「オメラスから歩み去る人々」:功利主義と正義の話し
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2020/09/27
こんにちは。HACOです。
アーシュラ・K・ル=グウィンの短編集「風の十二方位」の中の「オメラスから歩み去る人々」を読んで感じたことを少しだけ。
非常に短い短編なので、内容はぜひ確認していただきたいと思います。
「最大多数の最大幸福」というベンサムが言語化した哲学を思い出しました。10年ほど前にサンデル教授の「ハーバード白熱教室」をみて、「これからの「正義」の話しをしようー今を生き延びるための哲学」を読んだときに、改めて考えた哲学的な課題。「トロッコ問題」を例に白熱教室では熱い議論が交わされます。
何となくわかっていること、すでに知っているようなことを、改めて「言語化」して「思考」すること、「議論」することの大切さを学びました。
上記のサンデル教授の書籍の功利主義の章に「オメラスから歩み去る人々」を例に挙げての説明があったのですが、すっかり忘れていました。忘れていましたが、読んだ後に、功利主義を連想し、白熱教室を連想し、連想からネットで検索したところ、10年前に読んだ本に載っていたことがわかり…。こういうのも面白いです。
どこで点と点がつながるかわかりませんね。偶然の一致なのか必然なのか。シンクロニシティな話につながるのかもしれません。
一人(少数)の犠牲によって、世界が救われるという物語はたくさんあります。感動の物語のようにみえる側と、その裏にある側のこと。そのような局面に直面した時に、自分はどうするのか。難しいことだなと思います。
「オメラスから歩み去る人々」は、現代の社会に当てはめて考えることができる要素もあると思います。いまの生活がどんな代償によって成り立っているのか……。混乱と混沌が押し寄せてきた昨今の世界では、当たり前と思っていた世界を再考することも必要かもしれません。
そして、何かの犠牲の上に成り立っている世界についての連想は、伊藤計劃「虐殺器官」につながりました。オメラスから歩み去る人、歩み去れない人達を描いているように考えられるかもしれません。クラヴィス・シェパードは?ジョン・ポールは?
クラヴィスの相棒のウィリアムズの言葉が個人的には印象的です。
「この世界がどんなにくそったれかなんて、彼女は知らなくていい。この世界が地獄の上に浮かんでいるなんて、赤ん坊は知らないで大人になればいい。俺は俺の世界を守る。そうとも、ハラペーニョ・ピザを注文して認証で受け取る世界を守るとも。油っぽいビッグマックを食いきれなくて、ゴミ箱に捨てる世界を守るとも」
オメラスがどういう仕組みで繁栄をしているかを知ったうえで、どう行動するのか?どういう選択をするのか?
理解した上でどう行動するか?
どの選択が「正しい」「正義」であるということを考えると…難しいなと思います。虐殺器官に登場する人物それぞれが、それぞれの思考、行動、意思決定をしてどうなっていくのか。
機械的に感情調整され、痛覚マスキングされた兵士たちの…と考えていくと連想は、クリスチャン・ベール主演の「リベリオン」に連想が広がり…。
自由連想は、はてしなく続いていくので、ここで終了。
「虐殺器官」や「リベリオン」については、また機会に言語化できたらと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。
それでは、また。
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