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ヤンキーとセレブの日本史 終章 現代のヤンキーと暴走族 その文化と歴史

ここまで、古代から現代までの日本の歴史を通して、ヤンキーマインドがどの時代においても普遍的であることを見てきました。

現代はヤンキーよりも大学を出たホワイトカラーなどのセレブが優勢な社会ですが、歴史の中でセレブが栄華を誇ったのはほんの短い時期でしかなく、ヤンキーがヤンキーマインドで統治をしていた時代の方がはるかに長いです。

日本の歴史はヤンキー的な思考を基に積み重ねられ、その文化はヤンキーマインドの影響を受け、唯一無二の美しい文化として我が国に根付いてきました
最終章では、暴走族に代表される現代のヤンキーの特徴、文化、発展から衰退に至る歴史を概説していきます。


1. ヤンキー文化の特徴

ヤンキー文化は、精神性とその表現である造形(アート)の2つの観点で特徴を持ちます。

1.1. 精神性:アマチュアリズム、地元愛

これまでも何度も語ってきましたが、日本のヤンキーの大きな特徴は「アマチュアの不良」であることです。プロではないので、経済的合理性を追求せず、自分たちの誇りをかけた不良活動をすることです。
その結果、1円の得にもならない暴走族や改造学ランなどの様々な特殊な不良文化を生み出しているのです。

ヤンキーの本能は生物としての人間の本能そのものです。
文明が発達するよりも遥か前から、人間には生物として自身やその遺伝子を分け合った家族を守るため、最も効果的な方法を本能として刻みこむように進化してきました。ヤンキーマインドはその本能の純粋な発露であり、それが歴史の積み重ねと環境の中で最適化されたものが日本のヤンキー文化なのです。

1.1.1. アマチュアリズム

日本のヤンキーの特徴はアマチュアリズムです。他の国の不良が暴力を使って金儲けをしようとするのに対して、日本のヤンキーは暴走やタイマンなど1円の得にもならないことに誇りをかけて取り組みます
現代の日本は治安がよく経済的にも発展しているので、普通は犯罪をして食べていくよりも働く方が割がよいです。日本以外の国で悪いことをする人たちは、基本的に金のために悪さをするのです。日本でも個人レベルで見るとそのような状況に陥ってしまう人もおり、犯罪に走ることはあります。しかし、通常ヤンキーは犯罪者を目指す、犯罪者になることが既定路線ということはなく、暴走族に入っているヤンキーですら、ほとんどがヤクザなどのプロを目指していません。

ネットでかつて有名になった、ヤンキーが学校の文集で書いたとされる作文。若い時は暴走族を頑張り、卒業後はカタギの仕事につき、生涯ヤンキー魂は失わないという強い決意が述べられている。参考:https://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_shogaigeneki.htm

また、このアマチュアリズムと似た現象は江戸時代の武士にも見られます
詳しくは江戸時代の回で解説しましたが、こんな話です。
徳川幕府の統治の都合上、地方の組を統治する武士は安全保障のために暴力を備えることが求められますが、本家の徳川幕府に楯突かれても困るので、武家諸法度などの制度を作り、アイデンティティとしては戦士、しかし実際には暴力は使わないという規範を作りました。そしてその規範(文武両道に励み、主君に忠義を尽くす)をかっこいいものとして定着させました。
その結果、武士は暴力がアイデンティティにもかかわらず、暴力では飯も食えないし出世もできないという、暴力のアマチュアにさせられました。しかし、これにより実際に殺し合いをしなくて済んでいるので、かっこいいことを語ったり、精神性を重視出来るようになりました。自分や家族や国の命運がかかっていたら、負けるとしても正々堂々としているべきとか言えるはずはありません。戦国時代までのなりふり構わずとにかく勝てばいいという考え方は天下泰平の江戸時代には廃れました。
それが後世で武士道として理念化され、日本古来の美徳だと誤解されるようになったのですが、これは暴力のアマチュアだったからこそ起きたことです。結果にこだわり勝つためには何でもするプロの暴力の中には倫理観は育ちませんが、勝ち負けが命や財産にかかわらないアマチュアだからこそ綺麗事が言えるようになったのです。

このように戦うことを求められない戦士階級、江戸時代の武士という特殊な事象を通じて、日本は暴力のアマチュアという存在を経験し、現代においては暴走族などのヤンキーの中に同じものを見ることができるようになっています。
アマチュアだからこそ、現実のしがらみにとらわれず、自分が信じたもののために誇りをかけて戦うことができるのであり、江戸の武士にもヤンキーにもその美しさが宿るのです。

1.1.2.仲間とメンツ

人間が自身の集団を守るためには、シマを維持して食料を確保し、集団を大きくして外敵から防衛することが重要です。そのためにはシマの拡大が効果的であり、他のシマに住む他者を屈服させ、配下につけることが効果的です。
ヤンキーは見ず知らずのものでも忠誠を誓えば仲間に加えます。親分と子分の関係をつないでいるのは、親分に対する畏怖と尊敬です。この人に逆らえば自分が痛い目にあう、この人についていけば自分も得すると思わせることができれば、子分は言うことを聞きます。これに対してセレブは関白とか部長とかの組織のポジションに対して服従するので、本人がクソで役立たずでも組織自体の権威さえしっかりしていれば下は従います。

ヤンキーの親分は常に子分に対して自分の力のすごさを見せつけなければなりません。親分の力を信頼していなければ、子分たちは離れていきますし、親分を倒して自分が親分に成り代わろうとするやつらすら出てきます。
そのためヤンキーの親分はメンツをとても大切にします。自分のメンツももちろんですが、組のメンツを潰されたときには、ナメたことをしたやつに対してきっちりケジメをつけなければならないのです。そうしないと、この親分は組の看板も守れない腰抜けとナメられて子分たちが離れるか反抗してくるのです。「ナメんなよ」という言葉は、ヤンキーのいちばん大切な行動原理を表しているのです。
ヤンキーがメンツを重要と考えることは本能に基づいています。だから、一見経済的な合理性がない行動であっても、ヤンキー的な武威や勇敢さをアピールすることは自身の権力を安定化させるという重要な役割があるのです。

ヤンキーの格好をした猫「なめネコ」。ヤンキー全盛期の1980年代にブームになり、なめネコ免許証は大流行した。有効期限が「なめられた無効」となっているように、ヤンキーはナメられたら終わりなのである。現代ではなめネコがまたリバイバルされている。


1.1.3. 地元との関係

ヤンキーは地元をこよなく愛します。暴走族は特攻服や旗に必ず地元の名前を大きく示します。ヤンキーの基本的な行動原理として「地元で自分たちより悪い奴らを許さない」という考えがあります。これは地元=シマを守るという生物の本能的な行動です。峠でうるさい走り屋がいれば金属バットを持って自主検問を設置し、よその族が地元を走っていればボコボコにします。これは地元の中で暴力を独占し、示威することで自らの権益を守ろうとする行動です。地元で好き勝手悪さをしていいのは自分たちだけということがチームの強さを作るのです。

ヤンキーの影響力は地元の人脈や周囲から強さを認知されていることに依拠しています。だから、地元の外に行くと、よほどの勢力のチームでなければ名前も通っていないため、その力が十分に発揮できないのです。これに対してセレブは学歴、資格、有名な企業などへの所属という全国どこででも認知されている肩書を重要視するため、地方から都市へ、都市からまた別の都市へ移動できますし、人脈に依存せず経歴や技能で仕事を得ることができます。そして、そうして稼いだ金で必要なものを買うことで住んでいる地域の他の住民との助け合いがなくとも生活が出来るのです。

ヤンキーと地元の関係を詳細に研究した「ヤンキーと地元」。社会科学者の著者は沖縄の暴走族にパシリとして加えてもらい、10年間間近でヤンキー達の生態を調査した。必ずしも地元に対してポジティブな印象を持つものばかりではないが、地元の人間関係の中で力強く生きていくヤンキーや地元にいられなくなることで苦労をするヤンキーの姿が詳細に描かれている。

ヤンキーは地元では人脈に基づいためちゃくちゃ強い力を持ちますが、地元を出れば無力になります。反対にセレブは組織に属していれば、自分自身の経済力でどうにかなってしまうので、生活を助け合うほどの人間関係が育たず、よほど人柄がよくないと孤立してしまうのです。
セレブの世界では定年して会社を辞めると友人もおらず誰とも会わなくなるという人が少なからずいます。その時、自分自身が慕われていたのではなく、部長とかのポジションがあるから相手をしてもらえていたことに気づくのです。
それに対して地元から出ないヤンキーは中学時代からの友達がずっと地元にいますし、地域の行事などにも積極的に参加しているので他にも友人はたくさんいることが多いです。暴走族OBのイベントなどにいくと、友人と一緒に親子3代で参加しているというケースも珍しくはありません。

ヤンキーバンド氣志團のリーダー翔ヤンも地元の木更津をこよなく愛し、毎年木更津近郊で氣志團万博というフェスを開催しています。

1.2. ヤンキーアート:本能に作用する芸術性

ヤンキーの表現の最も基本的なコンセプトは本能に作用することです。
特徴的な造形を過度に強調するスタイルが大きな特徴です。また、かっこいいものにかっこいいものを混ぜればもっとかっこよくなる、より大きくより長いほうがよいというよいとい価値観の足し算の文化を持っています。
ヤンキーの本能としてもっとも大切なことは、自分の縄張りを守り、敵対するものに対抗することです。戦って勝つことは最上の策ではありません。戦闘は勝ったとしても怪我や死亡を伴うリスクがあるため、威圧して戦闘をせずに相手を屈服させるほうが優れた手段です。
そのために、動物は大きな体躯、牙、たてがみ、鳴き声を持ち、毒を持っている生物は体表を原色でカラフルに進化させてきました。これらの大きくて派手な要素は他の生き物に本能として危険を知らせ、相手を退ける役割を持つのです。
ヤンキーの趣味も同様に大きく長くいかつく派手です。これは、文化的な前提を共有せずとも動物の本能に基づき相手を威圧することができる優れた様式なのです。
ヤンキーの造形物にはこの動物としての本能が組み込まれているのです。だから、ヤンキーが作るものは、誰が見てもすげーというインパクトを与えるのです。

徳川家康を祀ったヤンキー建築日光東照宮。徳川家は支配を強固にするために、家康を神格化した。家康の凄さを教養のないパンピーどもにわかりやすく見せつけるためには、本能的にすごさが理解できる派手な造形が必要で、いかつく金ぴかなヤンキーデザインが取り入れられている。

1.2.1. 主題と表現

芸術作品には、「主題」と「表現」の2つのポイントがあります。
「主題」とは何を表現するかです。アートは人の心を揺さぶるために作られるもので、アーティストはどのような「主題」を用いて人の心を揺さぶるか悩みます。愛とか友情とか抽象的な内容はそのままでは伝わりにくく、具体的でわかりやすい何かをモチーフにすることも多くありますが、モチーフを用いるとその背景や文脈を理解している共通の文化の中でしか通用しなくなるという問題点があります。

例えばヨーロッパの古典絵画は聖書をモチーフにしているものが多くあります。聖書の場面はキリスト教を理解していなければその意味を理解できません。他にも赤いバラは美や愛、りんごは原罪の象徴とか、知らなければわからないものもたくさんあります。
現代アートになると鑑賞の前提として理解しなければならないことがより複雑になり、現代美術館の作品は多くの人に鑑賞方法がよくわからず難解だと思われるようになっています。(もちろん現代アートの中にも見るだけで心が揺さぶられる表現が卓越した素晴らしい作品もあります。)

アートは主題にそって洗練させるほど、共通の文化を理解している人の中でしか通用しなくなるのです。セレブは自分たちの高貴さ・特別さをアピールしたいのでそういうのが好きで、日本でもセレブが勢力を持っていたときには侘び寂びとか幽玄とか分かる人にしか分からないアートが流行しました。

わかりにくいセレブの世界の美術の代表例、マルセル・デュシャンの「泉」(1917年)という作品。既製品の便器に作者のサインをしただけの作品で、1999年に2億円の価格がついた。見ただけでは何がそんなに素晴らしいのかは分からない。ここでは必要ないので語らないが、この作品は成立の過程などの話を知らなければその価値は理解できない。

しかし、ヤンキーアートには主題の設定がありません。とにかく動物として本能で感じられる表現で魂を揺さぶればよいのです。だから、日本の文化を詳しく知らない人にもその凄さは本能的に伝わります。金閣寺が外国人にも人気なのはそのわかりやすさによるところが大きいでしょう。

そして「表現」です。主題を最も的確に心を動かすように伝える技法が表現です。表現する技法もアートの出来不出来に大きく関わります。
絵画であれば、絵の構図やタッチや彩色、演劇であれば構成や演出や役者の演技などで、芸術の種類により表現技法は異なりますが、大切なことは、いかに主題を心に伝えるかの技法です。
ヤンキーアートはほとんどがこの「表現」だけで出来ています。「主題」は本能的にすげーという印象を与えることができればよいため別に検討する必要もなく、とにかく大きく長く派手にいかつく、思いつくままに表現すればよいのです。
その結果、ヤンキーアートは荒削りな情熱がそのまま具現化された表現になります。ヤンキーアートは何かを伝えるもののではなく、ただ自分の魂の震えをありのままに吐露し、他人の魂をも揺さぶるものなのです。

東京パラリンピックの開会式にはデコトラが登場した。(セレブが考えたクソみてーな東京オリンピックの開会式の演出とは違って)世界に日本の伝統的な美であるヤンキーアートを使って、驚きと興奮を与えた。

族車や特攻服に代表されるヤンキーアートのコンセプトを一言で言い表すなら、「かっこいいものにかっこいいものを足したらもっとかっこよくなる」です。ヤンキーの表現は足し算の文化です。大きいものはより大きく、長いものはより長く、目立つ要素を全部混ぜ合わせれば一番かっこよくなると考えるのです。族車は三段シートや竹槍マフラー、ロケットカウルを長く生やし、目立つ色にカラーリングします。セレブアートのように不必要なものを削ぎ落とす引き算はしません。
ヤンキーアートは雑多で派手でいかつくて、見るものの理性ではなく、魂に訴えかける魅力があるのです。

かつて暴走族専門雑誌チャンプロードに掲載された族車。ロケットカウルというパーツが無数に装飾されており、もはや正常に走るかどうかも怪しいが、見た人に確実に驚きを与える造形となっている。

ヤンキーアートの鑑賞には難しい作法は必要なく「マジ渋い」。この一言ですべてを表すことができるのです。セレブではないので、作品がどう素晴らしいかなど説明して、自分の教養をひけらかす必要はなく、ただ感動したこと自体を口に出せば十分に作品を愛でることができているのです。

改めて考えていただきたいのですが、「アートは洗練されているものの方が素晴らしい」というのは当たり前のことでしょうか?洗練とは、主題にそって不必要な要素を削ぎ落とし、作品を構成する個々の要素の調和が取れていることです。
美しさは主観的なもので、時代や鑑賞者個人の背景によっても異なります。洗練され、調和が取れていることも一つの美しさですが、調和が取れていないものが美しくないとは言えないのではないでしょうか。短絡的によいと思ったものを取り込むという創造方法は、人間の本能を最も刺激する要素を的確に選択するクリエイティビティでもあります。

ヤンキーのバイクや特攻服は、かっこいいものにかっこいいものを足したらもっとかっこよくなるという足し算の発想でできていますが、「美しさとは洗練され調和が取れているものに限る」という前提が誤りだとすれば、ヤンキーアートが美しくないということは論理的に立証できなくなります。

それに現代のWEBビジネスでは、伝わりやすさということには大きな価値があります。動画広告などでも始めの数秒で興味を引けるかどうかで効果が大きく変わります。本能を刺激し、なおかつ理解の前提に文化的な背景を必要としないヤンキーアートは、WEB上での表現を大きく発展させていく可能性がある技法になるのではないでしょうか。

1.2.3. もののあわれ

日本のヤンキーアートの特徴はもう一点あります。それはいかつさ100%で出来ていないという点です。海外の不良のファッションは強さ100%の男性的な要素でできており、女性的な象徴などは弱さと映るため、あまり利用されません。威圧するためのものなので当然です。
しかし、日本のヤンキーはもののあわれを重視します。日本が仏教的な諸行無常を大切にする文化を持っていることもありますが、ヤンキーは特にそれを重視します。
それは、暴走族などの活動は若いうちの限られた期間の中でしかできないものであることと関係が深いと考えられます。日本のヤンキーはアマチュアであり、いずれ生計を立てるためにカタギの職を得ることを人生設計の前提としています。したがって、暴走族にも引退があります。

社会から爪弾きにされ、同じような境遇の仲間たちと集まって、青春を謳歌する。そして、そこには終わりが来ることがわかっているため、今の一時をとても大切にします。ヤンキーのポエムには、友情や恋人を大切にする気持ちが書かれますし、儚く移ろいゆく象徴として使われる桜の花びらをモチーフにした図柄なども好まれます。これこそが諸行無常であり、もののあわれという日本古来から続く精神性の体現です。

強さはとても重要な要素ですが、その強さは社会に居場所のない自分や仲間の尊厳を護るためのものです。アマチュアである以上、尊厳を護るという目的はカネや他のくだらないことよりも大切なものであり、自分たちの重要なアイデンティティとして儚さ、もののあわれを表現した意匠が好まれるのです。

日本のヤンキーはポエムを詠みます。ヨーロッパ人にこの話をしたところ、「うちの国の悪い奴らは絶対ポエムなんか詠まない、100歩譲って仮に詠むとしても『教師殺す』『母親殺す』という内容で、友情とか感謝とか語っている日本のヤンキーはどこが不良なんだ?」と言われたことがあります。ポエムは軟弱な文化ですが、その弱さを取り入れることにヤンキーの美しさがあります


特攻服には自分たちの武勇と仲間との友情を詠ったポエムが刺繍されることが多い。
卒業式の学ランでは、親への感謝の気持ちや友情を詠ったポエムが多い。
出典:特攻服刺繍のきてこうてや
この店のサイトでは、ヤンキーポエムのサンプルも掲出されている。

弱さに対しても価値を感じることは、キティちゃんなどのかわいいものを取り入れることにも繋がります。ヤンキーはかわいいものも好きです。
かわいいもの、面白いと思ったものを素直に感じたままに評価することは、ヤンキー文化が様々な文化を取り入れて発展していく土壌になりました。

ヤンキーに長らく愛されてきたファッションブランド「ガルフィー」。いかつい柄とかわいい犬のロゴのギャップのデザインのセットアップが多い。最近はおしゃれなブランドとしてヤンキー以外にも広がっているらしい。ちなみにヤンキーがジャージのセットアップを好むのは常在戦場の生き様の中で戦いやすく逃げやすく、そして異性との関係の際に脱ぎやすい点がメリットになっていことが理由らしい。
出典:ガルフィー

短絡的に良いと思ったものを次々と吸収することで、日本のヤンキーのデザインは強さ一辺倒ではなく様々な感情を内包したものとなったのです。


2. 暴走族文化

ヤンキー活動は経済活動ではありません。ヤンキーは日中は学校に行ったり、仕事をしたりして社会生活を送っており、その中でヤンキー行為をするのです。この章では、ヤンキーの晴れ舞台である暴走族の活動、次の章では日常の活動の各論を見ていきます

2.1. 走りの目的

走りは暴走族のアイデンティティです。しかし、大切なのは速さではありません。暴走族はバイクを改造しますが、速くするための改造はあまり一般的ではありません。まずはマフラーを外して、爆音がでるようにします。そして、3段シートと言われる高い背もたれのついたシート、天にそびえるように高く突き立てたカウル、操作性を犠牲にしてまで極端に曲げたハンドルを取り付けていきます。速く走るという効率を求めることよりも目立つことに重きを置くのです。
峠や高速道路などを速く走ることを目指す走り屋などとは異なり、市街地などギャラリーが多く見られる場所を走り、爆音とともに自分たちの存在をアピールすることが走りの目的となります。
不良になる子は家庭環境に問題がある場合が少なくありません。勉強をすることが将来につながることを教えてくれる大人も周囲にいないこともあり、勉強もあまりしません。そのため学校でも勉強の成績もあがらず、素行の悪さで先生に目をつけられます。そういった居場所のなさが、自分たちがここにいるというアピールにつながっているのでしょう。

2.2. 族車の改造の特徴

暴走族の乗る車やバイクを族車といいます。族車は日本独自の様式を確立しています。元々は西洋のバイク文化から取り入れたパーツも多いですが、族車では独自の解釈でオリジナルのパーツが意図していた機能性を犠牲にして、造形の特徴を過度に強調した形状に進化しています。

族車の改造も最初は合理的な理由がありました。しかし、時間が立つにつれ、その合理性が忘れ去られて、見た目の特徴が過度に進化していくという傾向を持っています。
あたかも孔雀のオスの羽根が当初はメスの関心を引くために派手になっていたのが、戦闘や逃亡に支障をきたすレベルにまで大きくなってしまったのと同じような進化の経路をたどっています。

2.2.1. マフラー/排気系

ヤンキーがバイクを入手したときに最初に改造する部品がマフラーです。マフラーにはエンジンの音を小さくするための消音装置が含まれていますが、ヤンキーはそれをあえて外し、音量を大きくします
暴走それ自体が、目立つために行うパレードであり、爆音はその主張として欠かすことができないものです。爆音を鳴り響かせることで、より広い範囲に自分たちの存在をアピールすることができるのです。
また、道路交通法を無視する危険な走行を繰り返す中では、周囲の車両に暴走族が走行していることを知らせなくては事故の危険性がより高まります。その意味で、爆音は保安装置の役割も兼ねています

また、マフラーには竹槍マフラーと呼ばれるものもよく使われます。マフラーは一般的に長くなることでエンジンの力強さ(トルク)を上げることができるため、初期の暴走族ではエンジン性能の向上のため長いマフラーを使用していましたが、バイクの形状的に長いマフラーは上向きにならざるを得ませんでした。ヤンキーは長いものは長いほどよいと考えるので、エスカレートして、実用性を損なうレベルにまで高くなっていくのです

天高くそびえるタケヤリマフラー 
出典:i-Q Japan https://i-kyu.com/ran2022-takeyari/

2.2.2. カウル

カウルとは、空気抵抗を減らし、高速で安定して走行するためのパーツです。スポーツ用のバイクでよく使われています。
しかし、族車では、カウルは目立つためのパーツに意図が代わり、ロケットカウルという高い位置に取り付けられる改造が目立つようになりました。それが行き過ぎるとブチ上げと呼ばれるスタイルになり、複数つけるともはや正常に走るかどうか怪しい状態になります。しかし、ロケットカウルは縦に伸ばすことで、車体を大きく見せる効果があり、大きいこと、いかついことをよしとするヤンキーの世界ではそれがかっこいいと考えられています。
ただし、ロケットカウルにも合理的な理由もあります。これは、ノーヘルで走行中、敵の鉄パイプなどでの攻撃から頭部を守る防御装置としての機能も果たし、ヤンキーたちの命を守ってきたという側面もあります。

バイクの上に伸びているライトの着いている部品がロケットカウル。
通常は風よけとして運転手の目線の位置にとりつけるが、気合の入った族車では高く取り付ける。
出典:チャンプロード×単車の虎

2.2.3. ハンドル

ヤンキーの単車のハンドルは、極端に折れ曲がっている物が多いです。曲がり方の形状により、鬼ハン、カマハンなどの様々な種類があります。これにも当初合理的な理由がありました。もともとはアメリカンバイクのチョッパーハンドルという大きく曲がったハンドルに由来しているのですが、ハンドルを折り曲げてその横幅を車体以下の長さにすると、車で幅寄せされたときや、狭い路地に逃げ込むときに走りやすく、警察から逃げる際の機動性を高められるというメリットがありました。しかし、徐々にその合理的な理由が忘れ去られ、ハンドルは曲げれば曲げるほどかっこいいという理解に変化し、運転をより困難にしていきました。

鬼のように曲げているからオニハンと呼ばれる。
出典:Yahooオークションの出品物 https://aucfree.com/items/v586056997

2.2.4. 三段シート

ヤンキーのバイクは、背もたれが高くなっており、これを3段シートと言います。元々はアメリカンバイクのシートを真似したものですが、それよりも高くなっていることが多いです。
通常のバイクで二人乗りする場合、後ろの席に乗るものは両手で運転者の体をホールドします。しかし、暴走族が二人乗りをするとき、後部座席に座るものは踊りを踊ったり、旗や武器を持ったりと、やらなければならないことが多く、両手が自由になりません。そのため、高い背もたれの三段シートを使用しなければ、急発進の際など非常に危険なため、しっかりと背中を支えられる形状になりました。しかし、他の改造と同様に高ければ高いほどかっこいいという方向に進化し続け、最終的には機能性を犠牲にするレベルまで高くなるものも出てきました。

天高くそびえる三段シート。裏面には文字が書かれることも多い。
出典:チャンプロード×単車の虎 https://tantora.jp/nologin/tantora-champ/article/sample0313

2.2.5. 旗棒

バイクの前輪に棒がついている改造も多く見られます。この棒は旗を掲げるために立てた棒の名残で旗棒と呼ばれます。かつて、暴走族の間で報道の旗を立てておけば言論の自由があるので警察に捕まらないという噂話が流れたことがあります。もちろんデマです。旗は新聞屋の店先から盗んでくることが多かったようです。
しかし、きちんと勉強をしていないヤンキーたちはそれが本当だと信じてバイクに旗を立てるようになりました。ところが、旗を立てても捕まるということに気づき、報道の旗を立てるという習慣はなくなりました。しかし、装飾として棒だけは残り、派手に改造されるようになりました。

出典:チャンプロード×単車の虎

2.2.6. テール

バイクのテールは本来は泥除け程度の機能の部品です。もともとどちらかというと見た目重視の部品で、だからこそ、おしゃれのしがいがある部分です。3段シートのラインを強調するためにあえてノーマルに近いものも少なくはないですが、中にはエビデーテルと呼ばれる反り返ったテールやファイアーパターンの板などを取り付けたものもあります。

バイク後方の大きく上部に伸びたパーツがテール。この形状はエビテールと呼ばれ、文字を書くことが一般的。
出典:チャンプロード×単車の虎 https://tantora.jp/nologin/tantora-champ/article/sample0901

2.2.7. ペイント

バイクの改造には、地域性がありますが、最も派手で目立つものとして、北九州スタイルが有名です。黄色、ピンク、蛍光色に近い水色などの目立つ色を基調として派手なペイントを使い、カウル、旗棒、3段シートなどの装飾を過度に使っています。

九州北部では特徴的な色使いの派手な単車が作られている。
出典:i-Q JAPAN https://i-kyu.com/bikelovers0150/

2.3. 特攻服

特攻服とは、暴走族の正装です。普段の暴走はもちろん、場合によっては結婚式などのフォーマルな場で用いられることや子供の誕生祝いに贈られることもあります。なお名称は戦時中の神風特攻隊に由来しますが関係はありません。
特攻服が着用されるようになった理由は前述しているので、こちらを参照してください。

2.3.1. 刺繍の図案

特攻服は通常は刺繍を入れて個人ごとにカスタマイズして着用します。刺繍は、龍、鳳凰、虎、鬼、仏像などの強そうなものと、花びらなどの儚さを示すものの図案が使われることが多いです。諸外国の不良と同様にヤンキーの精神性においても強さ、男性らしさは非常に重要なものですが、同時に事象の儚さの表現を重要視していることが日本のヤンキーの特徴です。このような図案と自作のポエムを刺繍することが一般的なスタイルです。

2.4. 集会

集会とは暴走族のチームで集まり暴走を行い、その後おしゃべりなどを楽しむ会で、暴走族のメインの活動です。多くは週1回、土曜日の夜に集まり、暴走し、その後チームの運営に関する会議やレクリエーション等を行います。暴走族の集会にはギャラリーが出る事が多いです。地元の不良たちにとって、暴走族の集会はかっこよくおもしろいものになっています。これは暴走族にとっては、憧れと称賛を得る最も大事な機会となっています。学校や家庭に居場所がない者でも、集会で派手に暴走することでみんなの注目を集めることができ、一夜のヒーローになることができます。寂しがり屋たちの伝説、それが集会です。


2.4.1. コール

コールとはバイクのエンジンを高回転で空ぶかしし、音を奏でる技術です。暴走族は夜間信号無視をして走行するため、交差点では事故のリスクが非常に大きいです。そのため特攻隊と呼ばれる係の者が赤信号の交差点に侵入し、エンジンを空ぶかしして爆音を立てて対向車に注意喚起をするという行為が行われ、それの空ぶかしの音の出し方の技術が磨かれるようになってきました。
現在は信号無視からは切り離され、技術を競い合う競技となり、人里離れた安全なサーキットで大会なども行われています。また、エンジン音で音階を作り、音楽を奏でるアクセルミュージックという別の種目も存在します。


2.5.組織と役職

暴走族は強固な縦社会です。先輩の言うことは絶対という儒教的な思想が根底にあります。社会の一般的な組織と違い、若い時の短い期間だけ行うものであるので、年功序列を飛び越えるような人事は発生せず、チームの最年長が幹部となるため、年功序列が基本のルールとなります。

2.5.1.総長

総長はチームのトップです。リーダーとして皆を従えることができる人物が務めます。暴走族のメンバーを従えるには基本的にはケンカが強くなくてはなりません。しかし、捕まるリスクも最も高いですし、他のチームに負けた際は一番痛い目にあうポジションなので、やるには覚悟が必要です。
その下に副総長、親衛隊長、特攻隊長などが続きます。

2.5.2.親衛隊長

親衛隊の役割は総長や副総長の護衛です。親衛隊長には他のチームなどから襲われた際に返り討ちにする暴力の強さが求められます。

2.5.3.特攻隊長

暴走族の特攻隊の役割は、赤信号の交差点に突入し、爆音を鳴らし青信号側の車両の通行を止めることです。特攻隊が止めなければ、安全に赤信号の交差点を走行することはできないため、チームにとってとても重要な役割です。爆音は、青信号側の車に自分たちの存在を知らせるための保安装置の意味も持っています。また、これは安全確保とともに爆音を轟かせる見せ場でもあるため、コールの技術が求められます。
特攻隊はとても危険な役割なので、隊長には根性とバイクの技術が求められます。

2.5.4.その他の役職

その他にも奇襲隊長などの様々な隊が置かれることもあります。また隊長の下には隊長補佐という役職もつけられることも多くあります(チームの規模にもよります)。できるだけ多くポジションを用意するという考え方は暴走族のみではなく、年功序列の組織にはどこにでもあります。政治家でも企業でもヤクザでも相談役とか◯◯補佐とか様々なポジションを作ります。私が知っている銀行系の子会社では、10名ほどの人事部の中で8名が部長、副部長、部長代理、部付部長など部長とつく役職を名乗っていました。ほぼ全員銀行からの天下り組です。これは年功序列の組織で若い頃の苦労に報いるために自然発生的にできるもので暴走族固有のものではありません

2.6. 改チャリ

暴走族は通常中学を卒業してから入るものという慣習があります。しかし、中学生のころから暴走族へのあこがれを抑えられないヤンキーたちもいます。そんなヤンキッズは、自転車を改造して乗り回します
本来エンジンを積み速く走り、車体も大きなバイク専用の部品を自転車に取り付けた姿は、とても貧相なのですが、ヤンキッズたちはこれを心のそこからかっこいいと思っており、日常の足として使用しています。そして、中学を卒業したら本物のバイクに載ることを夢見てヤンキーの修行を積むのです。

地元の震災からの復興を祈る願いが込められた改チャリ。ヤンキーはいつだって地元愛を忘れない。出典:チャンプロード×単車の虎 
https://tantora.jp/nologin/tantora-champ/article/sample0061

2.7. 旧車會

暴走族を引退したOB達の立ち上げた、法律を守って走行するバイクチームを旧車會と言います。旧車とは80~90年代の暴走族全盛期の単車のことを指し、これらの車両を暴走族風に改造して走行します。ただし、車検が通るレベルの改造に抑えるか、車検が通らないものはサーキットを貸し切って走行します。
とは言え、若い頃にやんちゃをしていた人たちなので、中には交通ルールを破ってしまう人もいますし、集団で走ると大きな音がするので騒音だと思う人達もいます。
しかし、暴走族OBはヤクザになることは稀であり、大半は地元で真面目に仕事をしているため、逮捕をされることは、失業や家庭崩壊などにつながる大きなリスクになっています。そのため、旧車會の中では法律を遵守することが強く推奨されており、社会と調和した暴走族文化の継承が目指されています。それでも違法行為をしてしまうものがいますので、そのような人たちを減らしていくことも今後の課題として残っていますし、旧車會と社会の対話の機会も作りながら、文化の維持発展と、社会との調和を建設的に協議できる場の創設も必要だと言えるでしょう。

3.ヤンキーの日常

3.1. ケンカ

ヤンキーにとって本質的には暴力は金を稼ぐために使うものではなく、己の力を誇示するために使うものです。もちろん手っ取り早く遊ぶ金がほしいからカツアゲとかもありますが、生計を立てるための暴力はほぼありません。

ヤンキー界では、赤テープ・白テープという文化があると言われています。通学用かばんの取っ手に赤いテープを巻いていると、「喧嘩売ります」の意味、白いテープを巻いていると「喧嘩買います」の意味です。そして、赤テープと白テープが会ったら必ず戦わなければならないというルールがあります。中には紅白のテープを巻いている猛者もいたそうです。
プロが使う代紋などは威圧して余計な戦闘を減らすために用いられているもので、赤テープ白テープとは用途が真逆です。
こんなことは1円の得にもならず、自己の武勇を示す以外の効果はありません。日本のヤンキーは1円の得にもならないことに体を張る。それが、ヤンキーの生き様です。
(一説には地方のローカルルールだったものが、横浜銀蝿のツッパリハイスクールロックンロールや、暴走族漫画「疾風伝説特攻の拓」などに出て広まったもので、実際にどの程度実践されていたのかは不確かである)

3.2. 学校生活

ヤンキーは、中学生頃からヤンキーであることを自覚し始め、悪さを始めることが一般的です。日本では高校から学力に応じて学校を選択するため、勉強ができないヤンキーたちはヤンキーが集まる高校に進学し、地域の中から集まったヤンキーたちと切磋琢磨することになります。ほとんどのヤンキーは暴走族でいる時間よりも学生として過ごす時間の方が長いです(中退する人もいますが)。そのため、学校の中でもヤンキーらしく振る舞うことは求められることになります。
学校の中では主にケンカの強さで優劣を競い合い、一番強いものが番長を名乗ります。
特に、地元で一生を過ごすヤンキーにとって中学という単位は非常に重要です。中学校区は地元での生活圏域そのものであり、そのエリアのネットワークに依存してヤンキーは生活をしています。したがって、ヤンキーは初対面で「お前どこ中だよ」と確認し自分の仲間であるか、敵対関係であるかどうかを確認する習性があります。

3.3. 学校の制服と髪型

日本では、中学以上になると学校が制服を指定することがほとんどです。ヤンキーは学校に反発することが多いのですが、その方法は、制服を拒否するのではなく、制服を禍々しく改造して着用するという方向にいきます。あくまでルールをはみ出す程度のもので、ルールを破壊しようとまでは思っていません
学生服の上着は極端に長くするか、極端に短くするかのどちらかがかっこいいと考えられています。ズボンは太ければ太いほどかっこよいとされています。
髪型は最近は色を染める者などもいますが、最も伝統的な髪型はリーゼントかアイパーと決まっています。特にリーゼントは、セットにも非常に時間がかかり、ヘアスプレーなど整髪料を大量に消費するヘアスタイルです。ヤンキーは不良であるにも関わらず自制的で、丁寧にヘアメイクをしてから登校します。
アイパーは短いパーマであり、これはケンカの際に相手に髪の毛をつかまれないという利点があります。

3.4. 勉強

ヤンキーは基本的に勉強をしません。かといってヤンキーであれば勉強をしてはいけないという規範もあるわけではありません。ではなぜ勉強をしないのかというと、都会のいい大学に入って、大きな企業に務めるというモデルコースをあまり魅力的に感じていないからです。魅力的に感じないことの中には、もちろんリアリティを感じられないという要因もあります。ヤンキーは卒業後は地元で就職することを当たり前のように考えているので、勉強で得られるメリットがあまり魅力的に見えないのです。
見ず知らずの人が集まる都会では、周囲に助けてくれる人は少ないです。そのため、自分の問題は自分と自分で稼いだお金で解決するしかありません。そのため地縁がない都市では高い教育を受けて汎用的なスキルを高めてお金を稼ぐ能力を高めることが重要となってきます。しかし、ヤンキーの活躍の場は地元であり、困ったときには助けてくれる先輩や友達がおり、人生の全てをお金で解決する必要がないのです。
日本の高校進学率は約99%であり、出願すれば誰でも入学できる高校も多くあります。高校進学は学力がなくともできるため、ヤンキーの中でも高校への進学は一般的になっています。
しかし、ヤンキーは勉強はしておらず、後々それで苦労することもありますが、高校時代に仲間と共にヤンキー活動に励み地元との絆を深めることに取り組んでいます。それは勉強をして大学を目指す子と同様に大人になった時に自分が生きていくための種を撒いていることそのものです。

3.5. 卒業式

ヤンキーにとって卒業式はとても大切な儀式です。この日のために特別な学生服を制作する者も少なくありません。公立中の制服はブレザーより学ランが多く、通常の色は黒ですが、卒業式用の学ランは派手な原色が多いです。この卒業式用の学ランを卒ランと呼びます。日本では古来から慶事に赤と白のくみあわせを使う伝統があり、左右で紅白になっているものもあります。
これらの学生服にはポエムが刺繍されています。仲間との友情、親への感謝、教師への謝罪などが主なテーマです。
地域によっては学校での式典の後、町に出て駅前の広場などで集まることもあります。岡山県では、岡山駅前の桃太郎の銅像に登るという儀式が行われますが、近年は警察の警備が厳しくなり、卒業式の日にはヤンキーたちが銅像に近づけないようにされています。また、駅に警察官を配備して卒ランをきたヤンキーが電車に乗れないようにしていますが、中にはヤンキーの親が車で送迎をして儀式に参加させる援助をする例もあるそうです。


3.6. 恋愛

ヤンキーの中では、恋人を大切にすることが美徳と考えられています
その愛情表現はポエムなどで表されることも多いですが、中には衝動的に、鉛筆などを使って自分で恋人の名前のタトゥーを自分の体に彫ってしまうケースもあります。しかし、ヤンキーは恋人と別れることも頻繁にあり、別れた恋人の名前が書かれた下手くそなタトゥーが一生残ってしまうケースも発生しています。

また、避妊に関する意識も低いため、早いうちに妊娠するヤンキーも多いです。ヤンキーの世界では家族を大切にすることも美徳とされており(とはいえ日本全体でも1/3が離婚するので、ヤンキーだって離婚する人いますが)、早く結婚し、家庭を持つものも多くおり、少子化の進む日本で人口増に貢献しています。


3.7. ポエム

日本のヤンキーはポエムを書きます。恋、友情、そして自らのヤンキー精神の高潔さを示す内容が好まれます。日本のヤンキーは本当の強さとは、自分ひとりで得られるものではないことを知っています。強くありたいからこそ友や、恋人という自らを強くしてくれる人たちを大切にする精神性を尊ぶのです。

ちゃんと学校に行っていないし、誰かに教えてもらったわけではないから、表現としてはありきたりな言葉しか出てきません。しかし、これは文芸として誰かに読ませる作品ではなく、自分の中で言葉にしないといけない衝動があるから書くものです。そして、その詩を刺繍した特攻服をまとい、自身の思いを世間にアピールするのです。

恋した男は数知れず
愛した男はただ一人
愛の華道に華咲かせ
愛する貴方に捧げます

詠み人知らず

3.8. 就職

ヤンキーはあくまでアマチュアの活動です。
中にはプロのヤクザになる者もいますが、学生時代サッカー部に所属している大半の子供がサッカーに関する仕事や、ましてやプロサッカー選手にならないのと同様に、それはごく一部の現象です。ほとんどのヤンキーは暴力や悪さに関係のないカタギの仕事を目指し、地元で建設業や自動車関連業などで働く事が多いです。
そもそも暴走族活動では、バイクや特攻服など高額な支出が求められるものが多く、多くの暴走族はアルバイトをしながらその費用を工面しています(カツアゲとかするやつもいるけど)。世界中の不良のスタンダードでは金が欲しくて悪いことをするのに、日本のヤンキーに限っては悪いことをするために真面目に働くという逆転した現象が見られるのです。
他国の不良と異なり、日本のヤンキーは元々不良の活動と社会参加を両立しています。したがって、ヤンキーたちは就職し、子供ができたことをきっかけに早く結婚し、家庭を支えるために真面目に働くケースが多いのです。
中には仕事が続かない、離婚するなどのトラブルを抱える者もいますが、きちんとヤンキー活動をしていた者には先輩や友達のネットワークがあり、就職の斡旋なども含めて互助のサポートが発達しています。なので、ヤンキーは地元を出たがりません。ヤンキーの生活と経済の基盤は、地元のネットワークに依存しているからです。先輩との付き合いなど大変なことも多いですが、知り合いが誰もいない都会で勉強や仕事で競争して勝たなければ豊かになれないセレブと、どちらの方が幸せなのかというのは、主観の問題でしかないものです。

3.9. 成人式

日本では成人になると、それを祝う式典「成人式」が自治体ごとに開催されます。現在の成人年齢は18歳ですが、かつては20歳であり、今でも20歳の時点で成人式が開催されることが多いです。その際には現在の居住地ではなく、自分の出身地での式典に参加することが一般的であり、成人式は同窓会の役割も果たしています。ヤンキーにとって成人式は人生最高の晴れ舞台です。
ヤンキーは同じ中学のヤンキーグループでお揃いの和装の衣装を制作するケースが多いです。形状は伝統的な日本の服装ですが、色使いが金・銀・原色などの派手な色となっています。髪型も巨大なリーゼントを形成するなど目立つものとする事が多いです。一部の地域では、自分の名前が大きく書かれた入った旗を持ち歩きます。

北九州では、特に派手な衣装を着て成人式に出席する文化が定着しています。この衣装を作っているのは、北九州の貸衣装屋「みやび」という店で、ヤンキーに寄り添って、彼らの自己表現を実現してきました。奇抜なファションはかつては多くの大人が眉をひそめましたが、特に悪いことをしているわけでもありません。北九州の新成人ヤンキーは式典会場で暴れることもなく、会場の外で平和にダベっているだけです。現在では徐々に理解も広がっています。また、海外でもそのデザイン性は高く評価されるように変わってきています。
彼らは高校を卒業して就職し、真面目に働いて成人式の衣装のためにお金を貯めています。

かつては、「荒れる成人式」などと言われ、一部の地域では式典中に壇上に上がり、市長に暴言を吐くなどの行為も見られましたが、それはごく一部であり、珍しいからニュースになるのであって、大半のヤンキーはそのようなことはしません。多くのヤンキーは仲間と平和に談笑を楽しんでいます。また、地域によっては式典後、ヤンキーがパレードを行うこともあります。沖縄県の那覇市では「○○中最強!」などと言いながら色とりどりの和服のヤンキーが練り歩く壮観なパレードを見ることができます。


3.10. チャンプロード

日本には2016年まで、ヤンキー専門雑誌がありました。その最も偉大な伝説の雑誌の名前は「チャンプロード」(笠倉出版社発行)と言います。最盛期には15万部を売り上げ、日本中のすべてのヤンキーが夢中になって読んでいた雑誌です。ヤンキー界では、チャンプロードに載ることは最大の名誉でした。
チャンプロードは各地のチーム紹介(バイク・特攻服の写真を中心に)から始まり、ヤンキーの部屋公開、悩み事相談、文通相手募集までヤンキーライフスタイルのすべてを網羅する雑誌です。
他にも暴走族専門雑誌は複数ありましたが、最も多く読まれ、最後まで残ったのはチャンプロードでした。他の雑誌がバイクなどヤンキーの華々しい部分に比重を置いたのに対して、チャンプロードはそれだけではなく、ヤンキーの悩みや心の叫びにも向き合って誌面を作っていました。バイク雑誌ではなく、ヤンキーライフスタイル雑誌だったのです。
お悩み相談コーナー、ヤンキーのつらい体験の漫画化、刑務所体験記など、楽しいことだけではなく、非行に走る原因になったヤンキーの辛い気持ちにも寄り添ってきました。留置所に勾留されている人からの手紙も多く掲載されました。ときには占いの形を借りて「暴れすぎると警察に捕まるから注意」、「今月は妊娠と性病に注意」というようにいつも優しくヤンキーたちの話を聞いてあげていました
当時の編集長は、ヤンキーたちの兄貴分のような雑誌でいたかったとおっしゃっています。
どんな人にも理解してくれる人は必要です。チャンプロードは社会に居場所のない不良たちの寂しさをずっと支え続けてきました。

残念ながらチャンプロードは2016年をもって休刊になっています。複数の県で有害図書に指定されたり、ヤンキー同士の交流もネットに移行したり、若者の暴走族離れが進むなど様々な要因がありました。そもそも読者層からして、万引きがとても多い雑誌だったので、書店やコンビニからもあまり歓迎されてはいませんでした。そのような様々な要因で惜しまれながらも休刊となってしまいました。

チャンプロードはヤンキーに常に寄り添い、ヤンキーの文化を創造しつづけた偉大な雑誌です。
日本のヤンキー文化が独自の様式を手に入れたのは、チャンプロードの役割が非常に大きいと言えます。

伝説の雑誌チャンプロード。ヤンキーのバイブルで、治安の悪い地域の中学校、高校では必ず教室に置いてあった。表紙はごちゃごちゃしているが、なるべくたくさんのヤンキーを登場させようという優しさからこうなっている。

現在、チャンプロードは版元を変えて、単車の虎という族車ゲームの中で運営されています。紙の時代とは違いますが、チャンプロードという存在は、ヤンキーたちにとってなくなってはならないとても大切な存在として存続しています。


4. ヤンキー文化の歴史

最後に暴走族とヤンキーがどのように発展し、衰退していったのか、60年にわたる暴走族の歴史を中心に概説します。

4.1. 1960年代 黎明期 

暴走族の起源はモータリゼーションが始まった1960年代に生まれたカミナリ族という、スポーツカーでスピードを出して走る集団と言われています。カミナリ族は、改造した車に乗り、派手さよりも速さを重視したものであり、1960年代に全国に普及していきました。
もともとヤンキーは地元を強く意識しており、縄張り意識が強いため、自分たちが走ってよい縄張りなどを勝手に制定するようになります。縄張りの中に他のチームが入ってくると排除しなければならなくなり、必然的に暴力が求められます。60年代から70年代にかけてバイクや車の価格も下がり、多くの若者がバイクに乗るようになると、縄張りの争いも激しくなり、バイクチームは暴力も兼ね備えるようになり、それが暴走族に発展してきました。

4.2. 1970年代 スタイルの確立と全国への波及

1960年代はベトナム戦争への反戦、日米安保条約の改定などに反対して学生運動が盛んな時代でした。当初、純粋な若者の抗議活動は社会からも支持をされていましたが、徐々に過激化し、テロや暴力事件を起こすようになり左翼運動家は社会からも疎まれるようになっていきました。1970年代には安保改正の反対活動として、左翼は過激な暴力行為を各地で巻き起こしました。その結果、社会的な風潮として左翼は攻撃されても仕方ないという空気が漂っていました
そこに目をつけたのが武闘派の不良達です。左翼なら殴っても大丈夫という雰囲気があるため、左翼に対抗するため、右翼の行動様式を真似るようになりました。右翼の活動家がまとう戦闘服がユニフォームになり、天皇家の家紋や国粋主義を思わせるような標語が採用されました。これが特攻服の原型です。しかし、大半のヤンキーは菊の御紋が誰の家の家紋かも知らないという有様であり、あくまでなんとなく怖そう、強そうというイメージのみが受け継がれファッションとして取り入れられることになりました。
1977年に東京近郊の大井ふ頭で、大規模な暴走族の乱闘事件が起こりました。その事件の主犯格であった「極悪」というチームは特攻服を制服に採用しており、この事件が全国に報道されることで、全国各地の暴走族にも特攻服が普及していくことになったのです。

1970年代、暴走族文化は東京の最新のかっこいい不良の様式でした。暴走族のメンバーが少年院に入るたびに他の地域の不良少年とネットワークができ、少年院の中でできた縁を通じて暴走族のチームの支部ができていく形で暴走族が徐々に全国に普及していきました。この頃の暴走族には、左翼と敵対するという思想はほとんどなくなっており、警察を敵対視することをアイデンティティに変えてきました。本人たちは、地元を(自分たちより悪い奴らから)守っているという意識で、自分たちなりの正義感を持って活動します。居場所がない奴、モテたい奴、バイクが好きな奴、地元ででかい顔をしたい奴など多様な考え方の不良がすべて暴走族に吸収され、規模を拡大していったのです。

4.3. 1980年代 暴走族全盛期

1980年代から90年代なかばにかけて暴走族は全盛期を迎えます。かつては、東京の有名なチームや連合に入るのがかっこよいと考えられましたが、暴走族はだんだん地域密着型に変化していきます。地元の名前を冠した独立した独立チームが全国に多く生まれていきます
また、暴走族や不良を題材にした漫画なども多く登場するようになってきます。「湘南爆走族」などに代表される男性誌に連載されている漫画のみではなく、女性誌でも「ホットロード」など暴走族がかっこいい男性として描かれた作品が掲載されるようになり、世の中で暴走族の認知も高くなってきます
一方で田舎も含めた全国に普及した文化は、都会の流行の最先端を走っていると自負する不良の若者たちにとってはダサく映り始めていました。都会の先端の不良少年たちは田舎者が田舎の地名を掲げてやっている暴走族と同じことを嫌がり、チーマーなどの新しい不良の形態を立ち上げるようになるのです。彼らはバイクも特攻服も使わず、渋谷や池袋などの繁華街を中心に流行の服を着た不良に変わっていきました。

4.4. 1990年代~2000年代以降 暴走族衰退の時代

暴走族の人数は1990年をピークとし、徐々に人数を減らしながら、大規模なチームから小規模な地元密着チームに移行し、2002年にチーム数のピークを迎え、そこから急激に数を減らし現代では暴走族は絶滅危惧種になっています。

法務省 令和元年版 犯罪白書より

その要因として、まずは不良の多様化が挙げられます。1990年代以前は、不良活動をするにはヤンキー・暴走族をするしか選択肢が存在しませんでした。ところが90年代にはチーマー、00年代にはカラーギャングなどの別のカテゴリーの不良が増加してきます。これらのカテゴリーは暴走族のように非合理的な活動はあまり好みません。
暴走族であれば、暑い夏も寒い冬も警察に捕まるリスクを抱えて暴走しなければならず、先輩の命令も絶対です。暴走族は、引退後も地域でのネットワークの中で生きるので、関係は強固であり、ルールも厳しいのです。
ところが、チーマーやカラーギャングは、別々のエリアに住むメンバーが繁華街などに集まって活動する形態のため、一生涯のしがらみを持つわけではありません。そして、効率的に暴力を使い、おやじ狩りなど弱者に向けて暴力を使うことで金儲けするようになります。自分のすごさを見せつけるためにケンカをしても直接的に得するものはありませんが、弱者に暴力を使えばすぐに金になるという外道な考え方が普及していったのです。
そして、徐々にヤンキーファッションが流行遅れになったこともあり、見た目のかっこよさでも暴走族より他の不良のスタイルの方が人気を得ていきました。

その後、00年代後半からチャラ男やその後ギャル男、パリピというカテゴリーが勢力を伸ばしてきます。チャラ男とは異性にモテることを最重要視し、流行を追う軽薄な男のカテゴリーです。チャラ男自体は90年代後半から発生していましたが、不良が廃れる中で、異性にモテるのが目的であれば、痛くて危険な不良活動をする必要すらないという考えが支持を得るようになり、チャラ男が広がります。
どうせ悪いことをするなら金を稼ぎたいと思う層はプロを目指しました。しかしプロのトップカテゴリーであるヤクザは暴対法などの影響で力を低下させてきており、半グレと呼ばれるような新しいプロカテゴリーが生まれて行くことになるのです。
この段階で、暴走族に代表される伝統的な不良は若者の支持を著しく減少させ、楽しくてモテればよいパリピと経済的利益目的の犯罪集団に分派していったのです。
しかし、地方では、地縁を切り離した不良活動は難しく、繁華街も少ないです。そのため東京で発展した他の不良の形態やチャラ男・パリピをそのまま移植することは難しかったため、暴走族にはならなくともヤンキーになるという選択肢は残りつづけました。

4.5. 現代・旧車會 社会との共存

このような変遷を経て、暴走族に入る若者は激減しました。00年代は後継者不足のためにメンバーが引退ができないという問題も発生していましたが、その後、後継者が増えることもなく、ついには暴走族のチーム数も激減していくのです。
一方で法律を守って族車を楽しむ旧車會という新しい文化が生まれました。
旧車とは暴走族全盛期に暴走族が愛用していた車種のことです。現代の車種は電子制御がかかっているため、コールなどがあまりうまくできないですし、そもそも雰囲気がないです。「會」は「会」の旧字です。
旧車會の主力は40代以上の暴走族全盛期に青春を過ごした世代です。彼らは仕事も家庭もあるため、逮捕されたり、バイクを没収されることを恐れています。そのため、かつての暴走族のように違法丸出しの行為はしません。車検を通したバイクで仲間と昼間にツーリングをすることがほとんどであり、年に数回大規模なイベントとして地方のサーキットを貸し切って、族車を走らせたりするのです(サーキットは私有地であるため車検が通らない改造車でも合法的に走行できます)。旧車會のメンバーは元不良だったため、法律違反をすることもありますが、基本的に旧車會は社会と共存しながらヤンキー発祥の文化を楽しむ活動です。基本的には旧車會の中では違法行為は称賛されません。大規模なイベントの際には、会場まで単車をトラックに載せて運搬させることを徹底し、主催者は違反する者はイベントに参加させないという強硬な措置を講じています。
旧車會には少しずつ20代の若者も参加するようになっています。暴走族が下火になり、ケンカが必須ではなくなったことで、バイク好きで少しやんちゃな新たな層を取り込めるようになってきています。

また、近年はイベントなどでヨーロッパ人のギャラリーが目立つようになってきています。彼らの国では不良は合理的な経済活動として暴力を行使しているため、日本の暴走族のようなおもしろく独特な様式は珍しいのです。外国人たちは日本のヤンキーたちの礼儀正しさに驚きます。「殺人上等」と刺繍が入った特攻服を着たヤンキーでもきちんと挨拶すれば、軽く頭を下げて挨拶を仕返してくれるのです。
言うまでもなく、ヨーロッパの不良はこのようなことはしませんし、一般人が不良の活動を安全に見に行くことができる機会なども存在しません

かつて全国有数の暴走族が盛んだった地域である千葉の県警は、旧車會を下記のように説明しています。

「主として改造した旧型の自動車(二輪を含む)又は原動機付自転車を運転する者のグループに加入している者」を「旧車會員」といいます。
この「旧車會員」のうち、「道路における自動車等の運転に関し、排気騒音や走行形態により一般通行車両や周辺住民に多大な迷惑を及ぼし、若しくは不安を与えることとなる行為を行う者で、暴走族に該当しないもの」を「違法行為を敢行する旧車會」といいます。
旧型の自動車等の愛好家から違法行為を敢行する者まで広範囲にわたる。

https://www.police.pref.chiba.jp/kotsusosaka/safe-life_publicspace-eradication_02.html

旧車會すべてが違法行為をする集団ではなく、旧車會のなかで社会に迷惑をかけるものが一部いるとの表現をしています。ヤンキー文化・暴走族文化から違法性を除去して、純粋に文化として楽しめるものにするために今は過渡期を迎えていますが、今後旧車會が社会と対話を重ねながら、尊重される存在になることを期待しています。

今後、ヤンキー文化は日本の地方の豊かな文化として継承されていくことでしょう。暴走族は都市で生まれた文化でしたが、いかに不良といえども都市の持つ合理化の圧力に抗うことはできませんでした。
しかし、地方にはヤンキー的なマインドで生きやすい土壌がまだ残っています。
非合理だけれど、濃密な体験、お金に頼らない絆の上での生活。ヤンキー文化は、時代にあわせ暴力や暴走などの違法性を削ぎ落とし、人間らしい生き方として進化していくでしょう。
そして、それは世界中で日本にしかない美しい文化なのです。

4.6.ヤンキー文化の未来

ヤンキーや暴走族は過去に凶悪な犯罪を起こしたり、一般の人を傷つけたり、社会問題にもなりました。
犯罪は悪いことで、それは擁護できませんし、ヤンキーが遵法精神の低い不良である以上、一般の人よりもそのようなことをする傾向が高かったことは否定できません。

しかし、現在、伝統文化と言われているものであっても、その出自が現代の基準では違法なものはたくさんあります。例えば、武士も当初は実質、地方のヤクザでした。政権と封建関係を結ぶことで、支配階級としての振る舞いが求められるようになり、徐々にコンプライアンスを遵守するように変化してきました。江戸時代には国内の内戦がほとんどなくなり、武士が戦闘をすることがなくなりました。実際には文官の仕事をしていた武士たちが、戦士のアイデンティティを持ちながら実戦とはかけ離れた鍛錬の場として様々な剣術流派や、武士道というような精神性の研究を行い、それが今日の侍のイメージを形成しています。
歌舞伎も源流は「キャバ嬢を口説くDQNのモノマネ」から始まり、売春の温床になるなど社会問題になっていましたが、時代を経て芸とコンプライアンスを磨いて現代のような素晴らしい芸能になっています。

文化と行為は、切り分けて発展することができます。侍のコスプレをする際にも銃刀法違反にならない模造刀を使うことや、アニメやゲームの中で侍が人を斬ることは誰にも迷惑をかけないのと同様に、文化の表現は元々の違法行為を踏襲せず、別の合法な行為に置き換え楽しむことが可能です。
また、同時に文化とその出自に内包されていた違法性も切り分けて考えられます。侍の文化を支持することが、過去の侍の暴力や身分制を支持することにつながらないように、ヤンキー文化を支持することが、ヤンキーや暴走族の違法行為を容認することにもつながりません
私は、ヤンキー文化は素晴らしいから違法性にも目を瞑るべきだと言うつもりはまったくなく、ヤンキーの違法行為は罰せられるべきだが、ヤンキー文化は合法的かつ社会に受け入れられた表現形態として後世に残すべきだと考えています。

もし、文化が持つ過去の経緯を現在の基準で裁くのであれば、基本的人権の保護すらされていない時代に発祥したすべての歴史的文化はすべて表現を禁止されなければならないはずです。
ヤンキー文化も人を傷つけず、社会と調和したものに変わっていけるはずです。

ヤンキー文化の出自には違法行為が色濃くありますが、今ヤンキー文化は衰退の局面を経て違法性が削ぎ落とされ、伝統文化に変化する過渡期にあります。もちろんまだ悪さをする元ヤンはいますが、暴走族の全盛期であった80年代、90年代を支えた大多数のヤンキーたちは、現在は仕事を持ち家族や地域経済を支える存在になっています。彼らはヤンキーは犯罪をしなくともヤンキーでいられるということを身を以て証明しています。

私は、100年後にはヤンキー文化は日本の伝統芸能として根付き、改造族車が国立博物館に展示されると夢見ています。ヤンキー文化はむき出しの情熱であり、合理性や洗練といった近代の価値観への反抗であり、理屈で語れない青春のもどかしさの表現そのものです。このような素晴らしい文化がある日本に生まれて幸せだと心の底から思っています。

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