『竜とそばかすの姫』ディレクター考察②~なぜ夜行バスでの父からのメッセージが泣けるのか~しがないテレビマンが勝手に語る【※ネタバレ注意】
本日もネタバレ注意!
さあ、今日も元気に『竜とそばかすの姫』の考察をしていきましょう!どなたに需要があるか分かりませんが、僕が忘れないうちにどんどん書いていこうと思います。
本日もネタバレしまくっていこうと思うので、これから観る予定のある方は絶対に読まないでください!
↓の予告を見ていただいてテンション上げて、この記事にスキ!を押して立ち去っていただければ幸いです(笑)
さあ、今日もネットの他の方の考察を全く参考にせず、ドラマ経験が少しだけある、しがない1テレビマンとして自分の観点で考察させていただきます!
本日のお題は…
~なぜ夜行バスでの父からのメッセージが泣けるのか~
少し演出目線で偉そうに語りたいと思います(笑)
この夜行バスに至るまでのシーンの流れについては、昨日の記事に書きましたので、思い出せない方は↓こちらの記事もご参照下さい。
竜(りゅう)のオリジナルである恵(けい)と弟トモを救うために、突然地元高知を飛び出し、単身で東京へ向かった主人公・鈴(すず)。
高知駅から夜行バスに乗って、東京へ向かいます。
その夜行バスの中で鈴は、母が亡くなってからろくにコミュニケーションを取っていなかった父に「急に飛び出してしまってごめん」的なメッセージを送るのです。
父からのメッセージに、僕は涙を零しました…。
非常にベタなシーンではあるのですが、僕は泣いてしまったのです。なぜなのでしょうか?
ここには、人々を泣かせにかかる普遍的な鉄則のようなものがあると感じています。
当たり前と感じる方も多いかもしれませんが、しがないテレビマンとして考えたポイントは、以下の3つの要素です。
①ギクシャクした親子の本音トーク
②「口下手」タイプの愛情深い言葉
③父の言葉(cv役所広司)に集中させる”無音”演出
最も重要なのは③ですが、短い言葉では伝わりづらいこともあるので、順を追って1つずつ見ていきましょう!
①ギクシャクした親子の本音トーク
多くの人が体験したことがあるもの、それは「親子関係」です。
そして反抗期などを経験している人も世の中にはたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。かくいう僕も、中学時代くらいには、母に反抗したり、父をバカにしたり、親との間に確執ができた時期があったものです。
映画やドラマには、よく家族が描かれていて、ストーリーを作っていく際によく不仲な設定が用いられます。
なぜこのようなシーンがよく用いられるのかと言えば、多くの人が体験したことがある=共感できるからです。
親とのギクシャクした関係、それを解消する様子は人々の心に何を訴えかけるのでしょう?
過去に自分の親と揉めたときに涙ながらに仲直りしたことを思い出したり、今なお親との関係が悪い人にとっては「あんなこと、こんなことができなかった」と後悔の涙を流したり、はたまた親を既に亡くしてしまっている人にとっては元気だったころのご両親の姿を思い出すのかもしれません。
親=かけがえのない存在との本気のやりとりを映画の中で疑似的に見せられると自然と心動かされてしまう。これが涙へのファーストステップです。
②「口下手」タイプの愛情深い言葉
セカンドステップとしての”あるある”要素が、これです。今回で言う「口下手」はもちろん鈴の父です。
父が鈴にかける言葉は映画の中で圧倒的に少ないです。記憶が既に曖昧ですが、「晩御飯食べるか」+αしかなかったと思います。
そんな父は口張りに何かを伝えるのが苦手なキャラ設定で、喋る以外の方法で何かを表現しようとしていました。映画中盤に登場した、
「桃もらいました」
のような丁寧な字で書かれた置手紙と桃。これは父親の「口下手」を決定づけるシーンでした。そっと見守るような、決して強制をしない父親の柔らかい人柄が透けて見えました。
「口下手」だからこそ、少しの言葉が重く重く聞こえる。たくさんたくさん考えた末に絞り出した本気の言葉に聞こえる。
そんな父親が、夜行バスのメッセージのやりとりでは、割と饒舌に語ります。今まで家でのコミュニケーションの中では触れてこられなかった亡き妻についても初めて話すのです。
鈴は母さんからたくさんの優しさを受けてきた。
だから、その人たち(恵&トモ)にも優しくしてあげなさい。
色々とこの言葉まで、感情を積み上げて積み上げて、最後に母親と鈴を結び付ける文言をもってきた。父親は、鈴の中に亡き妻の姿を見ようとしたのです。娘の背中をそっと押すような形で、久々に大好きだった妻のことをたくさん思い出したのでしょう。
「口下手」な父親の、妻への無骨な愛が垣間見えた。でもやっぱり恥ずかしいから口張りではなくメッセージで。そこに僕は感動を覚えました。
あのシーンが夜行バス内での父親と鈴との電話のやりとりだったら、また違う見え方だったかもしれません。
③父の言葉(cv役所広司)に集中させる”無音”演出
さあ、ここまでの2つのステップは、オーソドックスな要素だったので、「ふーん、確かに」程度でしょうか。
ただ、この2つの要素を僕らの心に最大限に響かせられるかどうかは、「演出」次第なのです。1回しか見ていませんが、今回の演出は「泣かせにかかる」手法が取られているとすぐに分かりました。
それは、「無音」の演出です。
無音と言っても、鈴の父親の声だけはもちろん聞こえています。ただしそれ以外の音は敢えて全部カットしているのです。
『竜とそばかすの姫』は主人公・鈴のAzであるベルが歌姫である設定から、映画の至る所で音楽やBGM、コンピューター音が流れ、方や高知の片田舎の夏の情景を感じさせるために常にセミの音や川の音などがきちんと入っており、音の付け所が多い作品でした。
このシーンも、鈴が慌ただしく電車に乗り、高知駅に着き、夜行バスに乗って父親とメッセージのやりとりは始まるまでは、しっかりBGMや環境音が入っていたと思います。
ただ、父親のメッセージが1つ1つ届き、役所広司さんの声で訥々と語られていくなかで、次第にBGMや環境音が消えていったのです。
圧巻でした…!
賑やかな音付けが為されている作品全体を見渡せば、ここだけは明らかに異質なシーン。
次第に無音にしていくことで、演出として見せたいものがクリアになってきます。「みなさん!ここからは是非父の声に注目してください!」と言わんばかりに、他の音が消されていく。
他の環境音など、その場にいるように観客に感じさせるには必要不可欠なものなのに、このシーンではまるで無駄な音かのように扱われカット。
最後に残るのは、父の声のみ。
鈴の感情としても、父の言葉だけに集中しているような「没入感」を僕らに感じさせてくれるのです。確実に父の1つ1つの言葉が鈴の心にダイレクトに届いている雰囲気を醸し出すことができる。
そして、そのステージさに追いやられた僕らを待ち構えているのは、名俳優・役所広司さんの、柔らかくも内に秘めたる熱い気持ちが伝わってくるような演技なのです。
1つ1つの言葉を丁寧に、語り掛けるような、その一方で思いがあふれ出し畳みかけるような、言葉の積み上げ。
それぞれの台詞のタイミング・テンポ感もMAで細田監督がこだわったことでしょう。緻密に計算された演出により、父の言葉が最高のステージに立てたわけです。
最後に…
いかがでしたでしょうか?
今回、偉そうに細田守監督の演出について考察させていただきました。
「無音」演出は、今回の映画にかかわらずたくさんのドキュメンタリーやドラマでも使われる手法ですので、これから何か映像作品に触れる際は注目していただければ面白く観られると思います。
ただ、実際にディレクターとして自分が「無音」の演出を使うとなると、非常に難しいものなのです。
なぜなら、音による情報をシャットアウトすることは、リスクでもあるからです。
色んな情報やファクトを積み上げ、情緒的な何かを感じ、共感することで、僕らは感動します。人が「音」から得る情報は非常に重要なものであり、ねらいがキッパリ定まっていない限り、安易にカットできないのです。
以前制作したドキュメンタリーで人の見よう見まねで「無音」演出を入れようとしましたが、その番組担当の音声さんに「本当に自分が勝負するときに取っておきなよ」と言われたのが忘れられません。
人を感動させるため様々な要素がぴったりとパズルのように組み合わさった上で、己の覚悟を決め込んでやっと手を出すことができるのが「無音」の演出。僕はまだ結局使うことができていません。
しがないテレビマンである自分の経験からも、細田守監督の”気合い”を感じた1シーンでした!
今回は、以上です。
『竜とそばかすの姫』の考察は、あと1本か2本書いてみたいと思っています。
おそらく次は、「~恵とトモは、鈴が駆けつけるまでの半日をどう過ごしたのか~」です。
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では、また~♪
よろしければ怠惰な僕にサポートのお恵みを…。あ、でもお金を簡単に与えたらもっと怠惰になっちゃうから、ダメか(笑)