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教室に来れなかったあの子へ

まだ2月に入ったばかりだけど、3月の高校入試の日が近づくといつも思い出すことがある。

私が中学校3年生だったときのこと。
高校入試の日、推薦入試で合格した子や専門学校へ行く子など入試を受けない生徒は、学校で清掃活動をすることになっていた。私は、第一志望校に推薦で合格が決まっていたので、清掃活動組だった。
清掃活動組には、普段教室に来ない子たちも何人か混ざっていた。

明確にグループ分けをしたわけじゃないけど、私たちは各々話しやすい子同士でプランターを運んだり、箒で掃き掃除をしたり、おしゃべりもしながらのんびりやっていた。
私は、1年生の時同じクラスだったマミ(仮名)と一緒になった。別に仲が良かったとかそういうわけでもないのに、どうして一緒にやっていたのかは、今は全然覚えていない。

マミは、いつも相談室に登校してくる子だった。だから、お互いのことをそんなに知らなくて、ほとんど初対面の人みたいな話をした。週末何してるの?とか何か好きなものとかあるの?とか。
なのに、急に、マミが「最後まで教室に行けなくてごめんね」と言った。
消え入るような声だった。
私は、びっくりしちゃって、なんて返していいかわからなくなった。
覚えているのは、私がその一言をきいて、真っ先に思ったのが、「なんでそんなことを私に言うんだろう」だったということ。
たぶん、それが顔に出ていた。
「せっかく、私に「教室に来てくれたらうれしい」って言ってくれたのに、ごめんね」
と言葉を足してくれた。

ああ、そうか。
1年生の時、私は、マミにそんなことを言ったのか。しかも、言った本人はちゃんと覚えていないなんて最低だ。
私は鼻の奥がツンと痛くなって、マミの顔をまっすぐ見られなかった。

いつ思い出せたのかわからないけど、「もしかしてあの時…」と思うことがある。
1年生の1学期、学級委員長になった私は、クラスメイト一人一人にとって過ごしやすいクラスにしたいと燃えていた。だから、中学校生活が始まったその日から、教室に来れなかったマミも、1年生が終わるころには、教室に来てくれたらいいなと思っていた。
学校が始まった日、担任の先生は、「マミは、相談室には来ているから、よかったらみんなも給食時間会いに行ってね」と言っていた。私は、それを真面目に受け止めて、毎日相談室に行っていたマミと仲のいい子に私もついていった。
マミは、違う小学校から来た子だった。
給食を食べる間、なかなか共通の話題が見つからなくてうまく会話を続けられず、相談室にはちょっと気まずい空気が流れていた。
給食を食べ終わって、相談室を出ていくときに、「教室に来てくれたらうれしい、すぐじゃなくていいから」って言ったような気がする。
マミは、その一言をずっと気にしていて、そして2年越しに私に謝った。
その一言が「うれしかった」とも言ってくれたが、私の善意、私の正義感が、マミを追いつめてしまった側面もあるかもしれないと思うとやるせない気持ちになった。

教室に来れなかったあの子に、今だから言える、言いたいことがある。
当時の私は、学校が楽しかった。君にも、その楽しい世界にいてほしくて「教室に来てくれたらうれしい」なんてちょっと無責任なことを言ってしまった。
君がどんな理由で教室に行かなくなっちゃったのかはわからない。
でも、あの時の「ごめんね」には、「行きたかったけど行けなかったんだ」っていう思いが滲んでいるように思えた。
今、あの時の私にとって学校が楽しかったのと同じように、君にも今どこか楽しいと思える居場所があるならそれでいい。別にそれが学校である必要も教室である必要もなかった。
私の後悔は、もっとたくさん君に会いに行けばよかったということ。
気まずい給食時間より、楽しい給食時間を選んだ自分は、幼かった。中途半端だった。いい子ぶってるだけのやつだった。
結果的に君が教室に来れるとか来れないとかはどうでもよくて、ちゃんと友達になっておけばよかった。
こちらこそ、相談室に行けなくてごめんね。

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博士のたまご
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