何を見て何を受け取るか(アフェクティブマインドセットとうつ病)
同じ出来事に遭遇しても、その出来事がどのように見えるかは人それぞれであるという事は長年主張され続けている。
フッサールの主客一致の不可能性の議論に始まり、現象学によって我々の経験が主観というフィルターを通して完成するという考え方が確立した。
そして、当然その考え方は心理学にも応用されている。
何を見ても悲観的な人は「不幸」な人であり、何事も楽観的に捉える人は「幸せ」だと一般的には考えられている。
また、その捉え方の違いがどこから現れるのかについては議論がなされているが、フォックスという心理学者は、それらの受け取り方と脳の働きを結びつけた。
それが「サニーブレイン」と「レイニーブレイン」と呼ばれるものであり、それらはそれぞれ側坐核と扁桃体が中枢である。
側坐核とは快楽と中枢であり、扁桃体とは恐怖の中枢である。
余談だが、サイコパスと言われる人は先天的に扁桃体のボリュームが小さいことが分かっている。
そのせいかおかげか、彼らは恐怖を人よりも感じないし、他人が感じている恐怖を感じ取る事もできない。
サイコパスの人たちが行う異常行動の背景にはそのような事情もあるのだ。
少し話が逸れたが、これらの脳の機能による楽観主義 vs 悲観主義を基にしたパーソナリティを、フォックスは「アフェクティブマインドセット」と呼んだ。
例えば、あなたが街を歩いていて古い友人と出くわしたとしよう。
あなたは声を掛けてみたが、彼は返事もせず素通りしてしまった。この時、あなたはどう思うだろうか?
もしかすると、「ただ気づいてなかっただけかもしれない」、もしくは「考え事をしていたのかもしれない」と、楽観的に考える人もいるだろう。
そういう人はサニーブレインの持ち主かもしれない。
その一方で、「彼は私のことを嫌っているから無視したんだ」、もしくは「彼は自分と話すのが面倒だから無視したんだ」と、悲観的に解釈する事も可能である。
そのような考え方が最初に浮かぶ人はレイニーブレインの持ち主である可能性が高い。
もちろんどちらも正解の可能性を等しく持っている。
本当にただ気づかなかっただけかもしれないし、逆に本当に話すのが面倒だと思われていたのかもしれない。
真意は尋ねてみないと分からないし、仮に後者だった場合、聞いてもその答えが出てくるとは限らない。
なので、その場合、彼が誰かと話す会話を盗聴するなどの手段によって確かめる必要があるかもしれない。
ただ、大切な事は「自分が声をかけたことに対して返事がなかった」という事実をどのように解釈したかである。
うつ病の治療によく用いられる認知行動療法では、まさに捉え方の変容を狙ったアプローチが多く存在する。
今、僕が述べたような例は認知再構成という技法の中でよく出てくる例である。
なぜなら、うつ病の人はほぼ確実に後者の(レイニーブレイン的な)解釈をするからである。
そこから、そうじゃない可能性も考えてみようよ、というのがうつ病の認知的苦しみを和らげる事になるのだ。
先日、僕は家の近くに最近できたコメダ珈琲でIELTSの勉強をしていた。
僕はカウンターに座っていて、僕の右の席には年配の女性が座っていた。
そこに店員が、その女性が注文したのであろうパフェを持ってきたのだが、テーブルに置く直前でバランスを崩しパフェが僕の方に降り掛かってきた。
チョコレートソースがパーカーに染み込み、パフェの上に乗っていたソフトクリームは僕のノートの上に横たわっていた。
すぐにタオルが運ばれてきたが、僕はその時「パソコンがそこになくてよかった」と思っていた。
全くイラッともしなかったし、怒る気にもならなかった。
しかし、もしかすると、人によってはキレていたかもしれない。
「服が汚れてるやんけ」「ノートが台無しやんけ」とキレる権利がその時の僕にはあったのかもしれない。
もう少しがめつくいくのであれば、その日のコーヒー代をタダにしてもらう交渉をする権利もあったのかもしれない。
ただ、僕は「まぁ、パソコンとスマホは無事やし、服は洗濯すればいいし、ノートは取り直せばいいからいっか」と思っていた。
決して「僕って心が広いでしょ?」という自慢がしたいわけではないし、「心が広い」かどうかという主観的な基準を持ち込むつもりもない。
ただ、ここで大切な事はどこに注意が向いていたか、だ。
パフェが降り掛かってきた事自体に注意も向けるのであれば、この上なく悲惨な出来事であり、気分が下がるのも当然である。
ただ、その中の不幸中の幸いに注意を向けるのであれば、それは決して悲惨な出来事ではないのかもしれない。
僕は、全ての出来事が自分の捉え方次第だと言うつもりはないし、そんなことが罷り通るならこの世はやりたい放題だ。
「私にとっては悪い事ではなかった」という理由で犯罪が横行するかもしれない。
そんな事にならないために法律が存在しているのであって、その法の下に機能している社会においては通用しない議論かもしれない。
しかし、自身の感情やメンタルを調節し維持するための考え方としては非常に優秀であろう。
何を見て何を受け取るか(アフェクティブマインドセットとうつ病)