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ヤンキーとセレブの日本史Vol.25 昭和その3~平成・令和


大戦後も世界は平和にならない

資本主義VS共産主義

悪の3カ国、ドイツ、イタリア、日本を倒して世界は平和になったかと思ったら全然そんなことはなくて、アメリカとソ連がバチバチになります。
ソ連の推している共産主義という宗教が猛威を振るっていて世界中に拡大しようとしています。

宗教の侵略がよその組からの侵略と違うところは、自国民が敵に寝返えるという点です。よその組からのカチコミなら、外から攻めてくる敵をブチのめすだけですが、宗教の場合は違います。自分の組員が宗教の方の親分の言う事を聞くようになり、組や親父を攻撃してくるのです。敵が内側に入ってきますし、身内を手に掛けるというのは、他の組員にも納得できる形にしなければならないので、ただブチのめすよりもよっぽど大変です。
共産党が他の宗教と違うのは、教義の中に最終的に資本主義の政府を暴力による革命でぶっ倒すということが入っている点です。こんなものが入ってきたら、アメリカの金持ちは身ぐるみ剥がされてしまいます。

という流れで、第2次世界対戦の後は、共産主義と資本主義(自由にお金儲けできる社会)のどちらを取るのかというのでバチバチになります。

中国は日本ヤクザを追い出したので、改めて国民党と共産党のケンカが再開します。勝ったのは共産党です。共産党は農民とかの貧乏人を支持基盤にします。地主から分捕った土地をくれるので、農民たちは共産党の味方につきました。一方で国民党は都市の金持ちの支持が強かったのですが、日本との戦争があって共産党と戦っていたのでは支持層を満足させられる経済政策も打てるわけなく、また内部でもお友達優遇の腐敗が進んでいたので、だんだんと見限られていきました。それに日本との戦争で国民党は共産党よりもたくさん日本と戦っていたので、もう戦う余力があまり残っていませんでした。
最終的には共産党が中国本土を掌握し、国民党は台湾に逃げました。ここから台湾は自分たちは中国とは別の組と主張し、中国は台湾は自分たちのシマと主張するようになりこじれていくのです。

朝鮮戦争

朝鮮半島も資本主義と共産主義の戦いの場になります。
日本のシマだった朝鮮半島をどうするかという話になるのですが、アメリカとソ連が話し合って、一旦は北をソ連が、南をアメリカが管理しようと勝手に決めます。お互い自分の勢力下に起きたいと思っています。ある程度落ち着いてから統一の本家を作る会議を開くのですが、共産主義と資本主義の違う制度が一度入ってしまったところで話がまとまるはずはありません。結局お互いの陣営が正式な本家を立ち上げます。そうなればケンカになるのは必然で、どちらが朝鮮半島の正式な本家になるかをかけて戦争が始まります(朝鮮戦争)。アメリカは南の大韓民国を応援し、ソ連は北朝鮮を応援します。中国は関係ないというポーズを取りながら、なぜか北朝鮮を応援したいという中国人の兵隊が大量に戦場にやってきます。中国としても正式に参戦すると戦線が拡大して自国に入ってくる可能性があるので、大っぴらに戦うとは言えませんが気持ちは共産主義陣営です。
戦争が起こると軍事物資が必要になります。朝鮮半島に一番近いアメリカ組の枝の組は日本です。戦争で疲弊していた日本ですが、急に朝鮮半島への輸出が生まれて、一気に景気が良くなり経済が回復してきます。
朝鮮戦争は決着がつかず、一旦休戦という形になり、朝鮮半島は韓国と北朝鮮の2つの国に分かれます。お互いに自分たちが正当な本家と言うので、手打ちはなしで一旦の休戦です。そのまま現在まで両国は休戦の状態になっています。

終戦から6年後、国の仕組みも変わり、経済も復興してきたところでアメリカは日本を解放します。「サンフランシスコ講和条約」という条約を結び、48カ国と国交を回復しました。当初、もう二度と戦争させないように軍隊は解散させたのですが、朝鮮半島でも戦争がありますし、ソ連と中国も共産主義になって危ないです。やはり日本を丸腰にさせておくのは危ないと「警察予備隊」という暴力集団を作って、それが「保安隊」になって最終的には自衛隊に変わりました。そして、アメリカはもう日本を離れるけど、軍だけは置いていくからと「日米安全保障条約」という約束をして日本にアメリカ軍の基地を置かせることになりました。日米安全保障条約はこの20年後に暴走族にとってとても大きな影響を与えます。

日本、シャバに復帰する

こうして日本はまともな国として国際社会のシャバに復帰することになるのです。
戦時中にご迷惑をおかけした国には詫びを入れにいきました。フィリピン、インドネシア、ビルマ(現ミャンマー)、タイ、マレーシア、シンガポール、インド、パキスタンなど東南アジアの国には、詫びのカネを払い比較的早く手打ちをしてもらいました。
台湾は1952年と比較的早い時期に手打ちできました。これは台湾が中国と分裂していたことで、台湾側も早く味方をつけたいという理由もあったからです。
しかし、韓国と中国は揉めました。

韓国との手打ち

そもそも韓国と日本は戦争はしていないです。脅して併合したのです。アメリカが主催したサンフランシスコ講和条約は戦争の手打ちの会議で、戦争に勝った組しか参加できません。そもそもこのとき韓国はまだ北朝鮮との間でどちらが朝鮮半島の正式な本家かも決まってもおらず、この条約に参加できませんでした。
日本としては、韓国とは戦争をしたわけではないし、サンフランシスコ講和条約では戦勝国は日本への賠償請求は放棄するって言ってるんだから、旧植民地の問題ももう解決されてんじゃね?というスタンスです。
韓国としては、うちはサンフランシスコ講和条約に参加してねーから改めて話をつけろやということで、長年揉めていました。しかし、資本主義と共産主義の対立が激しくなるにつれ、資本主義陣営のアメリカは子分たちの引き締めをしっかりしなければならず、日本と韓国がずっと仲悪いのも困るので、手打ちをしろというプレッシャーをかけてきました。

日本としては、そもそも植民地じゃなくて(脅したけど)正式な手続きに基づいた併合だし。それに経済を発展させたし、日本が投資して作ったものも置いてきてるんだからそれでチャラだろうとゴネます。韓国としては、日本が併合したこと自体が悪いんだからきちんと払えやと言います。
仮に払うとしても国民一人ひとりに賠償金を払うなんてどうやってやるの?という話です。誰がどれくらいの損害を受けたか、その損害の中で日本が併合したことが原因になっているものがどれくらいかを数千万人分なんて査定できません。しかし、アメリカのメンツもあるし、手打ちをしないわけには行かないので、お互いに歩み寄ります。日本は謝罪無しで経済協力として全国民分をドサッとまとめて韓国政府に支払うという体裁にします。そして、韓国政府は朝鮮半島にある正当な政府は韓国政府しかないということは絶対に譲れないので、北朝鮮側への補償も韓国政府が受けるという形にします。
そして、この問題は完全に片付いたことを条約にきっちり書いて残します。

韓国は政府が個人賠償分も全部受け取って政府が責任をもって配る、そしてこれで両国の間の国、個人の賠償請求はすべてなくなったと言って手打ちをします(1965年)。(日本がちゃんと謝るのはこの30年後の村山談話という戦後50年のときの発表です。)
日本の併合により韓国の経済や社会の仕組みが成長したことは事実です。しかし、結果として経済とかが成長したんだからチャラというのもおかしい話です。最終的にはカネで解決するしかないのですが、どうやって仁義を切るかで、今後も気持ちよく付き合える手打ちになるかどうかは違います。実質的に無理やり併合したことをきちんと謝るということをしなかったことで、日韓基本条約は法的には完全に片付いたとしたものの、心情的なわだかまりを残したものになり、片付いたはずの法的な問題が再燃する不安定な状況が続きました。

なので当然、話はこれで終わりませんでした。当時の韓国の大統領は朴正煕という人で、韓国はまだ独裁体制の国でした。朴正煕は賠償金を個人に渡す約束を国民に隠して、全部国の産業への投資に突っ込みました。これにより漢江の奇跡と呼ばれる韓国の経済発展が進んでいったのですが。

人権をつかったシノギの登場

そして、従軍慰安婦問題というものが出てきます。軍人は男ばかりなので、性欲が抑えられません。ほっとくと現地の女性に乱暴をする奴らも出てくるので、軍としても規律を保つためには性欲を発散できる相手が必要です。洋の東西を問わず、貧しい時代は娘を売ることや、お金に困った女性をだましたり、不本意に売春をさせるなどのケースは多々有り、朝鮮半島でもそのようなことがありました。軍はそうして集められた女性に軍人の相手をさせました。売られた娘はとてもつらい思いをしました。解放されたあとも肩身の狭い思いをして生きていかなければなりませんでした
韓国の中でも、貧しさなどの理由で不本意ながら性的な仕事をさせられた女性の中に、日本軍の相手をさせられていた女性がいることは知られていました。しかし、本人たちにとってはつらく恥ずかしい過去ですしあまり大きく声をあげられるものではありませんでした。
本人の意思に反して日本軍の性的な相手をさせられた女性がいたことは事実です。そして、軍人が利用するので、軍が関与したことも事実です。それに対して日本政府と韓国政府は個別の被害の状況を精査せずに、謝罪抜きで日本が一括で賠償金を払って、韓国政府が個人に渡すという約束をしました。しかし、韓国政府は個人にそのカネを渡しませんでした。その結果、性被害にあっても何の謝罪も補償も受けられないままの人がいました。

1990年になって勇気を出して実名で声を上げた元慰安婦が出てきたことで、このことがきちんと解決しなければならない問題だと社会的に認識されるようになりました。
しかし、その被害者を使ってシノギをしようとする奴らがいました。日本の朝日新聞も一緒になって、従軍慰安婦という言葉を作り、日本人が無理やり女性をさらってきて売春をさせていたから、これは別口で賠償しろと言います。こういうことを大声でいうと寄付金が入ってきますし、新聞や慰安婦の銅像とかが売れたりします。この当事者ではない奴らは、この問題の社会的な認知を広めた一方、問題の解決を難しくさせました

売春させられた女性は被害者です。本人の意思に反して性的なことをさせられるというのは事実ですし、本来はあってはならないことです。しかし、貧しさ故に売られたとか騙されたということではインパクトもなく、日本の責任を追求しにくく、支援団体や新聞社がシノギにしにくいです。(こいつらは貧しくて不本意に性産業に従事させられた女性でも、日本軍以外の相手をさせられた人のことは特に気にしていません。)そこで日本だけが特別に鬼畜なことをしたというストーリーにする必要があり、その嘘が両国の国民の態度を頑なにしました。韓国国民からしたら、自国の若い女の子を暴力で脅して拉致って無理やり売春させたり殺したりしたと聞いたら許せません。日本国民からしたら女の子に辛い思いをさせたのは事実でも、拉致とか殺しとかまではしてないし、その賠償金はすでに韓国政府に渡してあるとなってしまいます。

この嘘があることでまともな話し合いができず、被害者への補償を難しくしました。日本は日韓基本条約で全部解決してるし、金は韓国政府にすでに渡しているとしましたが、日本軍も関与して辛い思いをさせたという責任をとって、韓国だけではなく他の国も含めて元慰安婦の方に賠償金と首相の謝罪文を送りました。
しかし、韓国の慰安婦支援団体は受取を拒否するように圧力をかけました。これで解決したらシノギがなくなってしまうし、支援団体や朝日新聞が主張する日本が拉致などの悪逆非道をしたことを認めていない以上、拳を下ろすわけにはいかないからです。
その後、2014年になってから、朝日新聞は従軍慰安婦の記事で嘘を書いていたことを渋々認めました。ちなみに韓国の慰安婦の支援をしている団体のトップもおばあさんたちを支援するとか言いながら、自分がカネを懐に入れていたことがバレて2020年にパクられています

この問題は、2015年に最終的かつ不可逆的な合意がなされて、日本政府が韓国政府に10億円払い、韓国政府が被害者に配るということにしました。しかし、まだ訴訟が起きたりして、これを最終的と認めない支援団体が声を上げています
そして、徴用工といって日韓併合時代に日本の企業でブラック労働させられたという人たちも訴訟を起こし、裁判所が日韓基本条約をひっくり返す判決を出しまくる問題も新たに生まれています

まだ日韓は過去の問題を抱えていますが、①日本が早い段階できちんと謝らなかったこと、②韓国側が政府が国民に配らないで投資に使ったことを国民にきちんと納得させなかったこと、③つらい目にあった人たちをシノギのネタにしている奴らがいることが原因だったと思います。

しかし、近年はK-POPや映像作品、コスメ、韓国フードなど、日本の若い人たちが韓国の文化に対して憧れや尊敬の感情を抱くようになってきています。率直な所、20世紀までの日本人は韓国人をはじめとした他のアジア人を見下していました。アジアの人から見たら上から目線の元加害者と仲良くできるはずはありません。しかし、若い人たちが韓国文化がかっこいいと言うことで、敬意をもって付き合うという土壌が生まれてきています。
お互いが尊敬できる関係をきちんと築けていけるのであれば、これから良い関係を作っていくことができると思います。
友情だけで戦争は止められませんが、よい関係を持てば、対立するよりもお互いを尊重して、よい方向にいく話し合いができるようになります。そしてよい関係ができれば、被害者の味方のふりをして相手を恫喝して何度も要求するシノギもやりにくくなります。

中国との手打ち

中国との国交正常化は韓国よりも10年遅れました。
日本は中国でだいぶめちゃくちゃなことをやったので、中国との交渉は難航しましたが、国際情勢の変化が国交正常化を後押ししました。

最初の頃、同じ共産主義一門としてソ連と中国は仲良くやっていました。しかし、隣り合う大国同士がずっというまくやっていけるはずはなく段々と隙間風が吹いてきます。
ソ連はアメリカとバチバチです。しかし、相手を皆殺しにできる核兵器をお互いに持ちあって、一度キューバの方でぶっ放す直前までいってしまいました。そこでソ連は少しひよってアメリカとも仲良くやってった方がいいんじゃね?と言い出します。それをきっかけに中国はお前らひよるのかよと文句をつけ、対立が表面化するようになります。その後国境近辺の川に浮かぶ小島を巡って小競り合いにまで発展し、決定的に仲が悪くなります。
そんな状況を見てアメリカが中国に急接近します。アメリカとしても一番のライバルはソ連ですし、その前にやってたベトナムでの共産主義との戦いにも負けて逃げてきたので、アジアの中での味方をしっかり作っておかなければならない状況でした。アメリカは今国連の常任理事国は中華民国(台湾)になってるけど、中国(中華人民共和国)がそこの椅子に座っていいと言います。
その頃の中国は文化大革命というだいぶめちゃくちゃな政策をして、国民も死にまくって、世界中からドン引きされている状況でした。文化大革命とは、毛沢東という中国共産党のトップがインテリとか気に入らないやつ、自分の権力を脅かすやつらをぶっ叩くために始めたものです。毛沢東の考え方にちょっとでも反発するやつはぶっ殺すかぶち込むかします。毛沢東が言うことは絶対なので、思いつきで始めた経済政策もそのまま実行され大惨事になります。例えば、雀が畑の穀物を食べるから雀を殺せと毛沢東が言ったら農民みんなが雀をぶっ殺して、その結果増えた虫が穀物を食い荒らして大飢饉になります。こんなことやってるので国はヘトヘトですし、国際社会からも中国やべーと思われてます。そんな中、アメリカがいい条件を出してきたので、両国は手打ちします。

そうすると、アメリカの枝の組の日本もちゃんと中国と手打ちをしなければなりません。中国としてもこれから発展していくのに日本の技術とカネを必要とするので、感情的なところを抜きにすれば手打ちは悪い話ではありませんでした。
中国は賠償金は放棄しました。中国は実利としてカネと技術が入ればいいですし、大国として小国にボコられたことを蒸し返して賠償を請求するよりも、広い心で許してやったほうが世間体もよいので、賠償という形はとりませんでした。日本からは、謝罪、経済協力・技術協力、台湾が中国の一部であることを認めるという中国のメンツを尊重するという約束で手打ちが実現しました(1972年)。

戦後日本政治の体制

話は日本国内の政治の話に戻ります。
軍部が独裁していた頃は、政党も大政翼賛会とかいうグループに統一され、いろいろな意見を持っている人たちが集まっていろんな政党を作ることが禁止されていました。
当然、GHQは大政翼賛会をぶっ潰し、自由に政党を作っていいよと言います。

政治の対立軸 憲法

戦後の政治の対立軸は憲法改正です。特に戦争の放棄について書いてある憲法9条についてです。他にも経済とか色々大事なことはありますが、強烈に痛い目にあった戦争のことが何よりも大切な軸になりました。
戦争はもう絶対にしたくありません。でも、朝鮮戦争が起きたり、共産主義と資本主義の戦いが世界中で起きていて日本もいつ巻き込まれるかわかりません。それに、憲法がアメリカに押し付けられたということ自体が気に入らないという人たちもいます。
伝統的な国の姿に立ち返るため憲法を改正したいのは保守派、新しい時代を作るためにできた憲法を変えたくないのが革新派と呼ばれるようになります。
色々とあったのですが、1955年に自由党と民主党という保守政党が合併し、自由民主党になって、その後現在まで自民党による政治が続きます(途中2回ほど自民党は政権を失いましたが)。革新派は社会党という政党から民主党、民進党、立憲民主党という系譜を歩んで基本的に第2党のポジションを抑えていきます。
なぜ保守の自民党がずっと政権を維持できたかとのことですが、日本国憲法では改憲のためには、衆議院の2/3以上の議席が必要と定められていまることがとても強く作用しています。改憲を止めたい派は過半数取る必要がなく、1/3をキープできていればいいのです。これにより政権をとってバラマキをして支持を得たい自民党と、憲法改正だけ阻止できればいいという社会党の利害が一致しました。野党としても無理に政権を取りにいっても選挙でカネがかかるだけですし、とってからの責任も重いです。憲法改正反対に全振りして、政権を取らずに自衛隊廃止とか消費税廃止とか現実味のない政策を堂々と言ってる方が楽です。改憲そのものは政策を選ぶ際の優先度としては段々と下がっていくのですが、地元に利益を持ってきてくれるし、なんだかんだ言ってそれなりにちゃんと政権を担う能力のある自民党の方が多く支持されつづけました。
そういうこともあって2大政党制ではなく、1と1/2政党制と言われてきました。
自民党は誰でも仲間にはいれて力を示せば偉くなれるヤンキー的な政党になりました。ただし安定した時代なので暴力でどうこうすることはできず、ムラ的なしがらみも多いので、純粋なヤンキーではありません。
反対に革新派は初期は知識人たちの支持も多かったのですが、次第に憲法9条を守り平和を愛するという信仰心の篤さをどれだけ示せるかの内向きの文化になっていきました。憲法9条という教義へのコミットを強めるあまり、自分たちは素晴らしいことをしており、目的が正しいので、どんな手段をとってもいいし異論は許さないと考えるようになり、一部の過激派は脅しや暴力を使って要求を通すようなことも繰り返しました。
しかし、本物のセレブのようにトレンドに敏感ではなく、ずっと憲法9条だけを中心にして、古いスタイルでやり続けてきました。アメリカやヨーロッパの革新派はリベラルというのですが、環境問題とかLGBTとかその時々で倫理観が高く見えるテーマをかっこよく見えるように扱ってきたので今でもセレブの支持を得ていますが、日本の革新派にはそれが欠けており、現在高齢化が進んでいます。
まだ社会で重要だと思われていない隠れた問題を、ファッション感覚で支持する人たちを増やし、社会的に取り組んでいく機運を作ることはとても大切なことです。しかし、一部の人達が未だに固執しているダサくて凶暴なやり方で身内だけが満足する活動をしていては、何の社会的意義もありません

日本の平和を守るために左翼が果たしてきた大きな役割

革新派と書いてましたが、そういう意味では日本のは世界基準でいう革新・リベラルではないので、ここからは左翼と呼びます。特に最近は革新的なこともあまりしてないですし。しかし、この左翼政党が日本の安全保障で果たしてきた役割は非常に大きかったと言えます。

日本は戦後、一度も他の国の戦争に参加していませんし、自衛隊は海外で誰も殺していません。これは憲法9条があって自衛隊の海外での活動に大きな制約があったからです。アメリカをはじめとした諸外国も本音では日本に軍事協力をしてほしいと思っています。でも、アメリカが作った憲法に戦力の放棄と書かれていますし、政府としても反対している人たちが多くて改憲できないというのは、戦争への参加を断り続ける強い理由になりました。
もし、左翼の人たちが抵抗しなければ、「改憲して派兵すればいいじゃん」と押し切られていた可能性もあります。そういう意味では「憲法9条があれば他国から攻められることもないし戦争は起こらないんです!」みたいな非現実的な話でもなんでもよくて、とりあえず反対派が多くて改憲できないということ自体が日本がよその戦争に参加しなくていいバリアになり続けました。
現実的なことを見たらだめなんです。9条があるせいで自衛隊は海外活動でとても大きな制約を受けていますし、9条があっても侵略してくる側は気にもしません。それに右翼でも軍備をして外国を侵略しようなんてタイプの人はもう絶滅しています。そういう論理的な話をしだすと、短期的な視点では9条を改正して日本も海外での軍事活動に付き合うべきという結論が合理的に出てきてしまいます

しかし、左翼にとって9条は信仰でした。神の存在を論理的に説明できなくとも信じる人がいるように、信仰は論理的ではなくとも強く信じられればよいものです。だからずっと現実的な安全保障の論理と信仰の間で話が噛み合ってきませんでした。噛み合わないことで議論が進まず、現状維持につながって、日本が海外で軍事活動をせずともアメリカがケツモチしてくれる状況を70年以上作ってきたのです。
左翼が9条を信じてきたおかげで、戦後日本はアメリカにケツモチをしてもらいながらも、一度もよその戦争に巻き込まれることなく、平和を享受し、経済を発展させることができました

日本だけに限ればいつまでもこの状況でいられることが一番よい話です。しかし、自分のことを自分でせずに人に頼ってばかりのやつはいつか友達をなくします
現在においては中国が台湾や日本の尖閣諸島などにもちょっかいを出してきていますし、本当にこのままでもよいのかという問題も改めて考えなければなりません。9条バリアがある間はよその戦争 に付き合わなくとも許してもらえていますが、いずれはそれでは済まない時期がくるでしょう。

それがいつなのか、その時に自分のシマをどう守るか、友好関係のある組にどうやって自分のシマを守ってもらうのかを考えておく必要があります。

日米安全保障条約と暴走族文化

GHQの占領が終わった後、アメリカ軍が日本に基地を置くようになりました。10年に一度、条約を更新するという約束になっています。これが暴走族の文化形成にとても大きな影響を与えました。
最初の条約改正は1960年にありました。日米安全保障条約は戦後の占領下でドサクサにまぎれて締結されましたが、10年経って初めて条約の改正になり、大モメしました。やはり戦争で戦った相手の基地が自分たちのシマに置かれているのは気分が悪いですし、左翼は戦争反対のスタンスなので暴力集団は追い出したいと思っています。多くの人たちが条約の改正に反対して、左翼を中心に国会を取り囲むまでの大きなデモが起き、警察との暴力の衝突も起きました。岸信介首相も襲撃されて大怪我をしました。ものすごい反対の中、なんとか安保条約は成立しますが、首相は辞職します。左翼は安保は阻止できなかったけれど、首相の首をとったと勢いづき、その後いろいろな暴力事件を起こすようになります。
その10年後1970年に、再度条約の改定がやってきます。10年経ってアメリカ軍がいることでそこまで困る人も多くなかったことや左翼が暴力事件を起こしまくったこともあり、一般の人たちはあまり熱心に反対活動をしませんでした。しかし、学生を中心とした左翼たちは暴れまくります。ヘルメットにゲバルト棒(ゲバ棒)と呼ばれる角材を装備して暴力で要求を通そうとします。ちなみにゲバルトとはドイツ語で「暴力」という意味です。平和のために暴力棒を振るうのです。
東大を占拠したり、火炎瓶を機動隊に投げつけたりして、やりたい放題暴れます。そんなことするから、左翼は世間からは見放されます。世間は左翼のことが大嫌いになりました。警察もだいぶ嫌な目にあっているので、左翼が攻撃されていても見て見ぬふりをするようになります

この左翼の暴れっぷりが暴走族のファッションを右翼風にする流れにつながります。この話はヤンキー界の重鎮岩橋健一郎氏がトークイベントでお話されていたことです。
いつの世にも誰でもいいからぶん殴りたいという人たちがいます。この時代、1960年代ころから暴走族という不良文化が生まれてきます。暴走族は誰でもいいからぶん殴りたいですし、カツアゲできれば嬉しいです。そんな中、社会のみんなから嫌われていて、殴っても警察も誰も助けに来ない左翼という存在が出てきました。
左翼を堂々と殴るにはどうしたらよいでしょうか。ヤンキーは短絡的です。右翼の格好をすればいいのです。そして国士舘大学の右翼の活動家の「戦闘服」を真似て着るようになりました。戦闘服はつなぎのような服で、そこに右翼的な装飾がされています。
暴走族もそれを着るようになりますが、元が右翼のファッションをベースにしているので、菊の御紋や「愛国」「特攻」などの文字が入るようになります。多くのヤンキーはきっと菊の御紋が誰の家の家紋か知らなかったことでしょう。こうして書いてあることの意味も分からぬまま、そして深く考えることもなくヤンキーは右翼的なファッションを身にまとうことになります。
そして、1977年に神奈川県の大井ふ頭で1000人規模の暴走族の抗争が起きます。テレビのニュースにもなり、特攻服を着た暴走族の姿が全国で放送されました。それを見た全国の暴走族はかっこいいと思い真似するようになり普及しました。その後、特攻服は右翼的な匂いを残しつつも、そもそも右翼の本質を理解していないので、丈をロングやショートにしたり、ポエムやいかつい絵柄の刺繍を入れたり「夜露死苦」「愛羅武勇」などの漢字での当て字など独自の方向に進化していくのです。

暴走族文化が今の形態になったのは、東西冷戦を背景とした日米安全保障条約が大きな影響を与えているからです。ヤンキーも世界の一部として、グローバルな情勢の影響を受けて独自の文化を発展させてきたのです。

経済成長そして、停滞

高度成長期から平成の停滞

基本的に国力が伸びるのは、人口が多いかケンカが強いかのどちらかです。
有史以来、ずっと中国やインドなどの人口が多い国が世界の中でも大きな国力を持ってきました。大航海時代からは西洋マフィアがケンカの力で国力を高めてきました。

オランダのフローニンゲン大学というところの頭のいい人が作った西暦1年からの世界のGDPのシェア。見るときは、過去の時代ほど1目盛りに含まれる期間が長いことに要注意。
赤が中国、オレンジがインド。19世紀ころまで、人口の多い2国が世界のGDPのほとんどを占めている。その後、西洋マフィアが暴力&植民地で勢力を拡大する。
日本は黄色。現代のようにこんなに世界の中でシェアが高いのは歴史的に見ると超例外の出来事。

日本はもともとそこそこ人口が多く、戦後兵役から帰ってきた男たちが子作りをしまくったので、人口が急激に増えました若い人が多ければ物欲も大きくなりますし、作る労働力もたくさん供給されるので経済は発展していきます。軍事力は9条バリアのおかげでアメリカに頼っていたので、戦争で国力を落とすこともありませんでした。
1960年代から始まった高度成長期から90年初頭のバブル経済を絶頂に日本は大きく発展し、GDP世界2位にまで上り詰めました。バブルの時代にはみんながアホみたいにカネを使い、贅沢品を買い漁りました。

バブルの時代はモノを高く売るということに対してとても努力をしてきた時代でした。モノを高くうるということは、買う人に高い価値を認めさせるということです。最先端の技術で今までできなかったことができるようになるというのは一つの価値ですが、技術にも限界があります。そうなると、技術や機能以外の部分に価値を見出しもらえるものを作らなければなりません。バブル時代に売ったものの多くは贅沢で役に立たないものばかりでしたが、役に立たないものには、楽しいことや、買う人の気持ち(虚栄心も含めて)を満足させるという価値がありました

バブルの時代を描いた名作「龍が如く0」20代の桐生ちゃんと真島の兄さんがギラギラした時代を熱く生きる。日本が一番元気があった時代の空気がそのままつまっている。この頃までは表の経済にもヤクザが関わっている。

しかし、その後30年間経済は停滞し続けました。GDPのランキングもどんどん落ちてきている状況です。給料もほとんど上がりません。バブルが終わったことで、コスパがよいものを作る時代になってしまいました。バブルの失敗に反省しすぎて、無駄なものを作らなくなり、高く売ることよりもそこそこの機能で価格を抑えるシノギが増えました。
給料は上がらなくとも安くていいものがあれば生活の豊かさは維持できます。安くて良いものは生活する上でとてもありがたいですが、長い目で見ると高いものを売って稼ぐ力を衰えさせます

便利なものは世界中の誰もが必要とします。だから数が多く出るので安く売っても大きく儲けられます。そういう便利なものは高度なスキルを持った人材と研究や機械への投資がなければ作れません。人材と投資が集まる国ではないと成長できないのです。残念ながらそういう面で日本はアメリカや中国には勝てません。日本語というマイナー言語を使い、市場も小さくはないけれど、大きくもない。外国人との共生もあまり経験が多くなく、異文化と交わる経験も少なかったため田舎のムラや古い企業の中にあるムラではよそ者はいづらいです。

高度成長期以降、日本の経済の中心は大企業になりました。大学進学率が上昇し、大企業には有名な大学を出た同じようなタイプの人たちが集まります。気持ち悪いことに、東京の大企業に行くと同じ部署の人たちがみんなお互いの出身大学を知っているというような状況になっています(ヤンキーがお前どこ中出身?と聞くのと同じではありますが、セレブの場合どっちの大学とか学部の方が上とか言い出します)。
稼げる勝ち筋が見えていてそれを効率化していけばもっと勝てるという環境であれば、周囲と強調して賢く同じものを再現できる仕組みを作る人たちが多いことは大きなアドバンテージになります。
しかし、それだけでは他にはなくて、高いお金を出してでも欲しいというものを作るのは難しいです。特にバブルで懲りてからは高くて売れるか分からないバクチ的なものよりも、確実に売れるコスパ重視のシノギが多くつくられてきました。これが日本の経済を30年間停滞させました。

日本の希望、ヤンキー

ヤンキーの伝統の価値

しかし、日本にはヤンキー文化があります
ヤンキー文化の価値は「役に立たないこと」です。一見すると便利で役に立つものの方がよさそうに感じますが、「役に立たないこと」こそが価値があるのです。
新型コロナが流行し、不要不急の外出を控えろと言われていた時期をおぼえていますか?生活はできるけどとてもつまらなかったのではないでしょうか。人間は生きるために必要最低限のことをしているだけでは心が渇きます。楽しいことや自分が特別だと思えることがなければ、生きていていてよかったとは思えません。
旅行も飲み会もゲームもアニメも漫画も音楽もスポーツもなくとも生命活動には支障はありません。食べ物だってカロリーメイトでも食ってれば十分なのに、もっと美味しくて豪華なものを食べたくなりますし、ゲロ吐いて記憶をなくすデメリットしかないのに酒を飲んだりします。車だって軽トラが一番安くて便利なのに、高い車が欲しくなります。
人生には楽しいこと、嬉しいことが必要でそこに価値があるのです。

物質的に豊かになった現代では、価値は便利なものよりも、役に立たないものに多く生まれるのです。そして、便利なものは競争でどんどん値下がりするのに、役に立たないものはそもそも価格競争はゆるやかなので高く売れるのです。例えば好きなアニメ作品があって、他にキャラグッズがもっと安い他のアニメ作品があってもそれで乗り換えたりはしないでしょう。高級ブランドのカバンがほしい人はもっと安いからと言ってしまむらで売ってるカバンに乗り換えたりはしません。

役に立たないことをするのにヤンキーほど心血を注いできた存在はいません。
ヤンキーと結婚した非ヤンキーの友人から夫婦喧嘩の話をきいたことがあります。彼女はヤンキーの夫が無駄なことばかりするからいつも怒るそうです。夫は妻がつまらないことばかりするから怒るそうです。ヤンキーは無駄に見えても、楽しいことや仲間のためになることを大切にします。節約とか効率とか言って楽しいことをしない人のことをもったいないと思うのです。
族車もヤン服も暴走もタイマンも経済的な利得は全くありません。ただ、無性に心が突き動かされるという動物の本能として長く続いてきた伝統です。

特に日本では海外の他の国では見られない不良のアマチュアリズムがあります。江戸時代にヤンキー武士に暴力を維持させながら反乱させずに事務仕事をさせるために生み出された規範により、暴力は実用性よりも精神性・かっこよさを重視するという考え方が広まりました。
そして、高度成長期以降は犯罪で生計を立てなくともよい豊かな社会になることで、暴走族たちが独自のヤンキー文化を築いてきました。

ヤンキーマインドは日本のコンテンツにも大きな影響を与えています。かっこいい極道を描いたゲーム「龍が如く」は世界中で愛されシリーズ2000万本を超えるヒットです。アウトロー作品だけではなく、多くのアニメや漫画にもその魂は引き継がれています。ただ強い敵と戦いたいというドラゴンボールの悟空の考えもヤンキーの発想です。1円の得にもならないのに忠義を尽くし命がけで鬼と戦う鬼殺隊もヤンキー武士道です。セレブはバトルマンガの主人公になれないのです。
当たり前のように経済的なメリットよりも大切なもののために戦うというヤンキー魂は、日本のコンテンツの底流に流れています。合理的な動機には人は感動しません、納得するだけです。感動をさせるには、非合理だけど、どうしても成し遂げたいんだと思う気持ちが必要です。

また、キティちゃんなどのカワイイ文化もヤンキーに広く支持されてきました。海外の不良はいかつさ100%で弱く見えるものなど身にまといません。辞世の句から続くポエム文化など、かわいい、かっこいいと思ったものをそのまま表現し、愛することができる土壌もヤンキー文化の中にはありました。
造形も魅力的です。ヤンキー文化は本能的に相手にすげーと思わせる様式です。だから、セレブの文化のように特定の文脈を理解しなくとも世界中の誰もをすげーと思わせる力を持っています。

これからの日本が世界で売っていけるものは、役に立たないものです。
コンテンツはその一つです。他にもたくさんの魅力があります。例えば美味しい食べ物、美しい風景や文化などの観光などもあります。東京パラリンピックの開会式では、デコトラが登場して世界に衝撃を与えました。どれも理屈ではなく、心を揺さぶるものなので、賢いセレブが集まるだけでは作ることができません
しかし、そういったものを作ることのできる人たちはセレブの世界とは違う理屈で生きています。セレブの価値観でもっと効率化してビジネスを大きくしましょうと言われても、地方には他に大切にしているものなどがあるので、話がまとまらないというケースはたくさんあります。セレブにとってヤンキーの視点を知るということは、自分たちの合理性では理解できないものを合理的に理解できるようになるという意味があります。便利なものを作るホワイトカラーの社会ではこれからもいい大学を出た賢いセレブの文化は続くでしょう。セレブの社会にいると自分たちが社会の中心だと錯覚してしまいますが、それは社会のごく一部にしかすぎません。その中で多様性を理解し、社会の力に変えていくには自分たちと異なる考え方があるということを知る必要があります。

ヤンキーはありのままで美しい

というふうにヤンキーの社会的・経済的なメリットを書いてみましたが、究極のところそんなことはセレブの世界の中のヤンキー論なので、どうでも良い話です。自分と違うものを役に立つか立たないかでしか評価できないことは人生をつまらなくするだけです。

西洋マフィアが植民地とか言って世界中を荒らし回っていた頃、マフィアたちは自分たちがとても優れた文化をもった人種であり、他の人種とその文化は自分たちより劣っていると真剣に考えていました。
基本的に見下しているんですが、中には西洋にはない美しい美術品だとかおもしろい文化とかも見つけることができます。そういうのを見つけると異国情緒があっていいじゃんとなるのですが、ここで西洋マフィアが評価するのは、西洋マフィアの感覚に受け入れられるものだけです。外国のありのままの文化を尊重するというものではなく、自分たちの物差しで測れるものだけをよしとするのです。日本人も長らく西洋人に褒められることを喜んでいましたが、そういう見方って良くないんじゃないという話が1970年代の後半からなされるようになってきます。サイードとかいうアメリカ人が言い出したんですが、こういう「西洋人の俺が偉くて他のお前らカスだけど、俺から見ていいものも少しはもってることも認めてやるよ」という上から目線を「オリエンタリズム」と言って批判しました。
前置きが長くなりましたが、ヤンキーを役に立つとか、自分の価値観にそぐう部分のみ美しいとかでしか評価できないのはオリエンタリズムと同じです。50年も前から頭悪いと言われ始めたダサい仕草を未だにやってるのは、自分の物差しでしか他人を評価できないカスみたいな考え方なのですぐ止めたほうがいいです

ヤンキーはおもしろい、それだけで十分ではないでしょうか。
族車は派手でインパクトのある造形をしていて、見る者を驚かせますし、きちんと鑑賞すれば味わい深い改造が見えます。ヤンキーポエムも決して洗練はされていませんが、若い感情をありのままに吐露した荒々しさが味わい深い作品です。わたしたちの国には伝統的にヤンキーの作った文化があり、それは常に本能的に人の心を揺さぶり続けてきました

犯罪や暴力は良くないことですし、ヤンキーはしばしば犯罪をします。しかし、行為とその精神性は分けて考える必要があります。武士だって帯刀しいざとなれば人を殺す存在でしたが、現代では人斬り行為と武士道という精神性が分けて考えられています。人斬りや身分制を肯定しなくとも武士道の考え方を理解することはできます。
ヤンキー魂も同じです。パンピーを傷つける犯罪は悪いことですし、なくなってほしいと思います。しかし、ヤンキー魂は犯罪をしなければ成立しないものではありません。
いかつく、派手に、大きく長く、すげーと思ったものを素直に楽しむという考え方は、社会のルールとも共存できるもの
です。

日本にはヤンキーと暴走族という偉大な文化があり、これが存在するのは歴史の中の多くのヤンキーが溢れ出るパッションのままに命を燃やしてきたからです。
そして、私達はヤンキー文化・暴走族文化が日本の伝統に変わっていく変革の時代に立ち会うことができている幸運を得ています。DQNがキャバ嬢を口説く姿のモノマネから始まって売春の温床になった歌舞伎が芸とコンプラを磨くことで、今の地位に上り詰めたように、社会と調和した変容をしていくことで、ヤンキー・暴走族の文化は未来に続いていく伝統文化となるでしょう。
願わくば、ヤンキーや暴走族が栃木か茨城あたりの無形文化遺産になり、そして200年後には国立博物館に特攻服や族車が展示され、その精神性がずっとこの国に残り続けてほしいと思っています。

これで、通史としてのヤンキーとセレブの日本史は終わりです。
次章、最終章として、現代ヤンキーと暴走族の文化と歴史をもって、この話は終わりになります。

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