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心も体もみられる医師

心も体もみられる医師とはどんな医師でしょうか。内科や外科などの身体疾患の診療ができて、精神科の勉強もしていて精神科の診療ができる医師と考える人が多いと思います。これは概ね間違いではないのですが、“心も体もみられる医師”という言葉に抱く一般の人のイメージと、医師のイメージには実はずれがあります。

そして、この“ずれ”は時として患者さんに心理的ダメージを与えてしまう事があります。
少し例を挙げてみようと思います。

Aさんは63才の男性です。子供は二人いますが、既に自立しており妻と二人暮らしをしています。久しぶりの検診で胃カメラを受けたところ、胃癌と診断されました。主治医の見立てとしては手術によって治癒が期待できる状態とのことで、Aさんは少しほっとしました。2週間後に入院する手術の予定をたてたのですが、コロナウイルス感染症の拡大により緊急性のない手術は延期されることになり、Aさんの手術予定も延期となってしまいました。Aさんは入院予定がいつぐらいになるか聞きましたが、“現時点では分からない”と言われてしまいました。

2週間たちましたが、感染状況は全く落ち着く気配はありません。Aさんはだんだん不安になってきました。このまま待っていて大丈夫なのだろうか?癌が進行して手術ができない状態になってしまうのではないだろうか?考え込んでしまって夜眠れなくなってきました。仕事も手につきません。もしかして死んでしまうのでは?と考えると気持ちも落ち込んできます。好きだった映画を見ていていても全く楽しめません。Aさんは主治医にこの事を相談する事にしました。

P医師は、"確かに心配ですよね。早期なので、数カ月は大丈夫なはずですが、手術が再開次第すぐに入院できるように手配しようと思います。今までの流行状況から考えると、1ヶ月以内には再開になると見込んでいます。体調の変化があるようでしたらいつでもご相談下さい。"と答えました。

Q医師は、"夜眠れなくて気分が落ち込むんですね。好きなことも楽しめないようですね。うつ病の可能性が高いと思います。うつ病は必ず治りますので安心してください。お薬で治療しましょう。"と答えました。

ここまで極端な例はあまりないと思いますが、程度の軽いものであればこういった事はしょっちゅう起こっています。P医師は、ストレスの原因について話を聞き、共感しています。一方、Q医師はAさんがうつ病に罹患しているかどうかを評価し、うつ病の治療をしようとしています。

一般の人からするとP医師が“心も体もみられる医師”と感じると思います。それは間違いなく正しいのですが、実は医師が目指している“心も体もみられる医師”に近いのはQ医師の方なのです。

医師は病気の診断をして治療を行う専門職です。医療現場では早期発見、早期治療の重要性が強調され、見逃しは批難されます。ですから、"心がみられる医師"となるとどうしても"精神疾患の治療ができる医師"、と考えてしまうのです。医師の立場からすると、P医師は"心がみられる医師"ではなく、単に"親切な医師"ということになってしまいます。

ではP医師とQ医師の診療で、患者さんのうつ状態が改善しやすいのはどちらでしょうか?このシチュエーションにおいては、圧倒的にP医師の診療だと思います。P医師の対応は2つの部分に分けられます。1つ目は、身体を診療する医師として正しい見立てをつたえ、治療計画をたてようとしている部分です。このシチュエーションでは治療が上手く行くことが最も気持ちを安定させますので、患者さんの信頼に足る実力を持っていることは重要です。2つ目は、患者さんの立場に立って気持ちによりそっている部分です。Q医師が"病的な部分"がないか評価しているのに対して、P医師は"理解できる不安、落ち込み"ととらえています。ここには、“医師として客観的に評価する態度”と“患者さんの身になって考える態度”の違いがあります。この“患者さんの身になって考える”ことは心のケアの根幹であり、最も癒し効果を生むものです。心のケアとよい治療(このシチュエーションでは治療計画と保証)が結びつけば、患者さんが回復しやすいものです。

では、“医師として客観的に評価する態度”は不要でしょうか?そんなことはありません。患者さんが不安のあまりに“死んでしまった方がましだ”とか、“もう絶対に手遅れになってしまう、何をしても無駄だ”という気持ちになっているとき、どんな言葉も届かないかもしれません。こんな時には病的な状態(うつ病であることが多いです)かどうかを評価し、治療する事も同じくらい大切なのです。

色々書いてきましたが、心と体をみられる医師には①身体治療の技術が優れている、②患者さんの立場になって心のケアができる、③精神疾患の診断、治療ができる、という3つの要素が必要です。特に、心の診療という意味では②と③を一番適切な割合で使い分けられる技量が重要なのですが、実際の現場では上のシチュエーションほど簡単でないことが多く、精神科を専門にしている医師でも失敗することがあります。難しい事だからこそ、自分も含め心も体もみられる医師を目指す人には全ての要素に研鑽を積んでほしいと思います。

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