…。
この『堂々ドーナッツ』という駄菓子のミソは『効力が切れる=堂々と振る舞えなくなる』のではなく『銭天堂で駄菓子を食べたことを忘れてしまう』というところでしょう。
自分の臆病さに悩む人が「ドーナッツを食べたから自分は大丈夫!」という安心感の中で堂々と振舞いながら、三年という時間が過ぎる頃にはもうある程度、自分の感覚として堂々と立ち回れるようになっているんだと思います。
でもそれを完全に自分のものにするには、どこかのタイミングで銭天堂を忘れないといけないわけです。「食べたから大丈夫」が出来なくなったその日から小太郎が自分の力でどう頑張ってきたのかを、15年の時を経て紅子との答え合わせをする機会に恵まれる。
……おそらくですが、銭天堂に行くには紅子の回すガラガラが小太郎を選ぶ以外に方法はないのでしょうから、本来なら小太郎が銭天堂でお菓子を食べたことを思い出す機会は一生与えられなかったはずです。
それでも、小太郎が妹を助けたい一心で動いた結果、また紅子と巡り会えた。そして自分が自分の力で色んなことを乗り越えてきたことを恩人に認めてもらえて、今度はそれを忘れることなくこれからの人生を歩んでいけるんですよね………なんて児童小説らしい、爽やかで優しいハッピーエンド。良すぎる。
小学生の小太郎が銭天堂に初めて訪れた時の目をまんまるくした表情が、大人の小太郎そっくりで。まっすぐ育った大人の小太郎を慈しむような目で見つめる紅子は本当に嬉しかっただろうなと思います。
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小太郎を演じた大橋くん。本人も語っていた通り、小太郎と大橋くんは似ています。実は緊張しぃで注目されると耳まで真っ赤になったり、明るく元気に振る舞いながらも実は内向的なところなどなど…当てがきかな?と思うほどぴったりな役柄でした。
小太郎はストーリーテラーという役割柄、児童たちや陽子、また自分自身へ語りかける口上のようなセリフがいくつかあります。そういうセリフがきちんとあることで子どもに向けてきちんと作られた真面目な作品だと感じますし、そういう大切な役割を担った大橋くんのことがとても誇らしかったです。(口上を言う時の小太郎先生、なんかちょっとプリキュアみたいでした。お顔もかわいいし)
大橋くんには演技のお仕事をどんどんやってほしいです。普段はガサガサだと揶揄されがちな声も今回映画館で聞いて、やはりこの声は唯一無二の武器になると確信しました。中性的で可愛らしい顔立ちにハスキーボイス、アンバランスに感じる人もいるかもしれませんがそのアンバランスさこそ役へのフックとなりえます。等々力小太郎という役は、大橋くんが役者としても活動していく上で名刺代わりの役柄になったと思います。
『願いはぎょうさん』
エンドロールで流れる「願いはぎょうさん」。この曲は聞くたびに心に染み入るものがあります。この映画のために作られたから当たり前なんですが、あまりにもピッタリで。詩羽さんの声がいいんですよね。
強い人になりたきゃ
孤高のヒーローになりたきゃ
人だましたり 嘘をついたりせず
正直に生きていけ
特にここが好きです。
(ここで「ヒーローになりたい!」といつも高らかに宣言している大橋くんを思い出してグッときてる大橋担さんが他にもいるはず)
◇
映画『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』は大橋くんの出演作品だということを差し引いても、私にとってとても大切な作品になりました。子ども向けだからこそのわかりやすさを大切にしながらも子ども騙しには決してしない、作り手の真摯な姿勢が見える映画だと思います。
銭天堂がもっとたくさんの人に届くようにお願いしたいので…銭天堂に私を呼んでください!何卒!!