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ヤンキーとセレブの日本史Voi.22 明治時代その4

日本がようやく西洋マフィアと対等な力をつけてきたところで、朝鮮半島を巡って大きな抗争を起こします。
ヤクザ日本にとって、朝鮮半島はロシアからの防御に重要な場所です。朝鮮半島はロシアも狙っていて、進出されるとめちゃめちゃピンチになります。
そして、ヤンキーとしての純粋な本能として、よそのシマをぶんどりたいという気持ちで進出していきます。


ヤンキーマインドで見る東アジアの開国

日本、韓国、中国は西洋マフィアの圧力で開国し政権交代していくのですが、日本はともかく外国のことは覚えにくいです。そんなときはヤンキーだったらどう考えるかを思い出してください。

組と子分のメカニズム

<前提>
そもそも組の本家のいちばん大切な役割は、他所のヤンキーからシマや組を守ることです。他所にナメられたらしっかりケジメをつけないといけません。それができない組織は子分に見捨てられて潰れます。だから、古代からヤンキーは子分に対するメンツを大事にしてきたのです。
ヤンキー世界では常識過ぎることですが、子分に見限られて組が崩壊する流れは、次のステップになります。

① 本家がナメられているのにケジメをつけられない
② 子分の怒りは本家に向けられ、政権交代を起こそうとする
③ 新しい組を立ち上げる

① 本家がナメられているのにそのケジメをつけられない
ケジメをつけられないというのは、Aケンカで負ける、Bケンカもせずに言いなりになる。の2つのパターンがあります。
ざっくりいうと中国はA、日本と朝鮮はBです。

② 子分の怒りは本家に向けられ、政権交代を起こそうとする
代紋を守れない親分に存在価値はないので、下のヤンキーたちは親分を追い出そうとします。
場合によっては腰抜けの本家に代わって下っ端が敵にカチコミをかけることもあります。
しかし、この時代に限って言うと西洋マフィアは強すぎるので勝てません。薩長などのヤンキーは西洋マフィアと戦争して単独では絶対に勝てないことを知り、腰抜けの組長を追い出して国全体で戦える組織づくりを目指しました。

③ 新しい組を立ち上げる
前の親分を追い出したメンバーを中心に新しい組が立ち上がります。

ただし、この流れが成功するには2つ条件があります。

条件1 よその組がちょっかいを出してこない
周囲のマフィアやヤクザにとって都合の悪い新しい組が生まれそうな場合は途中で潰されます。朝鮮は本家がピンチになるとケツモチの中国を呼ぶので、②の段階でこの流れが潰されています。

条件2 反乱側が一枚岩になれること
日本の場合は、天皇という無条件で皆が従う存在がいました。
これがなければ③の段階で、旧組長は追い出せても誰が新組長になるかで揉めます。中国には孫文というカリスマと、袁世凱という本家を裏切った将軍の2つの勢力がいましたが、孫文が折れることで一枚岩になれました。
地球上の他の西洋マフィアの植民地では抵抗する側がまとまらず、西洋マフィアに乗っ取られたところも多くあります。

日本と中国はこのパターンで政権交代しました。日本の場合は、①黒船からの不平等条約で、幕府は言いなりになり、薩長が西洋マフィアにケンカを売り返り討ちにされました。その後、②倒幕運動からの大政奉還で③明治政府ができました。
中国も基本的にこの流れです。①でパンピー、組本家ともに西洋マフィアと戦って負けます。②で革命が起きて本家を潰す、③で中華民国の成立です。
朝鮮では①で本家が日本ヤクザからの圧力で開国に屈します。②で腰抜けの本家にむかついた奴らがクーデターや反乱を起こしますが、そのたびに朝鮮王朝はケツモチの清を呼んできて反乱を潰すのでその先に進めませんでした。

本家がナメられても返しも満足にできないことで子分が怒って組が潰れるという基本の流れがあり、環境の要因などでパターンが分岐すると覚えておいてください。
ヤンキーの組織は上が下にナメられたら終わるのです。

朝鮮半島の揉め事

19世紀後半、この頃の朝鮮はかつての徳川幕府と同じく、国民の不満が大きくなってきていて、かつ外国からもむしり取られ始めています。日本が開国をさせてから、他の西洋マフィアもよってたかって不平等な条約を押しつけてきたのです。

朝鮮王朝は王と両班(ヤンバン)と呼ばれるセレブが統治する国でした。元々中国の明王朝をケツモチにしていて、王朝が明から清に変わるときに明側について清にボコボコにされているのですが、その後は清がケツモチに変わって、他の外国からは攻められることなく、安定した統治がされていました。
安定した統治がされているということは、わざわざ実力主義にして優秀な人を登用していく必要がないということです。だからセレブたちが世襲で好き勝手するようになります(一応中国式の上級公務員試験(科挙)はありますが、事務官の受験資格はセレブの家の子だけです)。王は役職を売ることをシノギにしますし、セレブたちはパンピーから激しくカツアゲをしています。
日本の平安時代のセレブと同じようなものです。

朝鮮王朝は割れていました
そもそも王の父(大院君)と王の妻(閔妃ミンビ)がお互いに暗殺を仕掛け合っていて、さらに閔妃は宗教にのめり込んでめちゃくちゃ散財するという状況でした。
そんな中で海外のマフィアやヤクザが乗り込んできて、どうにかしなければ行けない状況なのに、中国につくか、日本につくかと割れていました。

開国した後、閔妃は日本寄りで日本の軍人を呼んで近代的な軍を作ろうとしていましたが、給料の遅れがあったこともあり元々の軍人がキレてパンピーも巻き込んで暴動を起こし、閔妃の家や日本の組事務所を襲撃しました。閔妃は逃げ出して、王の父の大院君が返り咲きます。
日本は当然キレて兵隊を送り込むのですが、朝鮮のケツ持ちの清も出てきます。揉め事をケツモチに始末してもらうとろくなことになりません。
日本と清は閔妃を政権に戻して日本に賠償させることと、日本が軍を駐留させることで手を打ちます。清もタダでケツモチしてやるつもりはなく、改めて子分であることを念押しし、軍の駐留や外交軍事への顧問を置かせることを約束しました。(壬午事変1882年)

その2年後、今度は金玉均(キム・オッキュン)という人の率いる改革派がクーデターを起こします。このままでは閔妃が清と好き勝手やり続けて、近代化が進まず、マフィアやヤクザに食い物にされると思ったからです。日本と裏で手を結んで王宮を占拠して閔妃の手下どもをぶっ殺しました。しかし、閔妃がまたケツモチの清を呼んできてクーデターは失敗します。(甲申事変1884年)
朝鮮は腐敗した政権を追い出そうとしてもすぐにケツモチが出てくるので、改革が進まないのです。

パンピーたちも怒っています。税金も重く、朝廷では賄賂も横行しているのは皆知っています。その頃「東学」という宗教が流行ります。東学は西学(キリスト教)に反対して民間信仰に儒教とか仏教とか東洋っぽいものを混ぜたものです。この教徒が中心となって日本の幕末の志士と同じく、外国を追い出そうとして暴れます(甲午農民戦争)。
ここで朝鮮本家は自分の組員たちを鎮圧するためにまたケツモチを呼びます。

清をどうにかしないことには、朝鮮にシマを広げられませんので、これを聞いた日本はチャンスだと思いました。朝鮮にいる日本人を保護することを建前に兵隊を送りこむことにしました。
そしてその先はヤクザ丸出しでした。反乱したパンピーたちが政府と手打ちをしても日本軍は朝鮮に居座ります。出てけと言われても出ていきません。それどころか王宮に乗り込んで、国の改革を手伝ってやるとか言い出します。王の父大院君に「日本に中国を追い出してほしい」と無理やり言わせます。そんなこと言いたくなくてもヤクザに囲まれたら言わざるをえません。

日清戦争

その後、朝鮮半島の中で日本は中国と戦争を始めます。朝鮮の人にとってはとても迷惑な話です。
戦闘は西洋マフィア仕込みの最新の装備や組織を持っている日本の圧勝でした。半年くらいで朝鮮半島から中国に入っていき、朝鮮半島の付け根あたりにある旅順と遼東半島という軍港のある要衝を占領します。
中国は本土に攻め込まれ軍港を奪われてギブアップします。

相手が負けを認めたら手打ちです。日本ヤクザはまず、「朝鮮は清の枝の組じゃなくて独立した組だよな?」と認めさせます。独立した組になれば、その後どこの組の傘下に入っても清には文句をいう筋合いはありません。俺等が朝鮮を傘下に収めても文句言うなよということです。独立したんで朝鮮から大韓帝国に名前を変えさせます。

そして、遼東半島と台湾をよこせと言ってぶんどります。賠償金は3億円、日本の国家予算の4倍位の額をぶんどりました。
台湾の人たちは知らないうちに日本に支配されることになっていました。

西洋マフィアも驚く

日本が大国清をシメたと聞いて西洋マフィアも驚きます。三下だと思っていた日本が意外と強かったことにも驚きましたが、実は清は思ってたより弱いんじゃねーかと気づいたのです。
西洋マフィアも今まで何度か清と戦って勝ってますが、それでも大国だし本気出してきたらヤバいと思っていたのに、実際は日本にも負けるくらい弱かったのです。弱いと分かったらぶんどるしかありません。
となると、日本が清からシマをぶんどりすぎるのは生意気すぎます。ロシアは中国の東北部の満州を狙っていましたが、満州に近い遼東半島が日本に取られると困るので、ドイツとフランスを誘って、遼東半島は勘弁してやれよとアヤをつけることにしました(三国干渉)。
日本はアメリカとイギリスに泣きつきますが、両方の組も清のシマがほしいし、三下の日本のためにわざわざ他の組と揉めるのも嫌なので、味方をしてくれません。

日本のパンピーは怒ります。新聞が煽りまくるのもあって、ロシアぜってー許さねーという気持ちが広がります
しかし、まだ日本の組の力では西洋マフィアには勝てません。日本は清からぶん取ったカネで軍備と重工業を強化し、もう二度とこんな風にナメられないようにするんだと決意するのでした。

西洋マフィアの清の切り取り

西洋マフィアも清にますますのめり込んでいきます。
あまりにも横暴なマフィアたちに清のパンピーもマジで怒っています。清の政府が何も問題を解決しないので、パンピーたちは自分たちでどうにかすることにしました。
義和団という組織ができて、西洋マフィアや日本ヤクザと戦うために立ち上がります。義和団は宗教とか武術団体が母体となった組織です。清は歴代の王朝と比べて地方の役所への締付けがゆるい組だったので、義和団は地元の役所と協力しながら、西洋マフィアどもにカチコミをかけるようになります。
義和団のスローガンは「扶清滅洋」(清を助けて、西洋マフィアどもを潰す)です。地方レベルですが政府と協力しているので、日本のように政権を潰す方向にはなりません。
義和団が強くなってくると、清の本家も支援するようになり、ついに正式に西洋マフィアどもに宣戦布告をします。しかし、義和団は元々は武術家の集団。チャカを持ってる西洋マフィアオールスターズには勝てずボコボコにされます。本家の幹部は西の方の田舎に逃げ出します(義和団事件)。
マフィアとヤクザは手打ちとして巨額の賠償金を清から分捕り、もう二度とこんなナメたマネできねーようにと、各組の軍隊を中国に置くことを飲ませました。

日露戦争へ

そうなるとマフィアの中で中国をどう切り取るかが問題になってきます。
ロシアは冬になると海が凍って船が出せなくなります。しかし、冬でもカチコミはあるので、凍らない港が欲しくて、中国の遼東半島の港を貸せと言って分捕ります。マフィアに貸すというのは取られたのと同じです。ロシアはそこを目指して鉄道も作り始めます。
この遼東半島は、日本が日清戦争でぶん取ったのに、ロシアに横槍を入れられて諦めたシマです。ここを取られると韓国までロシアに奪われるかもしれません(本来は韓国は日本のものでもありませんがヤクザはそうは考えません)。日本はマジでロシア許せねーと思いました。
日露戦争の一番の動機は、ロシアに韓国を取られないようにすることです。しかし、西洋マフィア強盗団の中でも日本は末席で、ロシアの方が格が上です。

日本は、韓国は日本のもの、ロシアと接している中国東北部(満州)はロシアのものということで、手を打とうやと持ちかけます。しかし、ロシアは格下の日本相手ならナメたことしても大丈夫だろうと思って断りました。
その頃、イギリスはアフリカでシマを広げるために戦争をしていました。イギリスは世界中で弱いものいじめをしているので、全部には手が回らないのです。清を切り取ろうと思っていても中々そこまで手が回せないのに、ロシアが満州を分捕ろうとしています。本来であれば西洋マフィアの中でも最上位格のイギリスが、三下の日本となど対等に盃関係を結ぶことはないのですが、背に腹は代えられないので、日本と同盟を結んで、ロシアを牽制することにしました。
あとは戦争にはカネが必要なのですが、これはアメリカにいるユダヤ人が貸してくれました。ユダヤ人はロシアにめちゃくちゃいじめられていたので、ロシアと戦うなら貸してやるよと言ってくれます。

最強のイギリスと手を組んだし、カネもどうにかなったということで、日本は気が大きくなります。
一部のキリスト教徒とかが、戦争はよくないよとか言いました。しかし、過激なことを書いたほうが売れるので、新聞は煽りまくるし、東大教授が7人くらい出てきて、戦争したほうがいいぜとか言い出します。パンピーも日清戦争のときに意外とあっさり勝ててごっそり賠償金を取れたので、戦争しようぜというムードが高まっています

もちろん戦争の舞台は、日本でもロシアでもなく、中国で行われます。本当に迷惑です。
日本のパンピーたちも賠償金をたんまり取れると楽しみにして、増税にも耐えましたし、戦死した兵隊の家族が悲しんでいるのを悲しむのは非国民と吊し上げたりして戦争を応援しました。与謝野晶子という作家は戦場に行っている弟が死なないでほしいというポエムを書いただけで大炎上しました。
日本は多大な戦死者を出して遼東半島を奪い、最終的にはロシアの最強艦隊バルチック艦隊を沈めます
格下の日本が西洋マフィアの一角ロシアを倒すという大番狂わせです。(日露戦争1904―1905年)

しかし、国家予算の何倍ものカネを使って、兵隊も死にまくり、物資も底を尽きている状況で、これ以上の戦争継続は不可能な状況になっていました。
ロシアもパンピーの反乱があってこれ以上戦争するのが厳しくなっています。そこでアメリカを立会人にして手打ちをすることにしました。

手打ちの条件は、韓国、遼東半島の旅順・大連は日本のシマと認めて、ロシアが中国で権益を持っていた満州と遼東半島をつなぐ鉄道は日本のものにする、北海道に近い樺太の半分は日本にやる、ついでにその辺での漁業もしていいという話でした(ポーツマス条約)。前半はよその国のシマをどうこうするという話で、ロシアのものでものなんでもないものを勝手に差し出してるんですが、ロシア自身もシマを差し出しています。でもカネは払われません。

日本は本当はカネがほしいのですが、ロシアは端っこのシマしか渡しません。しかし、これはヤクザがケジメで小指を詰めるのと同じです。この状態でカネを払えなんて言えば、「エンコ詰めてまでケジメを取ろうとしているのに、オドレはまだカネまで要求してくるのか、仁義も任侠も分からぬこの外道が!」と反発する口実を与え、仲介人のメンツも潰します。
かといって、「外道はオドレの方こそじゃ」と言って、手打ちをひっくり返してもう一戦やる体力は日本には残ってはいません

最初はロシアに勝ったことを喜んでいたパンピーたちですが、この手打ちの条件にブチ切れます。賠償金も0で、ぶん取ったシマも思っていたより少ない。暴動が起きました。

日本が勝ったことで、国際的にも影響が色々と出てきます。
前回まとめて話をした不平等条約の2つ目「関税自主権の回復」は、ロシアに勝ったことでケンカでもナメられなくなったから実現しました。

もう一つは、日本が全然知らないところで起きていた話です。西洋マフィアは地球上のいたるところで暴力をふるいシマを増やしていました。西洋マフィアは白人がすげーんだと言って威張ってましたが、その一角をアジア人の日本が倒したことで、アジアやアフリカの国が、「俺等も頑張れば西洋マフィアを倒せるんじゃね?」と思うようになったのです。
ロシアにいじめられていたオスマントルコは、一度停止した憲法をもう一度復活させましたし、インドやベトナムでも西洋マフィアに反抗する運動が起きました。

しかし、日本は苦しめられている西洋マフィアの植民地の人々を助けるためにロシアを倒したわけではありません。自分たちも西洋マフィア強盗団の一角になるために、まずは朝鮮半島を自分のシマにするために暴力をふるっただけです。

日韓併合

清もロシアも黙らせて、日本ヤクザはようやく韓国を好きにできるようになりました。
その間韓国も何もしなかったわけではありません。ケツモチだった清が日本に負けてからは、ロシアと手を結ぼうとしたり、国を改革しようとしました。しかしうまくいきませんでした。ロシアと手を組もうとした閔妃は日本のヤクザにタマを取られました。
日本の明治維新と違い、韓国の政府には古い政権にいたセレブたちがそのまま居残っています。こいつらは国がピンチの状況でも自分のことしか考えていません。
これは日本人と韓国人のどっちが優れていたとかいう話ではありません旧政権を壊して、すぐに新政権を立ち上げられる天皇という存在がいたという日本と、そもそも旧政権を壊そうとしたら怖いケツモチがすぐに出てくる韓国という環境の違いです。
日本だって天皇という権威のバックアップがなければ、イギリスに空気を入れられた薩長とフランスに空気を入れられた徳川幕府で内戦をして、仲介とか言ってやってきた西洋マフィアにシマを切り刻まれていたかもしれません。
もっとそもそもの話をすると、島国で外国の影響を受けにくい日本と、半島で大陸との付け根に常に大国中国がいつづける韓国という立地の差です。

日露戦争の後、日本はアメリカと密約を結び、韓国の支配を承認してもらいます。日本はアメリカがシマにしたフィリピンには手を出さない。アメリカ、イギリス、日本で東アジアの平和を守ろうと約束します。ここでいう平和とはマフィアとヤクザの中での平和のことで、韓国や中国のことなんかなんとも思っていないです。
こうして、日本は韓国をシマにします。併合しちまえという声もありましたが、伊藤博文が、一応組の形は残しておいた方がやりやすいと言うので、外交の権利を取り上げて、内政も伊藤がトップになるというという形にします。中国でもここまでのことはしませんでした。中国の支配はちゃんと親分子分の関係でいれば、内政には滅多に口出しをしてきません。中国の支配は、西洋マフィアのようなカツアゲ目当てというよりも、自分のシマの周囲の安全を手に入れることの方が目的でしたから。

当然韓国人は怒ります。オランダのハーグという所でマフィアたちが会議を開くというので、そこに日本の支配がひどいというチクりをしにいきます。でも、西洋マフィアどもは他の国でもっと悪いことをしているので、韓国の話は門前払いです。(ハーグ密使事件)
しかし、これを聞いた日本は恥をかかされたとブチ切れます。韓国軍を解散させ、伊藤も韓国を併合することを了承します。
こんな状況で、日本に怒った安重根(アン・ジュングン)という男が、ロシアが支配している清のシマ、ハルビンで伊藤を弾いてタマを取りました。これにより、殺しに関わっていると疑われたくないとロシアは韓国の支援から完全に手を引き、日本はブチ切れて強引に併合を進めます。
大勢のヤクザで宮殿を囲み、韓国の首相に日本に併合させることを調印させました。

安重根が伊藤を殺さなければ併合は進まなかったということを言う人もいますが、伊藤が死ぬ前から併合は決まっていましたし、外交も内政も軍隊も奪ってる時点ですでに無茶苦茶なことをしているのです。
日本の韓国併合は西洋マフィアの植民地と違って、合法的な手続きにしたがって行われたと言う人もいますが、ヤクザに囲まれて無理やりハンコを押させられた契約は一般的には合法とは言いません。
これはどうやったって日本が悪いことをしているので、細かいところで正当性を主張してもどうにもならん話です。ヤンキーが「カツアゲはしたけど、帰りの電車代まではとらなかった」みたいなことを言っても、誰もいいコトしたねとかは褒めてくれません。
ヤンキーなんだからよそのシマを荒らすのは当然です。しかし、それは悪いことです。
日本も西洋マフィアも外道でしたが、なんのルールもない中で自分だけカネと暴力を手に入れたら、弱いものいじめをしてもっと豊かになろうとするのは人間として当たり前の本能です。特定の人種・民族・文化が絶対的に悪いのではなく、条件が揃えば誰でもヤンキーの本能に従うのです。だからヤンキーの本能を抑制する仕組みを作ることが必要なのです。
悪いことを止められなかったのだから、反省してどうしたらもう二度と起こさないかを考えるために歴史に学ぶのです。

台湾と韓国の併合

日本は戦争に勝って台湾と韓国をシマに組み入れました。
台湾は清から領土の一部を分捕るという形で、韓国は国全体を乗っ取る形でシマにします。当然両方とも抵抗が激しく、暴力で鎮圧します。

植民地のビジネスモデル

そもそも、なぜ西洋マフィアは植民地を外に広げようとしたのでしょうか
シノギを大きくして金持ちになるためというのが一つの理由です。
最初はコショウが欲しいから始まりました。冷蔵庫もなく半ば腐った肉を食ってた西洋マフィアたちは、肉が旨くなる魔法の粉、コショウを知ってからそれが欲しくなり、暴力で奪うようになります。その後、砂糖とかコーヒーとか農作物を欲しがってアフリカから人を拉致して大規模な農園を作るようになります。
産業革命で機械ができると、アフリカの人などを捕まえて奴隷として売って、その奴隷に布の原料の綿などを作らせて、本国で布にして植民地で売りさばいて再度カネを回収する三角貿易という外道のビジネスモデルを作ります。
19世紀後半から20世紀初頭でも農産物は大切ですが、儲かるシノギは工業になっています。植民地は植物、鉱物、燃料などの安い原料を手に入れる面と、作ったものを売りさばくという面で重要なのです。
基本的に植民地では作らせる品目を絞ります。そっちの方が効率的ですから。食い物を重点的に作る国と、食い物以外を重点的に作る国に分かれます。だから植民地にされるとバランスよく発展することができなくなってしまい、今でもその尾を引いています。

カツアゲが成り立つ条件

この時代のカツアゲは最終的にブツを売りつけて、カネを回収する方法です。売るということは、買う相手が必要になり、買う相手はカネを持っていなければなりません。同じ相手にカツアゲして売りつけてを繰り返せば、いずれブツを買う力がなくなってしまいます。
カツアゲする相手もある程度カネを稼ぎ続けられないと植民地は成り立たなくなってしまいます。イギリスマフィアは地球上に広がる広いシマと、外道なことを躊躇しない強い心で、三角貿易という方法を作りましたが、シマの少ないぽっと出の日本には同じことは真似できません。かといって、農産物をカツアゲしているだけではシノギとしてそんなに儲かりません。朝鮮や台湾も金持ちになって、搾り取れるようになるか、もしくは世界の他の組に売りつけられるだけの高度な製品を作れるようになってくれないと稼げないのです。

そういうことで、日本は台湾と朝鮮を発展させようとします。
まずは農業生産を増やして、日本に食い物が入ってくるようにします。まだ日本も貧しい時代です。特に暖かい台湾では砂糖が取れます。貧しい日本の胃袋を満たすために米を効率よく作らせますが、単純に米を作って外国に売りさばくというシノギでは儲からないので、台湾にも朝鮮にもインフラを整備して、工業化を進めます。字も読めない、数も分からないやつばかりだと面倒なので、教育もします(ついでに日本国民であることも教え込みます)。労働者として元気に働いてもらわないといけないので、公衆衛生などもちゃんとやります。
こういうことをちゃんとしておかないと、台湾と朝鮮から条件のいい日本に移り住む奴らが増えてきて、元々の日本人の仕事を奪ってしまうので、それなりにちゃんとやらなければならないのです。
かなり投資をしましたが、それで地域が発展して、吸い取る仕組みさえしっかりしていればシノギとしては上出来です。台湾でも朝鮮でも大きな会社は本家の人間が仕切ることで、チューチューできるようにしています

じゃあ儲かったかというとそうでもなかったようです。
西洋マフィア自体も食い物や資源を奪っているだけの段階は儲かっているのですが、その後はあまり儲けがでませんでした。
そもそもブツを売りつけてカネを回収するにしても植民地が貧しいままだと大したシノギにはなりませんし、かといって豊かにするために投資をしてもそれが回収できるとは限りません。

台湾は砂糖という農業の中でも日本の本土ではとれなくて人気が高いブツが取れたのでまだ儲かりましたが、朝鮮は儲かりませんでした。
そもそも日本にとって朝鮮はロシアからの防衛という側面で分捕りたかったのです。というか分捕る必要もなかったのです。上から目線で言うことを聞かせようとして思い通りにならないからと無理やり併合したのですが、短期間では農業以外の稼げるシノギも育たなくあまりなく儲かりはしませんでした。

メンツとシノギ

植民地を持つもう一つの理由はメンツです。
マフィアやヤクザはメンツが大事なので、うちの組はこんなにシマが広いんだということを自慢したいです(強さアピールは安全保障上も大事です)。農業だけで経済が回っているうちは単純に殴って奪うだけでシノギになってましたが、工業化が進んだ後の植民地経営を冷静にシノギとして考えるとそんなに儲からないものです。日本も西洋マフィアもそれに気づくのはもう少し先の話です。
暴力は継続的に支配するにはコストが高すぎて割に合わない手段なのです。暴力にはその場では問題を解決できても、継続的に状況を改善させる力がありません。むしろ恨みを残します。だから常に反撃に備えた暴力を常備しなければならなくなり、結果としてコストが高くなるのです。
中国は元々シマを大きくしすぎることが組にとってよくないことを理解していました。シマを広げれば広げるほど国境が広がり、防衛するのも統治するのも大変になります。周囲の国を子分にして言うことをきかせたほうがコスパがよいので、親子盃を交わす外交をしてきました(モンゴル人のやってた元だけはそういうのが分からなくてやたらめったらシマを広げましたが)。

シマを広げるのはマフィアとしてのメンツみたいな側面も大きく、冷静になり儲からないと気づいてからは手を引くようになるのです。マフィアやヤクザのメンツで始めて、人道的な理由ではなく、あくまでシノギの都合で終わりにしていくというのが植民地経営でした。

西洋マフィアは弱いものいじめを正当化するために、自分たちは未開な蛮族たちに文明や素晴らしいキリスト教を教えてあげていると思っていました。鉄道とか港とかも作ってあげて、遅れた野蛮人の国を引き上げてあげているという勘違いを結構真剣にしていました。
日本でも同じことを言ってる人たちもいますが、朝鮮と台湾の人からしたら、お前らが吸い取りたかっただけだろうという話です。
この勘違いはヤンキー丸出しの過去の話とは限りません。現代でも先進国が開発途上国の人に安い金で劣悪な条件で働かせたり、資源を安く買っていることもありますが、これを数百年後の価値観で見たら、搾取とされているかもしれないです。この時代の植民地経営でも蛮族を発展させてやってると真剣に思っていた人たちはたくさんいました。

確かに日本が投資したことで台湾と朝鮮半島のインフラ整備や教育や公衆衛生などの社会政策が進んだ面はあります。事実として、台湾と朝鮮にもメリットはありました。(しかし朝鮮半島のインフラはその後の朝鮮戦争で破壊されるので意味がない)しかし、それは日本が単に吸い取りたかったからやっただけです。当然非常に大きなデメリットも押し付けています。
台湾と朝鮮の発展は日本のおかげとか言うのは、ボコボコにしておいて、お前も勉強になったんだから感謝しろよとかいうのと同じです。

日本人としての統治

台湾と韓国の日本の統治は、次のパターンです。

① 最初は横暴なことして現地で暴動が起きるので、マイルドな施策で懐柔し、親日派を作り協力させる
② その後、戦争がやばくなり皆が協力しないと勝てないので、日本国民としての教育を徹底する。
③ 負けていなくなり、次の支配者が入ってくる。

最初のころは反発も大きかったので、反乱の鎮圧をします。急にヤクザに乗っ取られたということだけでもムカつくのですが、日本ヤクザは元々の住民のシマを勝手に奪ったり、ヤクザの都合で必要な仕事に無理やり現地の人を動員したりします。殴る奪う、女性に乱暴するなども当たり前でヤクザ丸出しです。
だから、あちこちで反乱が起きて、強硬策だけではコスパが悪いからと言って、味方になる親日派を増やす方向に転換するのです。
そして、戦争がやばくなってくると、台湾にも韓国にも協力させるために、「お前らも日本人だから」と強く言うようになるのです。

台湾

台湾は清の一部を切り取ってシマにしています。台湾は大陸から離れた島で、中国人のマジョリティである漢民族もいれば、現地の部族もいます。伝統的に海に出ていくことに関心の薄かった中国は、当時は端っこの島の現地の部族のことは気にかけておらず、文明もあまり進んでいません。ということで台湾の中は割れています

日本ヤクザはシマを勝手に奪うし、殴るし嫌なやつらでした。
しかし、漢人はあまり反抗しませんでした。一部は反乱を起こしたのですが、首謀者は大きなことをして見返したいヤツとか、神の使徒を名乗るとか、ちょっとヤバい人たちが多く、大多数がついてきませんでした。

原住民族の方はというと、元々部族間の抗争もしており、ケンカには慣れていました。
原住民族も日本ヤクザがシマを奪ったり、女性に乱暴なことをするので怒っていました。特にポリ(警察)が横暴で、鶏や豚を奪うだけではなく、現地の女性と結婚してうまくいかなくなると殴ったり、日本で売春させたりとかなり外道なことをしていました。
あまりにもひどすぎるので、原住民は日本ヤクザが運動会をしているところに乗り込み、女子どもも含めて134名をぶっ殺しました。
しかし、反乱は広がらず、襲撃に加わった奴らは鎮圧されました。
結果的には、あまりにも乱暴なことをすると、反撃にあうと分かってその後、ヤクザもむやみに殴ったり無理やり働かせたりはしなくなりました。
この後、日本は原住民族を重視します。大国中国の国民はプライドも高いですが、原住民族は中国の人間だという意識は希薄です。何人か日本に観光旅行に連れて行ってあげて、日本の文明のすごさを見せつけて、帰ってきて皆に伝えさせます。「日本スゲー、おれらもこのスゲー日本国民なんだ!」と言わせます。文明の発達と文化の違いをまぜこぜにして、こんなに文明が発達しているのは日本文化が素晴らしいからだと誤解させ、日本ファンを増やしていくことに一生懸命になりました。

朝鮮

朝鮮はもともと組だったところを丸ごと併合しています。なので、台湾と比べると組員がまとまりやすいというところはありました。そもそも、大国中国に近い位置にいて、文化も文明も進んでいると自負しているのに、三下の日本に乗り込まれてきてムカついています。
しかし、併合される直前に伊藤博文を弾いているので、日本も強硬な態度で臨み、軍人がトップになり、軍隊が警察をやり、厳しく取り締まりをします。

ちょっと先取りの話ですが、第一次世界大戦を終わらせるためにアメリカが「民族自決」とか言い出します。それぞれの民族が自分のことは自分で決めて、誰かに指図されないということです。これは、ヨーロッパのマフィアたちに植民地を手放させるために言った方便です。アメリカもフィリピンとか中米に植民地持ってるのですから、地球上のすべてに適応するとは思っていません。
しかし、朝鮮を始めとして様々な植民地の人たちは盛り上がります。朝鮮では3.1運動として、100万人以上が参加する大規模な独立運動を行います。日本ヤクザは暴力で鎮圧しますが、厳しいことをやりすぎると暴動になると思い、以後マイルドになります。

ちなみに、朝鮮統治の最初の頃に日本式の人の管理の方法として戸籍を導入します。
度々問題になる「創氏改名」なんですが、この戸籍の創設と混同されているフシがあります。
日本のパンピーの管理は江戸時代から続くイエとムラです。基本ムラでまとめて上納金を払わせるのですが、ムラの中ではイエ単位でカツアゲをします。個人単位でとるとかではなく、一家として上納金を払えよという仕組みです。明治でもそれが引き継がれ、イエ単位でパンピーを管理します。父親が家長としてイエを支配するという形で、ヤクザの組織も組長を親父と呼ぶようにこれをベースにしています。
日本だと夫婦同姓なので当たり前のように同じ苗字で親子関係にあるのが家族とわかりますが、儒教の影響が大きい中国文化では夫婦別姓で、出身家系の結びつきが強いです。韓国もそうなっています。韓国でも管理しやすいようにイエ単位の戸籍にします。元々の朝鮮式の氏でも日本式の氏でも名乗れるのですが、当初は元々の日本人と混同されにくい名字にしろよとされています。同じ日本人といいつつも差はつけています。
戸籍は強制ですが、日本式の名前への改名は強制ではありません。

その後、日本人だけで統治はできないので、日本の言うことを聞く人たち(親日派)を優遇したりして、味方を作り、日本嫌いの人と分断させていきます。

戦争がやばくなり皆が協力しないと勝てないので、日本国民としての教育を徹底

その後、皇民化教育という日本人になるための教育が行われます。
日本語を使ったり、日本名に改名したり、天皇陛下を敬う教育をします。日中戦争から太平洋戦争になって戦いが厳しくなってくると、日本人として一緒に戦ってもらわないといけないですから。
日本人っぽいふるまいがきちんとできている人は、就職や進学が有利になったりします。そういうインセンティブもあって、名前を変えたりする人もいます。

戦後の話をすると、台湾は日本が負けた後入ってきた中国国民党が日本よりもヤクザすぎたせいで日本の方がマシだったと評価をする人も少なくありませんが、韓国・北朝鮮の方は未だに恨んでいる人も多くいます。両方に良い・悪いの評価をする人がいます。
台湾と朝鮮では受け止め方も違いますし、もちろん個人によっても違います。日本人であることに誇りを持つようになった人もいますし、元々の民族の誇りを傷つけられたと怒っている人もいます。
人と人とが交わり合えば、助け合うことも激しく差別することも同じ社会の中で同時に起こるのは当然です。

変えることができない過去をどう評価するかは一度意見が違ってしまうと合意がしにくいものです。だから、過ちを繰り返さないように未来の話をする必要があります。

このあたりは右にも左にも揉めやすいので、一応私のスタンスを書いておきます。ヤンキー日本史では、人類の歴史はヤンキーの利己的な行動で作られてきたという立場に立つので、ヤクザ丸出しの行為をわざわざ美化したりして書きません。
日本だけが特別外道だとは言いませんが、他もやってるんだからセーフでもなくて、みんなアウトです。
しかし、日本の悪さを強調するためなら、事実じゃないことを言って叩いたりしてもいいとは思いません。
悪いことをしたこと自体を認めるのは自虐ではないと思います。アジアの発展を願っていたとかごちゃごちゃ言い訳せずにきちんと認めるべきだと思います。

自虐とは日本がやったことは全て悪でその罪は未来永劫終わらないという、何やっても悪の存在から変わらないという諦め・決めつけではないでしょうか。絶対に変わらない悪であれば、道徳的な負い目を常に負い続けなければなりません。でも、悪いことをしても反省して変わることができるのであれば、反省は決して自虐ではありません
反省は何につながるかが大切で、二度とこういう外道なことをしない世の中を作るための反省である必要があるのではないでしょうか。悪の日本が反省して謝罪し続ければ世界は平和になるわけではありません。力をもったら誰でもやりかねない外道なことをどう防止するか、他の地域でまだ終わっていない外道なことをどう止めるかに力を尽くすことがケジメなのではないでしょうか。

また、未来永劫謝らせ続けて、何度でも賠償し続けろと求めるのもまたヤクザのシノギです。なんの解決にも発展にもなりません。そういうことを言う人はシノギにしてるからこそやめないのでしょうが。
反省をしたらやることは、手打ちをして、未来で同じことが起きないようにすることが大切なのではないでしょうか。このあたりの話は、また戦後の国交正常化のときに詳しく書こうと思います。

その頃中国は

清が弱すぎて西洋マフィアにも日本ヤクザにも食い物にされている中で、パンピーたちも怒っています。しかし、義和団事件でパンピーもマフィアにボコボコにされました。
こうなってくると、ヤンキーであれば無能な本家を追い出すことは当然になります。

孫文という人はずっと革命を狙っていました。中国では王朝がだめになりすぎたら革命を起こして組の本家を総とっかえします。元々、清は元々中国にいる漢民族の国ではなく、別の民族の住む満州にいた組が中国を飲み込んでつくった組です。
孫文は、今の清の本家ではダメだから、満州のやつらを追い出して、民主的な国にしようと武装蜂起します(辛亥革命 1911年)。孫文は革命の翌年に中華民国という新しい組を立ち上げています。
清の本家もビビります。袁世凱という武闘派に孫文をシメてこいと兵隊を与えます。そしたら、孫文が袁世凱に手を組まないかと打診をしてきました。袁世凱は自分が組長になれるなら協力してやるといい、孫文はそれを飲みます。清に勝ち目はなく、組長は引退し、清は終わりました。
これで中国も西洋マフィア式の国の仕組みを入れて巻き返すと思いきや、袁世凱は皇帝になりたいようでした。まだまだ揉めそうですし、揉めればシマを切り取るチャンスも多いと西洋マフィアと日本ヤクザは楽しみにしています。


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